新日本プロレスのエース・棚橋弘至が明かす、引退の裏側【インタビュー・前編】
スポーツ 生中継インタビュー
2025.06.20
2026年1月4日、東京ドーム大会をもって26年間の現役生活に別れを告げる、プロレスラー・棚橋弘至。「冬の時代」と呼ばれたプロレス人気低迷期から名実共にエースとして新日本プロレスを支え続け、見事にV字回復を成し遂げた立役者の一人。2023年からは新日本プロレス社長にも就任した棚橋選手に、自身がプロデュースする6月29日の愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)大会、そして、これまでのプロレスラー人生について語ってもらった。
――昨年10月に引退発表をされました。その段階で残りが1年余りと、かなり早い段階での発表でした。
「そうですね。もともとは、社長就任と同時に『現役生活は残り2年まで』と決まっていたんです」
――それは決定事項だったんですね。
「はい。会社からは社長になったら選手としては『残り1年』って言われたんです。ただ、たった1年で日本全国のファンの皆さんにくまなく『ありがとう』を伝えるのは難しいと思ったので、『2年はやらせてください』とお願いしました」
――現役を続けていくという選択肢はなかったのですか?
「そうですね。形だけの象徴としての社長であればできたと思います。ただ会社からは、売上の数字や人事のことも見て、さらにスポンサーさんとの交渉もできて、というところも含め、きちんと職業としての社長になって欲しいと言われました。今では会議の司会までやっています。こんな後ろ髪を伸ばして(笑)」
―― 6月29日には自身がプロデュースする大会『TANAHASHI JAM〜至(いたる)』が、6月で営業が終了する愛知県体育館(ドルフィンズアリーナ)で開催されます。
「愛知県体育館というのは、新日本プロレスでは東海地方で唯一、ビッグマッチが開催される会場です。僕自身も、IWGPチャンピオンの時に中邑(真輔)と対戦したり、永田(裕志)さんと対戦したり、何度も名勝負を繰り広げてきた場所です。思い出すのは中邑との試合で、当時、中日ドラゴンズにいた山本昌投手をお呼びして、花束贈呈でリングに上がっていただいたんですけど、棚橋や中邑への声援より、山本さんへの声援が一番大きくて。『マサ〜!』って(笑)」
――その頃は、新日本プロレス「冬の時代」といわれる、プロレスの人気が全体的に低迷していた時期ですよね?
「そうですね。長かったですからね、『冬の時代』が(笑)」
――そんな最後の愛知県体育館大会はテレ朝チャンネルでも生中継されますが、プロデュースされる棚橋さんが、この大会にかける思いは?
「この大会は、僕の25年のキャリアの中で、他団体も含めてご縁のある方々に声をかけたので、ちょっとしたオールスター戦になるんじゃないかと。だから正直、僕は全試合に出場したいです(笑)。僕が全員と闘いたいんですけど、そういうわけにもいかないので。僕とご縁があった他団体の選手と、僕が社長として期待する新日本プロレスの選手たちとの闘いを見てもらう大会にしようと。マッチメイクの化学反応も楽しみです。僕自身は、2試合出ようかなと思ってます」
――それはファンの人たちも楽しみです。
「2試合目にはヘロヘロになっているかもしれないですけど(笑)。最近の新日本プロレスでは、選手自身が大会をプロデュースすることも増えてきていますけど、そんな中で『社長クラスになるとこんなにすごい大会ができるんだぞ!』ってところを示さないといけないですから(笑)」
――その大会が終わると、7月からは夏恒例の「G1 CLIMAX」シリーズが始まりますね。
「『G1』は1.4の東京ドーム大会と対をなす、新日本プロレスの夏の名物大会です。短期間でシングルマッチの総当たりリーグ戦が連戦で続くので、体のダメージや疲労が蓄積し、選手にとって体力的にものすごくキツい大会です。その大変さがファンの方にも伝わるからこそ、この大会の優勝者は優勝の栄誉に加えて、リスペクトも勝ち得るんです。それが、『G1』が長く続いている理由のひとつでしょうね」
――棚橋さんの歴史をまとめたシリーズ「棚橋弘至 エースの伝説〜ROAD TO FINAL〜」が同じくテレ朝チャンネルで放送されます。
「この番組を見ると不思議なもので、試合会場の空気感とか、対戦相手の様子とか、当時の記憶がバーッと蘇ってきますね。それから、これはプロレスの一番いい所なんですけど、過去の試合映像が決して古くならないんです。数十年前の試合映像を今、フルで見ても面白い。プロレスっていうのは、むしろ寝かせれば寝かせるほど面白味が増してくるというか」
――棚橋選手といえば、いつも枕詞のように「冬の時代を支えた」ということを言われますが、そのあたりの苦労した時代の様子もこの番組では取り上げられていますね。
「そうですね。でも僕、あの時代は苦労ともなんとも思っていなかったですけどね。やりがいしかなかったから。ただ、その時々の心情の機微みたいなものが、試合中の表情にも出ていて、映像でも伝わると思います。若いときは、本当に笑顔も少ないですし。お客さんからブーイングされている時なんかは、ふて腐れた顔もしているし。そういうところも是非、皆さんに注目してほしいですね。年齢を重ねるごとに、だんだんとエースらしい顔つきになっていったかな、と思うので」
――ご自分で当時の試合映像を見て、どう思われました?
「だいぶ荒削りですよ。試合の組み立ても、技の出し方も。ただ、一生懸命さがあるんですよ、ベースに。なんとかこの現状を打破したいっていう思いがあったので。それが試合中の表情にも、試合後のコメントにも、すべて出ているので。これはもう、言葉で説明するより、番組を見て体感してください」
取材・文/八木賢太郎 写真/中川容邦