声優・上田瞳インタビュー#1「たった一言だった声優の初仕事。そのときの気持ちを忘れずにいたい」

声優・上田瞳インタビュー#1「たった一言だった声優の初仕事。そのときの気持ちを忘れずにいたい」

「ウマ娘 プリティーダービー」のゴールドシップ役をはじめ、「来世は他人がいい」の染井吉乃役、「気絶勇者と暗殺姫」のアネモネ役など、力強い声と繊細な表現を活かした演技力で、数々の話題作で鮮烈な印象を残し続ける上田瞳さん。このインタビューでは、全3回にわたってその意外な素顔から役作りまで、出演作品とキャラクターを振り返りながら、その人となりに迫ります。

■プラバンに好きなキャラを描いていた幼少期

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――今日は、よろしくお願いいたします。先ほどの動画撮影で「もし声優になっていなかったら...」という質問に「公務員になっていたと思う」と答えられていたのが、意外でした...!

「いや、ほかにやりたいことが本当に思い浮かばなくて...(笑)。じつは以前、養成所で一緒だった子に『瞳ちゃんは、ふつうの会社勤めだと大変だったと思う』って言われたことがあって。その言葉がずっと心に残っていて、ああ、そうなのかな、と。だから、ほかの職業についてまったく考えたことがなくて、"公務員"という選択肢しか思い浮かばなかったのかもしれないです(笑)」

――じゃあ「公務員」とは答えつつも、本当の気持ちは「声優以外にはないな」というほうが近いんですね...!

「そうかもしれないです。でも、いまふと思い出したんですけど、幼稚園の頃は『パン屋さんになりたい』って、言っていたような気がします。小さい頃は、いまからじゃ考えられないくらいもっと自信満々な子だったんですよね」

――その「自信満々だった」という幼稚園時代のことは、ご自身でも記憶にあるんですか?

「そうですね、自分でも記憶にありますし、家族の話を聞いていてもそう感じます。写真写りからして、いまとは全然違うんですよ(笑)。いまは写真に撮られるなら端っこにいるほうが落ち着くんですけど、当時はつねに真ん中で『イエイ!』ってポーズを決めるようなタイプ。それが年を重ねるにつれてどんどん自信がなくなっていって、気づいたら自信のない人間になってしまい...。いまこうしてインタビューを受けているのも不思議なくらい(笑)」

――そんなに(笑)。ちなみに、アニメはそのときから好きだったんでしょうか?

「そうですね、元々すごく好きで、基本的にはずっとアニメを観て過ごしてたと思います。一番古い記憶にあるのは『ポケモン』や『アリスSOS』ですけど、ほかにも『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』『名探偵コナン』『クレヨンしんちゃん』などなど。子どもが観るような作品はとりあえず全部、網羅していましたし、弟がいるので『ONE PIECE』『ロックマン』とか少年向けのアニメも一緒に観ていました」

――アニメに触れている時間が、すごく長かったんですね。

「そうそう、当時よく通っていた場所があって。近所の『本能寺児童図書館』。土日に開放されている場所で、マンガや絵本が山ほど置いてあるんです。そこで定期的に、『プラバン作り』が開催されるのが大好きで、見ているアニメのキャラクターでプラバンをたくさん作っていましたね。小学生の頃の週末は、『ちょっと児童図書館行ってくるわ!』っていうのが習慣でした」

■衝撃を受けた中井和哉さんのナレーション

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――声優という職業を意識し始めたのは、いつ頃のことだったんですか?

「中学2年生のときでした。当時、友達になった子がアニメ好きで、その子が声優を目指していたんです。それまでの私は声優という存在をまったく意識せずに、アニメや吹き替えの映画を観ていたんです。でも、その子と話すうちに『声優さんはアニメだけじゃなく、ラジオもやるし、イベントにも出る、さらにはCDまでも出せる!』って知って。そんなに色んなことができるんだ!だったら私もなりたい、と思ったのが最初のきっかけでした」

――そこで、声優という職業とどんなことをしているかを知ったんですね。

「そうなんです。声優の存在を意識するようになってからは、少しずつ『あ、この声はあのキャラと同じ〇〇さんだ!』っていうのがわかるようになってきて。とくに中井和哉さんのナレーションを聴いたときには『ゾロの人だ...!』と知って衝撃を受けたんです。それは、声優を志すきっかけとして、ものすごく大きかったかも」

――それって、どんなふうに衝撃だったんですか?

