A猪木、力道山との師弟愛。前田山の「コイツいい顔してるな」にニコッ【二宮清純】

A猪木、力道山との師弟愛。前田山の「コイツいい顔してるな」にニコッ【二宮清純】

一世を風靡したプロレスラー、アントニオ猪木さんの師匠が、日本にプロレスを持ち込んだ"戦後のヒーロー"力道山であることは、よく知られています。猪木さんは付き人として、力道山を支えました。

■「この男を連れてこい!」

猪木さん一家がブラジルに移住したのは1957年のことです。猪木さんはまだ14歳でした。弟の啓介さんによると、「奴隷のような毎日」だったそうです。

「目的地のコーヒー農園に到着し、案内された住まいには、電気もなければ水道もなく、トイレすらなかった。でも、もっと大変だったのは農園での労働です。主な作業はコーヒー豆の収穫や雑草の除去で、高さ4m以上あるコーヒーの木から実をしごき落として袋詰めします。そしてトラックに積むのですが、1袋が60㎏くらいあって、それを荷台に積み上げていたのが兄貴でした。銃を持った農園の作業監督者が何度も監視にやってくるので、サボることも逃げることもできない。小学生だった私は学校に通わせてもらえましたが、兄貴は仕事の厳しさから中学校をやめざるを得なかったんです」

そうした苦難のさなかに、猪木さんは力道山と巡り合います。力道山は1958年11月と60年3月の2度にわたってブラジル遠征を行なっていますが、啓介さんによると「兄貴が会ったのは2度目の遠征の時だった」ようです。

投擲競技の選手だった猪木さんは、サンパウロ大会円盤投げの部で優勝し、活躍ぶりがでかでかと新聞に載りました。その記事が力道山の目に止まり、「この男を連れてこい!」となったようです。

力道山との最初の出会いを、猪木さんは自著『猪木寛至自伝』(新潮社)で、こう述べています。
<初めて会う力道山の印象は、圧倒的だった。百八十ちょっとの身長なのに、ずっと大きく見える。オーラが出ているという感じである。こっちはそんな偉い人の前に出たこともないから、緊張して何を話したかもよく覚えていない>

10代の猪木さんにとって、力道山は雲上人でした。その力道山が付き人に指名したくらいですから、裏を返せば「こいつはモノになる」との確信があったのでしょう。

しかし、3年に及んだ付き人生活は、猪木さんにとっては「地獄そのもの」でした。

<手も早かったが、口も悪かった。私はちゃんと名前を呼んで貰ったことなんてほとんどなく、大抵は「アゴ」。「おいアゴ」である。気に入らないと「乞食野郎」とか「この移民のガキ、ブラジルへ追っ帰すぞ」と怒鳴られた>(同前)

■幻の力士転向計画

今ならパワハラのオンパレードですが、当時、そんな言葉はありません。まして相手は、空手チョップを武器に外国人ヒールを片っ端からやっつける英雄の力道山です。猪木さんは黙って耐えるより他ありませんでした。

こんな記述もあります。
<私は跪いて、編み上げの靴を構え、力道山の足を支える。うまく一発で入るときもあるが、失敗すると力道山が少しよろけてしまう。そういうとき、口べらでピシャーンと顔を叩かれたのである。痛みよりも、屈辱。大勢の人が見ている前で恥をかかされ、涙がぼろぼろこぼれた。私も人の目が気になる年頃だ。あの悔しさだけは忘れられない......>(同前)

そんなある日のことです。いや、正確に記しましょう。1963年12月8日のことです。昼間、突然、日本プロレスの合宿所に電話がかかってきて、猪木さんは力道山のマンションに呼び出されました。部屋に入ると、親交のある元横綱・前田山の高砂親方がいました。

実は高砂親方と力道山の間で、猪木さんを力士にするという計画が進んでいたのです。


以下は生前、私が直接、猪木さんから聞いた話です。
「この世界の流儀で、まずは駆け付け三杯。ジョニ黒をコップで並々三杯。もちろんストレートですよ。
オレが飲み干すのを待って親方が『オッ、コイツいい顔してるな』と言ったんです。それを見た力道山はニコッと笑って『そうだろう』と言ってくれた。
オレはいつも叱られてばかりいたので、この一言でどれだけ救われたことか......。『先生はちゃんとオレのことを見てくれているんだなァ』という喜びと安心感。その晩なんですよ、力道山が刺されたのは......。それがヒーローの運命だったんでしょうね」

猪木さんが語ったように、赤坂の高級ナイトクラブ「ニュー・ラテンクォーター」で力道山が暴力団員に腹部を刺されたのは、その夜のことでした。

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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