金メダリスト高橋尚子「24時間は平等に与えられたチャンスの時間」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.06.04
2000年のシドニー五輪で、日本人選手として初めて女子マラソンの金メダリストとなり、女子アスリートとして初の国民栄誉賞を受賞した高橋尚子さんは、数々の名言を残しています。それらは、今の世に生きる人々にも、きっと大きな示唆を与えてくれるはずです。
■先に仕掛ける
高橋さんは1997年1月の大阪国際女子マラソンを皮切りに、競技者として12のマラソンレースに出場しています。そのうち7つのレースで優勝を飾っています。
ハイライトは、なんといっても2000年シドニー五輪での金メダルでしょう。
高橋さんが仕掛けたのは18キロ付近でした。いきなりペースを上げ、15人近い集団を壊しにかかったのです。
余談ですが、私は彼女を「マラソン界の織田信長」と呼んでいました。彼女の出身地である岐阜は、この地を「天下布武」の拠点とした信長が命名したと言われていますが、もちろん、それが主な理由ではありません。
集団についていくのではなく、自らが主導権を握ってレースをつくり、追いすがる者をバッサバッサと斬り捨てていく彼女の破壊的な走りが、先制攻撃を得意とした信長の戦いに相通じるものがある、と考えていたからです。
シドニーのレースが、まさにそれでした。27キロ過ぎからリディア・シモンさん(ルーマニア)との一騎打ちの様相を呈します。
ここでも先に仕掛けたのは、高橋さんでした。35キロ地点でお気に入りのサングラスを放り捨て、ライバルを斬り捨てにかかったのです。
上り坂を前にしてのスパートは、シモンさんにとっては誤算だったはずです。見る間に2人の差は広がり、39キロ付近では、約100メートルの差がつきました。
35キロ地点でのスパートは、競技場に入ってからの勝負を避けるための、練りに練った作戦でした。
■用意周到な作戦
レース後、監督の小出義雄さんは、私にこんな秘策を明かしました。
「私たちね、32キロのところに宿舎をとってたの。ここで毎日、朝夕2回(アップダウンが続く)32キロから37キロ地点の5キロをスパートする練習をしたんだ。"ここが勝負だよ、こが勝負だよ"といいいながらね」
それを受けて、高橋さんはこう言いました。
「私はアップダウンが好きなので、32キロから35キロの間は少しでも離したいと思った。シモンさんは(米ボルダーの)練習で見ていても強い人だと分かっていたし、トラックまでは一緒に行きたくないと思っていました」
2人で練り上げた用意周到な作戦が、本番で実を結んだのです。
高橋さんの名言のひとつに、次の言葉があります。
「陸上にかぎらず、今暗闇にいる人や悩んでいる人、一日だけの目標でも3年後の目標でも、何でも目標を持つことで、すごく一歩一歩一日一日が充実すると思います。どうか夢を持って、一日一日を過ごして欲しいと思います。そして、小学校・中学校の子ももちろんなんですけど、私と同じ30代そして中高年の皆さん方も、24時間という時間は皆さんに平等に与えられたチャンスの時間です。もう二度と来ないこの一日の時間を精一杯、そして充実した楽しい日にして下さい」
これは、最後の優勝となった2005年11月の東京国際女子マラソンを走り終えた直後のインタビューに答えたものです。
24時間は平等に与えられたチャンスの時間――。それをいかすも、殺すも結局は自分次第ということなのでしょう。過ぎ去った時間は、2度と帰ってはこないのですから......。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




