【芸人・カンニング竹山】〜ホークスは僕のバイブルみたいなもの。"王イズム"の継承を意識しています〜 第十回 プロ野球愛宣言!福岡ソフトバンクホークス編
スポーツ インタビュー
2025.11.20
福岡生まれの芸人・カンニング竹山さん。一時は心が離れた時もあったという故郷への気持ちを、再び呼び起こしてくれた存在というホークスへの愛を語ってくれた。
――野球に興味を持ったのはいつ頃ですか?
「幼稚園か小学校1年生ぐらいの時に、地元のクラウンライター・ライオンズが最初です。近所の大学のグラウンドでよく練習をしていて、地元ということで、なんとなくでしたけど応援していましたね。当時は見るよりも自分が野球をする方が楽しくて、近所の仲間と遊びでやるのが好きでした」
――その後、クラウンは西武に買収され、球団は('79年に)埼玉に移転してしまいました。
「そこからしばらく野球から離れていて、小学校5年生の時に、急に阪神タイガースが好きになりました。福岡だと、天神にある紀伊國屋書店にしかない『月刊タイガース』を毎月買いに行って、『阪神タイガース子供の会』にも入っていました。その当時、年に2試合だけ、平和台球場で阪神の主催ゲームが夏にあって、それを一人で観に行っていました」

――「阪神ファン」になったのは、何か理由があったのですか?
「今考えると、その頃からお笑いが好きで、だからなんとなく関西のものが好きだったのかなと。当時の福岡だと周りに阪神ファンがいなくて、一人で応援している感じでしたけど、中学生の時、'85年に阪神が優勝するわけですよ。そうすると阪神のハの字も言ってなかったクラスメイトたちが、学校で『阪神、阪神!』って言い始めて...、もうそうなると僕、ダメなんです...。『お前ら、何も知らないくせに』って。中学の頃はバスケットボールをやっていたこともあって、その時に野球熱は急激に冷めてしまいました」
――'89年にはダイエーホークスが誕生して、福岡にプロ野球が戻ってきました。
「ちょうど高校生ぐらいの時でしたが、その頃の僕は、福岡のことが嫌いになっていた時期で...、早く東京に行きたくて仕方がなかったんです。それからしばらく、芸人になってからも、野球はほとんど見ていなかったんですけど、今から10年ほど前に、『ソフトバンクモバイル九州』の仕事をする機会があって、そこで衝撃を受けてからホークスファンになりました」
――その「衝撃」とは?
「仕事で初めてPayPayドームに行きました。平和台とは全く雰囲気が違ったし、仕事をしていくうちにホークスが取り組んでいるファンサービスの素晴らしさを知ったんです。プロ野球の球団が、こんなことまでやるんだって感じるぐらい、野球観戦をエンタメとして考えて、そこまで興味がない子どもや女性まで一緒に楽しめるように、イニング間でイベントを企画したり。スタジアムグルメやマスコットなんかも、その一つですよね」

――確かに、近年は野球界もいろいろなことに取り組んでいますよね。
「ソフトバンクの仕事をするうちに、球団の広報さんと話をする機会があって、(今は名前が変わっていますけど)、その時に『女子高生デー』というのがあったんです。『これは何のためにやっているの?』と聞いたら、球団というのは地元に根付かないといけないからだと。この街で学校に通う女子高生の7割ぐらいは、福岡で結婚して子どもを産む。その時にお母さんがホークスファンだと、子どももファンになって、それが代々伝わっていく。これが地元に根付くことです、と聞いて感動したんです。ちょうど僕自身も心の変化があった時で、そろそろ福岡に帰って仕事をしてもいいかなぁと思い始めた頃だったので、自分のことと、ちょっとリンクしたところもあったんです」
――ホークスで好きな選手や交流のある選手はいますか?
「ダイエー時代もファンじゃないと言いながら、それなりに結構見ていて、その頃は佐々木誠さんや大道典良さん、岸川勝也さんが好きでしたね。あとはバナザード。すごい選手だけど、ケンカっ早い感じで(笑)、なんか好きでしたね」
――現在の選手ではどうですか?
「みんな応援していますけど、よく喋るのは牧原大成選手や川瀬晃選手とかで、たまにLINEなんかもします。若手で言えば、石塚綜一郎選手には頑張ってもらいたいですね。以前、斉藤和巳さん(来季からホークス二軍監督に就任)に聞いたんですが、ホークスって、三軍 では試験みたいなものがあって、球団が決めた科目をいくつかクリアしないと上に上がれないんだそうです。石塚選手はそれがパーフェクトだったと!バッティングを見ても、とてつもないポテンシャルを感じさせてくれるし、早く一軍のレギュラーに定着して、もっと活躍してもらいたいですね」

