最後の不言実行型リーダー澤穂希 「苦しくなったら私の背中を見て」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2025.11.06
国民栄誉賞が制定されたのは1977年ですが、団体での受賞は2011年のサッカー女子日本代表(なでしこジャパン)の一例しかありません。同年7月、ドイツで開催されたW杯で、なでしこは初優勝を果たしました。チームの中心はキャプテンの澤穂希選手でした。
■乾坤一擲のゴール
快挙の4カ月前の3月11日、東日本大震災が発生し、1万9775人(2024年3月1日現在・総務省消防庁発表)の尊い命が失われました。
当時、内閣官房長官だった枝野幸男さんは、国民栄誉賞を授与する理由を、こう語りました。
「最後まで諦めないひたむきな姿勢で国民にさわやかな感動と、東日本大震災などの困難に立ち向かう勇気を与えた」
決勝の米国戦は、今も語り草です。FIFAランキングは米国が1位に対し、なでしこは4位。これまで五輪とW杯において、なでしこが勝ったことは1度もありませんでした。
米国は立ち上がりから猛攻を仕掛けてきましたが、なでしこは慌てません。後半24分、俊足のアレックス・モーガン選手に先取点を奪われたものの、その12分後、ゴール前の密集の中、詰めていた宮間あや選手が左足で押し込みました。
試合は延長へ。ここで遂に米国のエース、アビー・ワンバック選手が爆発しました。前半14分、ヘディングでゴールネットを揺らされ、1対2。残り時間を考えれば、同点に追いつくのは難しいように思われました。
絶体絶命のなでしこは、延長後半12分、コーナーキックのチャンスを得ました。キッカーは精度の高いキックを誇る宮間選手です。
彼女はコーナーに向かう途中、そっと澤選手に耳打ちしました。
「ニアに蹴るからね」
低い弾道のコーナーキックは、ニアポスト付近へ。澤選手はそのボールを右足のアウトサイドに引っかけ、GKの頭上を打ち抜きました。2対2。あれこそは澤選手のサッカーにかける思いが凝縮された、乾坤一擲のゴールでした。
■宮間あやの証言
笑顔が咲き誇るなでしこと意気消沈の米国。PK戦の行方は、もはや明白でした。なでしこの勝利が決まった瞬間、澤選手は佐々木則夫監督に飛びつきました。
この澤選手には、教科書に載りそうな名言があります。
「苦しくなったら私の背中を見て」
実はこの名言が飛び出したのは08年北京五輪3位決定戦前のロッカールームでした。銅メダルをかけた試合で、選手たちは年齢順に思いを述べました。
程なくして29歳(当時)の澤選手に出番が回ってきました。
「苦しいのは皆一緒。もし苦しくなったら私の背中を見て。そして、私と一緒に頑張ろうよ」
これを聞いていた後輩の宮間選手は、「胸が熱くなった」そうです。
「他のお姉さん方が自分の思いを伝えてくれる中、澤さんは短い言葉で私たちに語り掛けてくれた。"私の背中を見て"と。あの言葉は今でも忘れることができません」
ちなみに澤選手は、自らが考えるリーダーシップについて、自著『夢をかなえる。』(徳間書店)で、こう述べています。
<ベテランとして、キャプテンとして、チームを引っ張っていくリーダーシップが私には求められていますが、私の場合、口で「ああして、こうして」と言うのではなく、実際に率先して自分がやっている姿を見せるようにしています。
グラウンドで自ら実現することが、私の一番の仕事だと思いますし、その姿を見せることが一番、説得力を持って伝えられる方法だと思っています>
澤選手は、今では数少なくなった不言実行型のリーダーと言っていいでしょう。いつか指導者として現場に戻ってきてもらいたいものです。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。














