芦田愛菜&鈴木福のリアルな姉弟感「マルモのおきて」を今こそ見返すべき理由!
2026.05.01
2011年にフジテレビ系で放送されたファミリードラマ「マルモのおきて」は、当時子役だった芦田愛菜と鈴木福のコンビが大きな話題を呼び、社会現象ともいえる人気を博した。主演は阿部サダヲが務め、独身サラリーマンの"マルモ"こと高木護を演じている。物語は、急逝した親友・笹倉(葛山信吾)の遺した双子の姉弟、薫(芦田)と友樹(鈴木)を引き取り、不器用ながらも育てていく姿を描く。血のつながりを超えて築かれていく家族のかたちは、多くの視聴者の心を打った。

大胆な子役起用と阿部サダヲが見せる"未熟な父性"
2000年代には、「あいのうた」(2005)や「マイガール」(2009)など、"疑似家族"をテーマにしたドラマがヒットしていた。そうした流れの中で本作は、「独身男性が他人の子どもの父親代わりになる」という設定で企画される。中でも特筆すべきは、物語の中心に子役を据えた点だ。芦田愛菜と鈴木福は当時わずか6歳。準主役ともいえるポジションへの起用は大胆な試みだったが、2人の自然体のやりとりは視聴者の心をつかみ、回を追うごとに支持を拡大。最終回では23.9%という高視聴率を記録し、作品の顔として人気を決定づけた。

突然始まる"父親代わり"の生活に戸惑いながらも、護は不器用なりに子どもたちと向き合い続ける。失敗や衝突を重ねながら、少しずつ「父親らしさ」を身につけていく過程こそが、本作の核となるドラマだ。人の言葉を話す犬・ムックの存在などファンタジー要素を織り込みつつも、現実と非現実が緩やかに溶け合う世界観が、物語に奥行きを与えている。
さらに、阿部サダヲの演技が作品に確かな説得力をもたらしている。不器用で短気、時に荒っぽさも見せる一方で、根底には優しさを宿す護という人物を立体的に体現。戸惑いから愛情へと移ろう感情の機微を丁寧に描き出し、「理想の父親」ではなく「未熟で不完全な大人」としてのリアリティを際立たせている。

芦田愛菜と鈴木福が生み出した"リアルな姉弟感"
芦田愛菜は、しっかり者の姉・薫を繊細に演じている。聡明で大人びた振る舞いを見せながらも、内面には不安や寂しさを抱える少女の揺らぎを自然に表現。護に叱られて涙を見せるなど年相応の一面とのコントラストを違和感なく体現し、"天才子役"と称された評価に説得力を与えた。
一方、友樹を演じた鈴木福もまた、純粋で心優しいキャラクターを自然体で演じきる。泣き虫で甘えん坊ながら、「お姉ちゃんをいじめるな!」と護に立ち向かう場面では芯の強さものぞかせる。芦田との息の合った掛け合いが、作り物ではない"姉弟の空気感"を生み出している。

本作のユニークさは、物語の推進力を"大人の事情"ではなく、子どもたちの素朴な疑問に委ねている点にある。大きな事件に頼らず、「小さな出来事」を積み重ねることで、気づけばこの家族の行く末から目が離せなくなる。ファンタジーの要素を内包しながらも、「命」や「約束」といった普遍的なテーマに向き合うことで、作品は確かな感動へと昇華されている。

物語に厚みをもたらす俳優陣と"社会の中の家族"
本作は護・薫・友樹の3人を軸に据えながら、周囲の大人たちの存在によって物語に厚みをもたらしている。比嘉愛未演じる畑中彩の包容力、居酒屋「クジラ」の大将でありアパートの大家でもある畑中を演じる世良公則の情の深い芝居が、作品に温もりを添える。さらに、伊武雅刀、滝沢沙織、小柳友といった同僚陣、そして交番勤務の警察官・千葉役の児嶋一哉も、それぞれ確かな存在感を放つ。

彼らは単なる脇役ではなく、家族というテーマを多角的に照らす役割を担っている。彩が支えとなる存在である一方、滝沢演じる同僚は他人の子どもを育てることへの疑問を体現し、異なる価値観を提示する。伊武演じる上司は人生の重みを示し、世良演じる畑中は"父親の先輩"として護を見守る立場にある。こうした人物配置によって、家族は閉じた関係ではなく、社会との関わりの中で形づくられていくものだという視点が浮かび上がる。

また、子役2人の存在感に寄りかかることなく、共演陣が"引き算"の演技で作品を支えている点も見逃せない。過剰に感情を表に出さず、あえて抑制することで画面にリアリティが生まれ、全体の調和が保たれている。放送当時は、芦田愛菜と鈴木福の卓越した演技やエンディングの愛らしいダンスに注目が集まった。しかし改めて見返すと、阿部サダヲが体現した"未熟な父性"や、大人たちそれぞれの価値観や葛藤にも気づかされる。視点を変えることで、本作はさらに豊かな表情を見せてくれる。
文/渡辺敏樹




