猪谷千春から皆川賢太郎へ「彼にメダルを渡したかった」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.02.26
冬季五輪における日本人初メダリストは、今から70年前の1956年コルティナ・ダンペッツォ大会の猪谷千春さんです。アルペンスキーの回転で、アルペン競技3冠(滑降、回転、大回転)を達成したオーストリアのトニー・ザイラー選手と4.0秒差の2位に入り、見事銀メダルを獲得しました。
■「ブラックキャット」
猪谷さんのニックネームは「ブラックキャット」。五輪初出場の52年オスロ大会で黒いユニホームを着用したところ、こう呼ばれるようになったそうです。欧米のメディアでは、ターンでの素早い身のこなしが「黒猫」のように映ったのかもしれません。
しかし、コルティナ・ダンペッツォ大会での銀メダルは、順位が確定するまでに一悶着ありました。米国とスウェーデンのコーチが、「イガヤは第6関門を通過していない」と審判団に抗議を行なったというのです。
実際のところは、どうだったのでしょう。
<4~5時間は待たされたのではないでしょうか。1回目に6位だった私は、2回目、6番目の旗門を倒しながらギリギリで通過しました。完全通過でなかったと言われても仕方ないくらいの際どい状況でした。当時、片スキーが旗門の外へ出ていたら、それは不通過ではなく、ペナルティーで5秒加算となります。そうすると私が4位に落ち、3位のスウェーデンが2位に、4位のアメリカが3位に繰り上がれることから、クレームがつきました(後略)>(『スポーツ歴史の検証』オリンピアンかく語りき 第6回 日本人初の冬季五輪メダル 猪谷千春 笹川スポーツ財団HP)
猪谷さんを救ったのはイタリア人の旗門員でした。抗議に対し、完全通過を主張し、冬季五輪での日本人初のメダルが確定したというのです。
その猪谷さんが、「彼にメダルを渡したかった」と残念がったことがあります。82年にIOC委員に就任した猪谷さんは、05年から09年までIOC副会長を務めました。
猪谷さんが口にした「彼」とはアルペンスキーの皆川賢太郎さんのことです。
■100分の3秒
06年のトリノ大会は、皆川さんにとって3回目の五輪でした。
回転(スラローム)の1本目、皆川さんは「納得の滑り」で、金メダルを獲ることになる1位のベンジヤミン・ライヒ(オーストリア)と、わずか100分の7秒差の3位に付けました。この種目では、猪谷さん以来50年ぶりのメダルどころか金メダルも視野にとらえていました。
2本目を迎える前、皆川さんは「ギャンブル性の高いレースをする必要はない。8割を心がけよう」と考えていました。
というのも、皆川さんは98年長野大会、02年ソルトレイクシティー大会ともに旗門不通過により失格に終わっていたからです。
だが、運命の2本目、皆川さんは予期せぬアクシデントに見舞われます。あろうことか、序盤で右ブーツのバックルが外れてしまったのです。
もっともレース中に、そんなことは知る由もありません。エッジの調整が悪くてスピードに乗れないのか......。悪いなら、悪いなりにレースを進めなくてはなりません。
「このままじゃ危ない。最後の傾斜面だけ攻めよう」
2本目のタイムは1位と0.97秒差の9位。2人を残して合計タイムで3位。まだ充分にメダル圏内です。
しかし、五輪の女神は皆川さんには微笑みませんでした。結果は3位ライナー・シェーンフェルダー(オーストリア)から0秒03差の4位タイ。
この結果を受けて、猪谷さんはうめくように言いました。
「残念。100分の3秒といえば、距離にすれば30センチくらいじゃないかな」
アルペンスキーのレジェンド猪谷千春さんは、この5月で95歳になります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