――これまでに感動した試合、印象に残っている試合は?
「横浜スタジアムの交流戦でギータ(柳田悠岐)がスコアボードにぶち当てた試合ですね('15年6月3日)。三塁側で見ていて、『うおー、画面が壊れた』って凄く衝撃を受けました。漫画みたいだなと思って、あのホームランを生で見られたのは嬉しかったですね」
――今年は開幕スタートに失敗しましたが、最終的にリーグ優勝、さらに日本一に輝くことができました。
「強かったですよね。投手はモイネロを中心に、上沢直之、有原航平、大関友久に松本晴と数はそろっていた。攻撃陣もギータや近藤健介が故障で離脱しても、柳町達や野村勇、佐藤直樹あたりが頑張って、誰がスタメンか悩むくらいの感じでしたからね」
――観戦する際に、お気に入りの席などはありますか?
「僕はじっくり見たい派で、ビールを飲みながらよりは、理想を言えばバックネット裏で、ずっとピッチャーが『次に何投げるんだろうな?』と見ていたいんです。もちろん、熱くなる時もありますし、応援歌を口ずさむのも楽しいですけど、基本はじっくり見たい派ですね」

――配球を考えたりするのが好きなんですね?
「それが面白いんですよ。これは、とんねるずの石橋貴明さんの影響もあると思います。貴明さんと一緒に野球を見に行くと、お酒を飲まないで、じーっと見ているんです。それで『ピッチャー、球走ってきたね!』とか話しながら、野球を見るのが面白いということを教わりました」
――普段はどのように試合を見ていますか?
「球場へ行くのは年に10試合程度ですが、オフの日は必ず試合を見ます。なじみの焼き鳥屋にタブレットを持ち込んで中継を見たり、移動中もスマホで見ています。僕はバスケや競馬も好きなので、週末は、あれ見てこれ見て、とても忙しいんです(笑)」
――本当に熱心というか、ガチ勢ですね?
「やっぱり好きだし、気になります。『勝った』、『負けた』、『首位だ』って、一喜一憂するのは楽しいですよね。野球がある時期はいいですよね。ホークスの試合がない時は寂しいですよ。生活でなんか足りないんだよな、という感じです」
――週末は競馬もあるから大変ですね?
「そう、例えば日曜日の昼、仕事終わりで事務所に帰って誰もいない時なんかは、仕事もせずに好きなものをいろいろ見ています。パソコンの横にタブレット置いて、こっちでグリーンチャンネルかけて、もう一方ではホークスの試合をかけて、その時はもうめちゃくちゃ幸せな瞬間ですね」

――2003年には始球式もやりました。マウンドに立った時はどうでしたか?
「実は始球式は、芸人にとって一番難しい舞台で、普通に投げたところで、球場に来ている方はそんなの期待されてないんですよね。 ティモンディの高岸みたいに野球経験者で、今でも140キロ投げられるならそれでいくけど。あの時は当日までどうしようか、本当に悩みましたね」
――竹山さんが思うホークスの魅力を教えてください。
「もちろん強いということもあるけれど、取材に行っても、選手同士もベンチもすごく活気があって、みんな真剣に取り組んでいる。常に雰囲気いいですし、勢いのあるチームだと思います。それも結局、孫正義オーナーのおかげだと思います。あと、ホークスの場合は"王イズム"の継承というのがチームに脈々と流れていることも、魅力になっていると思います」
――王(貞治)会長ですね。今ではすっかり福岡の人、という感じです。
「ホークスは"王イズム"を守っていかなくてはいけないチームなんです。今、CBO(チーフベースボールオフィサー)をやっている城島(健司)さんにインタビューした時も、それは言っていました。ダイエー時代に根本陸夫さんが王さんを呼んできて、ファンから生卵をぶつけられた時期もあったけど、今ではNPBを代表する強豪になるまで、王さんがホークスを作り上げてきた。選手やスタッフ以外でも、ファンも含めて、それを守っていかなければならないという意識はあります。一本筋が通った考え方というか、それは凄いと思います」

――竹山さんにとってホークスは、どんな存在ですか?
「僕にとっては〝バイブル〟みたいなものかもしれませんね。仕事をしていて、ちょっと面倒なことがあっても、あのホークスのファンサービスのことを思い出すと、みんなが喜ぶようなことをやらなければいかん、と思ったりしますから。そういう意味でも、僕も"王イズム"の継承者なのかなと思います」
ホークスのファンサービスから
"エンタメ"の真髄を学びました!

'71年4月2日生まれ。福岡県出身。小学校の同級生とお笑いコンビ「カンニング」を結成し芸能界デビュー。相方の闘病、早世によりピン芸人として活動。芸名に「カンニング」を付けて活動。お笑い芸人、コメンテーター、俳優など幅広く活躍。趣味はお酒、旅客機の模型、競馬予想など。
取材・文/大久保泰伸 撮影/佐野美樹














