高梨沙羅、メダルなしのソチ、そして平昌。銅メダルに「ホッとした気持ち」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.02.05
五輪憲章には<オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない>とうたわれています。にもかかわらず、五輪期間中、国・地域別メダル獲得数をメディアが躍起になって報じるのは、国民の側にそうしたニーズが少なからず存在しているからに他なりません。
■「まさかの4位」
「たったひとつの差なのに、3位(銅メダル)と4位じゃ大違い」
そんな話を、2008年北京五輪競泳400メートルメドレーリレー銅メダリストの宮下純一さんから聞いたことがあります。
「印象的だったのは帰国の飛行機ですね。北京から戻る時に、メダリストはビジネスクラスに乗れました。そして空港に到着すると、"まず金メダリストの方集まってください"と指示が出ます。その次が銀メダリスト、銅メダリストの順です。成績の良かった選手から到着ゲートを早く出られるスタイルになっていました」
メダルに縁のなかった別の選手からは、こんな話も聞きました。
「スポーツのイベントに呼ばれた時のことです。メダリストのまわりには、子どもたちが大勢集まってきて、キャーキャー言いながら代わる代わる手に取って触るんです。ところが、メダルのない私の元には、ひとりの子どもも寄ってこない。あの時ほどみじめな思いを味わったことはありません」
やはりメダルには、それだけ人を惹きつける力があるということなのでしょう。
26年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪出場を決めた女子スキージャンプの高梨沙羅選手は、17歳で出場した14年のソチ大会で、メダルなしに終わりました。
このシーズン、高梨選手はスキージャンプW杯で13戦10勝と圧倒的な強さを発揮し、金メダルの大本命と見なされていました。02年長野大会ジャンプ団体金メダリストの原田雅彦さんは、「メダルは確定として、あとはどの色を獲るかですね」と語っていました。
■不意にこぼれた涙
ジャンプは風の向きや降雪など、気象状況に大きく左右されます。多少の運不運はあっても、「高梨がメダルなしに終わることはない」というのが大方の見方でした。ところが、高梨選手は、女子ノーマルヒルで「まさかの4位」に終わってしまうのです。
ジャンプでは追い風よりも向かい風が有利と言われています。揚力が得られやすいからです。運の悪いことに、高梨選手は1本目、2本目ともに追い風。特に1本目はウインドウファクターによる加点が3.1点と出場選手中最多でした。これは最も強い追い風を受けたことを意味します。
五輪は泣いても笑っても4年に1度しかありません。それゆえ「オリンピックの借りは、オリピックでしか返せない」という者もいます。高梨選手も、そういう気持ちだったのかもしれません。期待の大きさの裏返しか「日本に帰るが怖かった」と後に本音を吐露しました。
2度目の五輪となる平昌大会、女子ノーマルヒル。4年前に中学生だった高梨選手は高校生になっていました。精神的にも逞しくなった高梨選手は1本目で103.5メートルを飛び、120.3点をマークし3位につけます。2本目も103.5メートルを飛び、合計243.8点で悲願の銅メダルを獲得しました。
狙っていた金メダルではなかったものの、初めて五輪のメダルを手にして、不意に涙がこぼれてきました。必ずしも欲しかった色ではありませんでしたが、4年前、失意に暮れた心を癒すには十分でした。
過日、本人に、この時の思いを訊ねるとこんな答えが返ってきました。
「正直、手放しでうれしいという気持ちはありませんでした。支えてもらっているチームの皆さん、スタッフの皆さん、応援していただいている皆さんの期待に、少しは応えられたかな......。その意味で、ホッとした気持ちの方が強かったですね」
ホッとした、という素朴な答えに、こちらも救われた思いがしました。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




