ウルフアロン、デビュー戦で載冠「これから先、柔道着を着ることはない」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.01.08
1月4日に東京ドームで行なわれた新日本プロレス「WRESTLE KINGDOM20」。21年東京五輪柔道男子100キロ級金メダリストのウルフアロン選手は、プロレスデビュー戦でEVIL選手を渾身の逆三角締めで締め落とし、いきなりNEVER無差別級王座に就きました。
■猪木イズム継承
入場ゲートに現れたウルフ選手は純白の柔道着姿でした。そのまま花道を進むのかと思いきや、それを脱ぎ捨てます。黒のショートタイツはいわゆるヤングライオンスタイル。新日本プロレスの創設者であるアントニオ猪木さんが提唱した「ストロング・スタイル」を継承するとの意思がにじんでいました。
試合後、入場パフォーマンスについて問われたウルフ選手は「これから先、柔道着を着ることはないというアピールをした」と答えました。
さて相手のEVIL選手は、「HOUSE OF TORTURE(拷問の館)」を率いるトップヒールです。この日も、顔面かきむしりに始まり、椅子攻撃、パウダー攻撃、複数の選手による"集団暴行"と悪の限りを尽くしました。
しかし、こうしたプロレスならではの"洗礼"にもウルフ選手はひるみません。柔道で磨き上げた一本背負いで投げ付け、腕ひしぎ十字固めからの逆三角締めでEVIL選手をレフェリーストップに追い込みました。
いくら五輪金メダリストとはいえ、プロレスでは"白帯"の相手に負けたわけですから、EVIL選手はメンツが立ちません。試合後は一言も発することなく、ドームを後にしました。
一方のウルフ選手は能弁でした。
「これだけ大勢の人が見てくれている中で試合をしたのは、僕の人生で初めて。とても大きな経験になった。今日だけではなく、これからもずっと、これだけの人数に見られながらプロレスをしたいと感じました」
■もうひとつ別の「夢」
韓国の趙グハム選手との9分超の死闘を制し、悲願の金メダルを胸に飾った5年前の東京五輪は、コロナ禍のため会場の日本武道館に観客はいませんでした。
その時の記憶が次の言葉につながっているようにも感じられました。
「柔道では対戦相手に全集中してきた。今日はたくさんの人が応援してくれて、それがすごく力になると感じた。相手だけでなく、(プロレスは)広い視野でやっていかなければいけない」
東海大柔道部元監督の上水研一朗さんによると、ウルフ選手は「元々が目立ちたがり屋な性格」といいます。24年のパリ五輪後に、プロレスラーへの転身を持ちかけられた際にも、「彼には(プロレスが)向いているんじゃないか」との思いから、「やりたいことがあるんだったら、その道で頑張れ」と背中を押したそうです。
「柔道は、もうやり切ったという思いがあったんじゃないでしょうか......」
柔道における「三冠」とは、全日本選手権、世界選手権、五輪の3つの大会の優勝者を指します。ウルフ選手は男子で達成した8人のうちのひとりです。このように柔道の世界では、およそ考え得る最高の栄誉に浴したウルフ選手ですが、彼には、もうひとつ別の「夢」がありました。それはプロレスのリングで輝くことでした。
昨年6月の新日本プロレスへの入団会見で、彼は、こう語りました。
「大学生の頃、録画した『ワールドプロレスリング』を見るのが毎週日曜日の楽しみで、選手の皆さんが裸一貫で闘っている格好良さ、また柔道とは違った見せ方に魅力を感じ、いつか柔道で思い残すこと、やり残すことがなくなったら、プロレスをやりたいと思っていました」
つまり、周囲が驚いたプロレスへの転向も、本人にとっては計画通りだったということです。結びとして、ウルフ選手の29歳での新たなる旅立ちに幸多からんことを祈ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




