反骨のストライカー中山雅史の「雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.06.11
サッカーW杯において、日本代表に初めて得点をもたらしたのは今回の主人公・中山雅史さんです。彼の代名詞である「泥臭さ」を地でいくゴールでした。
■勝敗分けた決定力
日本が初めてW杯に出場したのは1998年フランス大会です。大会が始まる前、岡田武史監督は「グループリーグ1勝1分1敗、勝ち点4で決勝トーナメントを目指す」と発言しました。
日本の入ったグループHは、他にアルゼンチン、クロアチア、そしてジャマイカ。グループ最強は、W杯を2度制していた(当時)アルゼンチンです。クロアチアは91年にユーゴスラビアから独立したため、単独国としては初出場でした。
さらに言えば、ジャマイカも初出場。岡田監督の頭の中には、仮にアルゼンチンに敗れても、クロアチアと引き分け、ジャマイカに勝利すれば、決勝トーナメントに進出できるのではないか、との読みがあったように思われます。
しかし現実は甘くありませんでした。日本はアルゼンチンにもクロアチアにも善戦及ばず0対1で敗れ、3戦目のジャマイカ戦を待たずして、決勝トーナメント進出の望みを絶たれてしまいました。
アルゼンチンにはガブリエル・バティストゥータ選手、クロアチアにはダヴォール・シューケル選手という世界的なストライカーがいました。彼らの一発に沈んでしまったのです。勝敗を分けたのは決定力でした。
目標に届かなかったとはいえ、3戦全敗、すなわち勝ち点0で大会を終えるのと、1点(引き分け)でも勝ち点をもぎとってフランスを後にするのとでは、帰国後、日本代表に向けられる視線は全く異なるものになります。
その意味で選手たちは必死でした。3戦目のジャマイカ戦は6月26日、リヨンのスタッド・ジェルダンで行なわれました。日本が勝ってもジャマイカが勝っても、W杯初勝利となる戦いで、先制したのはジャマイカでした。
前半39分、MFセオドア・ウィットモア選手が右足で蹴り込みます。そして後半9分、またもやウィットモア選手、今度は左足が火を噴きました。0対2。日本にも何度も決定機が訪れましたが、シュートが枠に飛びません。
■骨折したままプレー
参考までに紹介すれば、フランス大会での日本の決定率は1.82%、オンターゲット率(枠をとらえた確率)は20.00%。これらは、いずれも出場32か国・地域の中で最低でした。
そんな中、一矢を報いたのが中山選手です。後半29分、左サイドからDF相馬直樹選手がクロスを入れ、途中出場のFW呂比須ワグナー選手が、頭で落とします。これを中山選手が、体を投げ出すようにして右足のヒザあたりに当て、ワンバウンドで押し込んだのです。
「呂比須は競り勝って、絶対こっちに折り返してくるはず」
中山選手には、そんな読みがありました。
結局、試合は1対2で敗れますが、中山選手のゴールがなければ、日本は勝ち点1どころか1得点も記録できずにフランスを去らねばならないところでした。
驚いたのは試合後です。得点直後、相手に右足を蹴られた中山選手は、骨折したまま16分間もプレーしていたのです。
担架を呼ばず、試合に出続けたのは、同点、逆転に向け、時間を1秒たりとも無駄にしたくない、という意志の表れだったのではないでしょうか。
そんな中山選手の体を張ったプレーに感動を覚えた私は、後年、インタビューの際に、折りたたみ式のカサをプレゼントしました。
「人生、晴れた日ばかりじゃないから......」
そう言って手渡すと、アドリブで歌の一節を口ずさみ、こう返しました。
「雨、雨、降れ、降れ、もっと降れ......。(ストライカーには)これくらいの強い気持ちが必要なんでしょうね」
戦国時代、尼子氏に仕えた悲運の武将・山中鹿介には「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」という名言があります。
中山さんは、逆境の中に身を置いてこそ輝くストライカーでした。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




