平尾誠二、奇蹟呼び込むラストパス 「たった一点のタイミングですわ」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2025.10.09
"ミスターラグビー"と呼ばれた平尾誠二さんが53歳の若さで世を去って、この10月20日で丸9年になります。在りし日の平尾さんを偲んで、神戸製鋼(現コベルコ神戸スティーラーズ)時代の名勝負を振り返りましょう。
■宿敵・三洋電機
神戸製鋼は1988年度から94年度にかけて、日本選手権7連覇を達成しました。チームの中心にいたのが平尾さんでした。
当時は大学王者と社会人王者が日本一を争っていました。日本一を狙う社会人チームにとって、日本選手権以上の難関といわれていたのが全国社会人大会でした。
1991年1月8日、東京・秩父宮ラグビー場。第43回全国社会人大会決勝。大会3連覇を狙う神戸製鋼の相手は三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)。両チームが決勝で対戦するのはこれが初めてでした。
いまにも雪が降り出しそうな寒い日でした。バックスタンドから見上げるグレーの空は、鉛のカーテンのように重々しい雰囲気を漂わせていました。
前半を9対6で折り返した三洋電機は、後半24分、No.8のシナリ・ラトゥさんがサイドアタック。WTB新野拓さんがインゴール右隅に飛び込んで16対9とリードを広げました。
しかし、さすがは試合巧者の神戸製鋼です。29分、FBの細川隆弘さんが左中間26メートルのPGを決め、12対16とワントライ(当時4点)、ワンゴールで逆転できる点差に迫りました。
電光計は後半42分。試合はインジュアリータイムへ。それでも「みんな冷静やったし、プレッシャーもなかった」と後に神戸製鋼のNo.8大西一平さんは語っていました。
「時計も見とったね。それとレフェリーの眞下昇さんも、ウチが負けるような顔はしてなかった。言葉にするのは難しいけど、"勝てるなァ"という気持ちは、みんな持っていたんと違いますか」
その大西さんがサイドアタックで突破口を開きます。ラックが形成され、そこから出たボールをSH萩本光威さんが拾い上げ、右にいたSO藪木宏之さんに素早くパスしました。
■ウィリアムスの激走
藪木さんは中央突破を試みようとしてCTBの日向野武久さんにつかまり、倒される寸前に右オープンに展開しました。
藪木さんの回想です。
「右隣の(CTB)藤崎泰士さんを見ると、ものすごいタックルが迫っていた。それで藤崎さんにパスをしちゃいけない、と思い、その外にパスした。もう、そこに誰がいるとか、誰が走り込んでくるかなんて考えてもなかった」
結果的に、藪木さんの不完全な態勢からのパスが吉と出ました。
「僕がボールを持ち過ぎたことで、相手のディフェンスが前にズレたんです」
藪木さんが放ったワンバウンドのパスを拾った平尾さんは、鋭いステップで巨漢のCTBノフォムリ・タウモエフォラウさんをかわし、タッチライン沿いに走り込んできたトライゲッターのWTBイアン・ウィリアムスさんに山なりのパスを送りました。
生前、平尾さんに聞いた話です。
「パスを受けた時、前がパッと開いた。(WTBワテソニ・)ナモアはとんでいる。そこへFL飯島(均)が後ろからタックルにきた。中へ入ってカットアウトして、パスして飯島からタックル。つまり僕は飯島とぶつかる前にパスを終わらせる必要があったわけです。
要するにたった一点のタイミングですわ。早くても遅くてもダメ。早かったらイアンが出てきていなかった。つまりナモアと入れ違ってなかった。逆に遅すぎると僕が飯島のタックルにやられていた。しかも角度をつけて放らんといかん。まさにあのタイミングしかなかったんですわ」
平尾さんのパスを左手を伸ばしてキャッチしたウィリアムスさんは、追いすがるナモアさんを振り切り、50メートルを走り切ってゴールの真裏に滑り込みました。16対16。逆転のコンバージョンキックを細川さんが決め18対16。ノーサイドを告げる笛が鳴り響いた瞬間、平尾さんは両腕を突き上げてジャンプ、珍しく感情を解き放ちました。歓喜の輪の中心にいたのは、やはり"ミスターラグビー"でした。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。