「ただただ『すごい!こんなになんでもできるなんて楽しそう!』っていう純粋な感動と同時に、キャラの声を演じる人がナレーションもできるのかという、その活躍の幅広さにも驚いたんですよね。最近...というか声優になってようやくわかってきたんですけど、声優のスペシャリストとナレーションのスペシャリストって、本来は求められるものが別物なんだろうな、と。声優は役を演じるので主観が強めだけど、ナレーションの場合は、第三者の視点が大事。たとえば報道番組でナレーターの主観が入りすぎると、それは"客観的な報道"ではなくなってしまう。立ち位置のスイッチングが必要なんです」

――なるほど、おもしろいですね...!

「中井和哉さんはその切り替えが本当に、恐ろしいほどに素晴らしくて。学生の頃は『ただただすごい...!』と思ってただけでしたけど、声優になってからその技術に改めて感銘を受けて、いまでも尊敬する声優さんの一人です」

■「あれ、私声優になりたかったんじゃなかったっけ?」

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――その中井和哉さんへの憧れから、声優の道を志す決心がついたんでしょうか?

「じつはもうワンクッションあって、大学時代にはヨット部に所属したんです。それも結構厳しめで、しっかりやる体育会系の。元々、体育会系の部活でしっかりやりたいとは考えていたんですけど、ほかのサークルだと山側の校舎で活動しているところが多くて、私は町寄りの校舎に自転車通学できるくらいの距離だったので、山側に行くのはしんどそう...と思ってたら、ヨット部の活動はおもに琵琶湖。『琵琶湖ならいっか』という謎理論が発生して、ヨット部に入ることになりました」

――ヨット部に?!めずらしいですが、それが声優を目指すことにつながったんでしょうか?

「ヨット部に入って1年間、週末の土日、夏休みは合宿って感じで、そのたびに琵琶湖に行って活動してきて、『私、就職活動するときには「ヨット部の活動をしてきたことで、ガッツあります!」とかいろいろ言えることができたな』と考えるようになったんですけど、ふと『あれ、でも待って。私、声優になりたかったんじゃなかったっけ?』っていうのを思ったんです。親も、『好きなことをするなら学生のうちまで』って言っているし、それなら『大学にいる間にちゃんと声優を志したほうがいいんじゃない?』って思ったんです。それで、ヨット部を辞めることにしました」

――その決断が、本当の意味でのスタートラインになったんですね。

「そうなんですよ。でも、その1年間のヨット部での合宿漬けの活動は貴重な経験だったし、すごく勉強にもなりました。それからは『大学に通いながら土日は大阪の養成所に通う』という生活を2年間続けました。あのヨット部での合宿生活を経ていたからこそ、自分の時間をどう使うべきか、覚悟が決まったんだと思います」

■人一倍強い責任感

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――学生時代には、どんなアルバイトをされていたんですか?

「ヨット部時代は、カフェチェーンでバイトをしていました。そのお店では、皿洗いとしては輝いていたものの、レジやドリンク提供をやると、もうパニックでした(笑)」

――ええっ!?それはなぜ?

「たとえば、サンドイッチを作るとき、マニュアルには『マヨネーズは数字の3を書くように出すとちょうどいい量です』とか書いてあるけど、それって自分がどんな力加減にするかでマヨネーズの量が変わるじゃないですか...!そしたら、当然味も変わる。『お金をいただくのに、私のさじ加減で味が変わるなんて責任が取れない!』って思っちゃって(笑)。いま思えば考えすぎだってわかるんですけど、当時は本気でお金が発生することに対して過敏でした」

――きっと責任感が人一倍強かったんじゃないですか?

「良く言っていただくと、そうなのかもしれないです(笑)。結局、そのお店には、改修工事でしばらくシフトに入れなくなったタイミングで、『全部忘れちゃうかも』と思って辞めました。その後、養成所に通いながら東京行きの資金を貯めるために始めたスポーツジムの受付事務は、3年くらい続けていました」

――カフェでの経験を経て、少しずつ「働くこと」に慣れていった?

「そうですね。ジムで働き始めてから、電話を取るのも、カフェよりも大きなお金を取り扱うのも、最初は会社の損になるんじゃないかと怖くて仕方がなかったです。でも、一つひとつ業務をこなしていくことで、少しずつお金を取り扱うことにも慣れていきました。社会を知らなかった私にとっては、それはすごく良いきっかけになったなと思います」

――でも、それだけ責任感が強いと、いざ声優の世界に入ったときには相当プレッシャーも感じてしまうような気もしますが...!

