なでしこを世界一に導いた佐々木則夫の哲学「コーチが馬なら選手は乗客」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.07.02
国民栄誉賞が制定されたのは1977年からですが、団体での受賞は2011年のサッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の一例しかありません。チームを率いたのは当時53歳の佐々木則夫さんでした。
■「鬼」から「仏」の時代
2011年3月11日、東北地方を中心に東日本は最大マグニチュード9.0の大地震に襲われました。震災関連死を含め死者・行方不明者2万2000人を超える未曽有の大震災でした。
ドイツで女子W杯が開催されたのは、この3カ月後の6月です。FIFAランキング4位のなでしこジャパンは、グループリーグ2位で決勝トーナメントに進出し、準々決勝でドイツに1対0、準決勝でスウェーデンに3対1と勝利し、決勝では2対2のタイスコアながら、米国をPK戦の末に下し、初めて世界の頂点に立ちました。
優勝した彼女たちに待っていたのが国民栄誉賞でした。授与が決まった際、優勝メンバーの丸山桂里奈さんが語った「国民栄養賞かと思った」というエピソードは、今も語り草です。彼女たちにとっては身近な賞ではなかったということでしょう。
ちなみに国民栄誉賞は国家ではなく、時の内閣総理大臣(政府)が授与するものです。
なでしこジャパンへの授与理由は、こういうものでした。
「最後まで諦めないひたむきな姿勢で国民にさわやかな感動と、東日本大震災などの困難に立ち向かう勇気を与えた」(枝野幸男官房長官・当時)
さて佐々木さんです。これまで女子チームを率いる男性指導者といえば、1964年東京五輪で女子バレーボールの「東洋の魔女」を金メダルに導いた大松博文さんが代表格でした。
大松さんには『おれについてこい! ――わたしの勝負根性』(講談社)という著書があります。これは100万部を超えるミリオンセラーになりました。
ニックネームは"鬼の大松"。金メダルメンバーの谷田絹子さんは「白いものも先生がクロと言ったらクロになった」と語っていました。
しかし、時代が変われば指導法も変わります。大松さんが「鬼」なら、佐々木さんは「仏」として選手に接しました。
■「監督は冷たい」
選手たちから「のりさん」と呼ばれていた佐々木さんがこだわったのは、コーチの本義についてです。コーチ(coach)という言葉は、ハンガリーにあるコッチ(kocs)という街に由来すると言われています。
15世紀、そこでは大型の4輪馬車が製造されており、やがて「コッチの馬車」としてヨーロッパ中に知れ渡ったというのです。馬車の最大の役目は、大切な人や物を目的地に送り届けること。佐々木さんは、そこにやり甲斐を見つけます。
<間違っても、選手は「馬」ではない。コーチ、つまり指導者の仕事とは、選手を馬のようにムチで叩いて走らせることではなく、乗客である選手たちを目標の地まで送り届けることだ。>(自著『なでしこ力』講談社)
コミュニケーションを重視する佐々木さんは、選手たちとたびたび、ひざ詰めで語り合いました。ある時、ひとりの選手から「監督は冷たい」と言われてしまいます。
理由を聞くと、こういうものでした。
「キャンプの時、ケガをしてチームから離脱せざるを得ない選手が出ることがあります。その場合、残った選手たちは、揃って玄関口で見送るんですが、僕はその前に個別にその選手と会って話をしていたので、あらためて見送らなかった」
その姿勢が選手たちには「冷たい」と思われてしまったというのです。
「それからは、選手たちと一緒に見送るようにしました。オレのやり方はこうだ、と力んだところで、選手たちから支持されなかったら、それは何の意味もない。コーチが馬なら、選手たちは乗客。乗客といい関係を築けなければ、目的地に到達することはできません」
2011年女子W杯優勝、12年ロンドン五輪銀メダル。輝かしい戦績が、佐々木さんの指導法の正しさを証明しています。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




