野村克也、どん底からのスタート。「目的のない練習はひとつもない」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.03.26
プロ野球の開幕が近付いてきました。今シーズンはセ・パ両リーグともに3月27日にスタートします。そこで今回は"名言の宝庫"として知られる野村克也さんから、生前に聞いた言葉を紹介します。
■1年で解雇通告
野村さんは、自他ともに認める"苦労人"です。日中戦争に招集された父親は36歳で戦病死しています。母は病弱で家は貧しく、野村さんは小学4年時から新聞配達で家計を支えてきました。
<新聞配達は中学三年まで、六年間やりましたわ。一区域が五十軒ほど。確か二区域やると家賃が出るというんで、むりやり二区域もたせてもらった。冬が大変だった。六時といっても外はまだ真っ暗でね、よく雪に足をとられて溝に落ちた。楽しかったのは元日の朝くらい。配達先の家でお年玉をくれるんで、つい挨拶の声も大きくなってね。五年生の夏休みから、アイスキャンデーも売った。当時からテレ屋で、大きな声がよう出せない。暑いからもたもたしているととけてしまうし、そりゃあみじめだったですわ>(『月見草の唄』長沼石根著、朝日新聞社)
中学卒業後は、地元のちりめん屋で丁稚奉公する予定でした。野球が得意な本人はプロ野球選手になる夢を抱いていましたが、戦後、中卒のレギュラー選手は数えるほどでした。そこで兄が学費を出すことを条件に、母親は高校進学を認めたといいます。
高校で野村さんは"強打の捕手"として鳴らしました。先の著作によると、峰山高(京都)の2年夏から3年春にかけて、野村さんは以下の打撃成績を残しています。
<一二試合、四七打数二〇安打、打率四割二分六厘>
20安打の中には3本のホームランが含まれています。また足も速く、19盗塁。<一試合八盗塁>という驚くべき記録が目を引きます。
高校卒業後、テスト生として南海ホークスに入団。しかし1年目の1954年、11打数無安打に終わると、オフには球団から解雇を通告されます。
今なら、「高卒の捕手が1年目から試合に出ただけで立派じゃないか」という評価が下されるでしょうが、高卒であれ大卒であれ、当時は1年1年が勝負です。野村さんは「もう1年おいてくれ」と懇願し、首の皮一枚つながったのです。安い年俸が吉と出ました。
さて1軍に上がるには、どうすればいいか。レギュラーになるには、どうすればいいか。それ以前に、生き残るには、どうすればいいか――。野村さんは野球について、より深く考えるようになったといいます。
■「恵まれ過ぎ」の弊害
以下は、生前、野村さんから聞いた話です。
「今の若い選手は恵まれ過ぎていますよ。練習のときの一球一球の環境がまず、全然違う。昔はピッチングマシーンはない、バッティングコーチはいない、雨が降ったら練習できないとないない尽くし。僕たちが1軍に上がりたての頃は、キャンプでバッティングができないときもあったんです。1日平均で5スイングとか。
やっとレギュラーを取ってからも、キャンプでは1日10本という打撃練習量で、当時は『投高打低』なんて言われていました。
だから、今の人たちをみていると歯がゆくて、思わず『何を考えて打っているんだ』と聞きたくなる。工夫してバッティングをすることの意味が分かっていない。本当に、ただ打っているだけなんです。『特打』などといって、時間の制約もなく、何百本も打っている。
バッティングが上達したければ、一振りずつの感触を確かめ、その中から『これだ』という感触を会得しなければいけない。
ときどき、打撃練習している選手に『おい、今何を意識してやっているんだ』と聞くと、相手はそこで考え込んでしまう。
そこで『それなら練習なんかするな。目的のない練習はひとつもない。練習は野球の行動原理そのものだ』と言うんです。
あらゆる練習には動機付けと目的があって、目的があって初めて行動に移ることができるんです」
恵まれるは、恵まれないと同じこと――。野村さんは、こうも言います。逆もまた真なり、ということでしょうか。
人は与えられ過ぎると、努力や工夫の大切さを理解することなく人生を終えてしまうとも、野村さんは語っていました。ましてプロ野球選手は1年1年が勝負です。午(うま)年の今年、若い選手の跳ねるような活躍が見たいものです。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




