大横綱・白鵬「型を持て、でも型にはこだわるな」で有終の美飾る【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.04.16
幕内最高優勝45回という大相撲史上最多優勝記録を持つ元横綱の白鵬翔さんは、2025年6月に日本相撲協会を退職後、現在は「世界相撲グランドスラム構想」の発起人を務めるなど、相撲の国際化に取り組んでいます。今回は不世出の大横綱が「座右の銘」とする言葉を紹介しましょう。
■右足からの踏み込み
「私には好きな言葉があります。それは『型を持て、でも型にはこだわるな』というものです」
白鵬さんには定期的にインタビューしてきましたが、この言葉は「座右の銘」のみならず、自らの人生訓でもあるようです。
「何事においても基本の型は大切です。型もないのにいろいろやっても、焦るだけで結果は残せません。それは相撲に限らず、どんなスポーツ、そしてビジネスの世界も同じでしょう。一方で、ひとつの型にこだわっているだけだったら、進化もないし、勝つこともできません。樹木でいえば型は根っこ。そこからでっかい幹が出て、枝が茂り、花が咲いて実が成る。根っこという型があるからこそ、幹は高く伸び、枝葉は広く成長する。枝葉は人間でいえば、様々なことに興味を持つということでしょう。型という根っこは大事だけど、ひとつのことだけにこだわっていては"勝ち組"にはなれません」
ある意味、土俵は人生の縮図です。白鵬さんには、左足で鋭く踏み込み、左前みつ、そして右四つという得意の「型」がありました。右手で相手のまわしを取り、左上手を引きつけての上手投げ、寄り切りで多くの白星を積み重ねました。
ところが、です。進退をかけて臨んだ2021年の名古屋場所、初日の小結・明生戦で、白鵬さんは、いつもとは逆の右足から踏み込んだのです。
理由は、こういうものでした。
「自分の立ち合いは左足から踏み出し、左前みつを取るというのが基本。でも、それでは痛めている軸足の右足に体重が乗り、ひざに負担がかかる。いつも通りにやってしまうと、15日間ひざがもたない。野球でいえば、右打者がいきなり左打席に立ったようなものです。でも、それに気が付いた人がどれだけいたか......」
■「横綱としての使命」
白鵬さんの右ひざは、ボロボロの状態でした。損傷した右ひざ半月板の手術を20年8月に受け、その年の秋場所、九州場所、そして翌21年の初場所と3場所連続休場。4場所ぶりに復帰した春場所も、左ひざの違和感を理由に途中休場。続く夏場所も休場に追い込まれていました。
取り組み後は、ひざにたまった水を注射針で抜き取る施術が常態化しており、医師からは、「このままでは引退後、日常生活にも支障をきたす」と注告を受けていました。
それでも土俵にこだわったのは、「横綱としての使命を果たすため」でした。
白鵬さんには、尊敬する横綱がいました。それは白鵬さんが塗り替えるまで、幕内最高優勝記録(32回)を保持していた"昭和の大横綱"大鵬幸喜さんです。言うまでもなく白鵬さんの「鵬」は大鵬さんにあやかったものです。
07年5月、横綱昇進を果たした白鵬さんは、横綱としての心得を学ぶため、大鵬さんのもとを訪ねました。
そこで二人は4時間も膝を突き合わせたそうです。
「いきなり大鵬さんに言われました。『わしは21歳で横綱になった。なったときに引退することを考えたよ』と。それを聞いた瞬間、全身に鳥肌が立ちました。大横綱と呼ばれた大鵬さんでも、そんなに弱気だったのかと。このときに『綱の重み』をずっしりと感じ、頑張らなきゃいけないなと思いましたね」
話を最後の土俵となった21年の名古屋場所に戻しましょう。初日、明生関に勝った白鵬さんは、その後も右足からの踏み込みで白星を積み重ね、横綱・照ノ富士との千秋楽全勝対決は従来通り左足から踏み込み、小手投げで勝利しました。結局、15戦全勝で45回目の幕内最高優勝を果たしました。まさしく「型を持て、でも型にはこだわるな」を実践し、有終の美を飾ったのです。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