「もちろん、初めてのアニメの現場はすごく緊張しましたよ。脇にいるモブキャラで、ただ『はい!』っていう一言、それも私だけじゃなくて3人で一緒に言うだけなのに、とにかく『迷惑をかけないように...!』『とちらないように...!』っていう気持ちでいっぱいでした(笑)。

でも、たったそれだけのセリフでも、私にとってはそれだけでもすごく印象的な現場なんですよね。たしか七夕の日前後で『お仕事決まりました』っていう連絡を、事務所のスタッフさんからお電話でいただいて。この世界はお仕事をいただけるまでだけでもすごく大変なので、『初心忘れるべからず』じゃないですけど、そのときの気持ちをいつまでも覚えていたいなって思います」

■方言の使い分けでパニックに...!?|「来世は他人がいい」染井吉乃

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――「来世は他人がいい」では主人公・染井吉乃役を務められています。ここぞという場面で啖呵を切る姿がかっこいい女の子ですよね。

「本当にそうなんです!でも、じつは吉乃は性格的には私と、真逆な感じで(笑)。もちろん私自身、普段の生活で人に啖呵を切ることなんてまずありませんし...。だからこそ、最初は決められた尺の中で『啖呵を切る』、カッコつけるというお芝居が、これほどまでに難しいものなのかと痛感しました」

――あのドスの効いたセリフ回しの裏側では、いろいろな試行錯誤があったんですね。

「じつは、最初は京都弁を話す明石潟椿役でオーディションをいただいていたんです。でも、マネージャーさんが『吉乃も合うと思うよ』と勧めてくれて。そこからいただいたチャンスだったので『絶対に受かりたい!』という強い思いで挑みました」

――そうか、椿が京都弁で、上田さんも京都出身でしたもんね。

「一応京都出身ではあるので本来は自分は京都弁風の訛り。でも、ありがたいことに吉乃の役がいただけたので、方言の部分では大阪弁でのお芝居になりました(笑)。方言に関しては、イントネーションはかなり違う部分があるので、現場にいた大阪出身のスタッフさんに細かくディレクションをいただきながら、その場で必死に直していく感じでしたね」

――たしかに、方言の微妙なニュアンスの違いって、慣れているからこその難しさもありそう。

「そうなんですよ。あと、吉乃は設定として『標準語を完璧にしゃべれる』必要もあって。おじいちゃんから『郷に入っては郷に従え』と言われているので...!だから基本はきれいな標準語。でも、感情が高ぶると関西弁が出る。その使い分けは、もうパニックになりそうでした(笑)」

――えと、京都弁の上田さんが大阪弁の吉乃を演じて、その吉乃が標準語をしゃべる(笑)。ちゃんと整理してしゃべらないとわけがわからなくなりそうです。

「だから、台本にはマーカーを引いて、視覚的にスイッチを切り替えていました。標準語のセリフは緑、関西弁はピンク、というふうに。パッと見て『いまはこっち!』と自分に言い聞かせないと追いつきませんでした」

――啖呵を切るシーンなどは、かなり緊張されたのではないですか?

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「緊張はもちろんありましたが、とにかく自然な怒りや感情を乗せることで、結果的にはうまくいくと信じて演じました。現場に入って最初の頃は、『失敗してはいけない』という気負いが強すぎるときもあったんですけど、後半になるにつれて少しずつ気持ちにも余裕が出てきて。同じ啖呵を切るのでも、前に出すばかりじゃなく、あえて『引く』お芝居も意識できるようになっていきました」

――より自由に表現できるようになっていった?

「自分ではそうだと思っているんですけどね......。ただ作品って、なによりお客様のものですから。観てくれたみなさんが『吉乃の啖呵を切るシーン、かっこよかった!』と思ってくださったのなら、きっとそうだったんだと自信が持てるような気がします」

■石田さんとのお芝居から"会話の本質"を学んだ|「来世は他人がいい」染井吉乃

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――染井吉乃というキャラクターを演じるにあたって、上田さんは彼女をどのような女の子だと捉えていましたか?

「『女性が憧れるかっこいい女性』という部分は、すごく意識していました。でも実際にマイクの前に立ったときは、あまり複雑に考えすぎず、自分の感情を素直に乗せていくことを大切にしていた気がします。ディレクションでも、細かい指示というよりは『ここのセリフ、もっとかっこよく!』と求められることは多かったですね」

――吉乃自身、思ったことをストレートにぶつけるタイプですもんね。

「そうなんです。ただ、キャラクター同士の距離感については、原作者の小西先生からもていねいにディレクションをいただきました。翔真に対しては、家族として『心の距離が近い感じ』。だから彼としゃべるときに、吉乃はどこかやさしいトーンになるんです。でも、霧島に対しては真逆。正直、"敵"じゃないですけど、最初はそれに近いくらいのイメージでしゃべってましたね(笑)」

――たしかに、あの異常なキャラクター性は警戒して当然ですよね(笑)。

「吉乃からしても、きっとそうじゃないですか。一瞬でも気を許したら命の危険すらある。そんなヒリついた緊張感を、霧島と翔真での演じ分けに込めていました。ただ、物語が進むにつれて関係性は変化していくので、霧島に対しては『負けたくない』という気持ちに、霧島のことを知ることで生まれた友愛、親愛、みたいな感情がプラスされていったのでそこを表現できなければと思っていました」

――たしかに、どんどん吉乃が霧島に負けじと前に出ていく感じがありました。

「私自身も、負けず嫌いな性格ではあるので、性格的には真逆な吉乃でしたけど、そこは共通点だったかもしれません。声優を目指すと決めてヨット部を辞めるときも、『辞めるからには、音の中に私の声がある生活じゃないと許せない』と自分に課していた時期があったし。その頃の思いが、吉乃の内面とシンクロしてくれたらいいな、と思ってマイクに向かっていました」

――でも、周りのキャスト陣の顔ぶれが石田彰さんをはじめ、ベテラン揃いじゃないですか...!それもかなりプレッシャーがあったんじゃないですか?

「それは自分が観ていた作品に出演されていた方々ですから、プレッシャーは凄まじかったですよ。初めて主演をさせていただいた作品でもありますし...!でも、『ここで迷惑をかけちゃいけない』というマインドで収録に臨んだら、それは吉乃じゃなくなっちゃう。『私が真ん中だ!』くらいな気概がないと、主役としても、吉乃としても足りないんだろうという気持ちはありました。なので、受け取り方によってはすごく失礼な言い方になってしまうかもしれないのですが、『石田彰さんに負けてしまうようではダメだ!』と思って、自分を奮い立たせるくらいじゃないと...」

――それは、吉乃というキャラクターもあって、そういう気持ちで収録にのぞんだんですね。

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「はい、吉乃自身も、霧島の隣にいて命の危機を感じていると思うので、『一瞬でも気を抜いちゃいけない』という意味では、同じ熱量でぶつからないと彼女にはなれないと思っていました。でも、そうやって毎話、ベテランの方々にも気後れしないようにアフレコに向き合ったことで、自分にとってはすごく成長する機会になったなと思っています。とくに、石田さんと真っ向から掛け合いができたのは、本当に貴重でした」

――石田さんとのやりとりから、どんなことを受け取ったんでしょうか?

「吉乃と霧島の会話シーンって、結構長いものが多くて、ときには5分以上も二人だけでしゃべり続けるシーンがあるんですよ。長い会話って、やっぱりお互いの感情のやりとりによって成立するので、積み重ねていく感情の方向が違うと、やっぱり観た方が違和感を感じてしまうと思うんです。相手の言葉を聞いて、ちゃんと受け止めた上で自分がしゃべる。そこを、『吉乃と霧島ならこうだろう』という、物理的な距離感と心の距離感を、ある意味ちゃんと成立させることができたのかなって。石田さんとのやりとりから、"会話の本質"を肌で感じることができたような気がします」

――大先輩の胸を借りて、全力でぶつかった経験は何物にも代えがたいですね。

「自分が座長として、あそこまでしゃべり倒したからこそ、明確に感じた学びがありました。同世代との共演も、また違った刺激にはなるけど、先輩と向き合うことで得られるものも本当に大きいと思います。技術的にも一つ階段を登るきっかけになったと思いますし、そういう意味でも、この作品は私にとって大きな転機であり、大切な代表作なんだなって思っています」

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取材・文/郡司 しう 撮影/梶 礼哉

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