声優・白井悠介インタビュー#1「あの時、僕は原点を見失っていた。遠回りしながら、ようやくたどり着いた『アニメ声優になりたい』という思い」

声優・白井悠介インタビュー#1「あの時、僕は原点を見失っていた。遠回りしながら、ようやくたどり着いた『アニメ声優になりたい』という思い」

「美男高校地球防衛部LOVE!」鳴子硫黄や「佐々木と宮野」の佐々木先輩をはじめ、「東京ミュウミュウ にゅ~♡」赤坂圭一郎、「アイドリッシュセブン」二階堂大和、さらには「ヒプノシスマイク」ではシブヤ・ディビジョンのMCグループ「Fling Posse」の飴村乱数役としてラップも披露もするなど、持ち前のイケボを武器に、役に合わせて幅広い演技を見せる白井悠介さん。数々のヒット作に出演する人気声優ながら、そこに至るまでの道のりは、けっして平坦ではありませんでした。このインタビューでは全3回にわたってその道のりと転機をたどりつつ、出演作品に対する思いも交えながら声優・白井悠介の素顔に迫ります。

■渋い声に憧れて声を録画していた

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――小さな頃はどんな性格のお子さんだったんですか?

「運動やスポーツが好きで、よく友達と外でサッカーや野球をしているような活発な子でしたね。結構ヤンチャでよく転ぶ、すり傷やアザも多くて親にはだいぶ心配をかけていたと思います。

地元は長野県で男三兄弟の次男。夏休みは海やキャンプ、冬はウインタースポーツにも連れて行ってもらい、アウトドアな過ごし方をしていました」

――習い事もされていたんですか?

「兄はピアノ教室に通ってたんですけど、僕は全然興味もなく......そのかわり、地域の少年野球チームに入って、中学2年生まで続けていました。本当は、ずっとサッカーがやりたかったんですけどね(笑)」

――リヴァプールファンのイメージがあるのでてっきりサッカーをやっていたのかと思ってましたが、野球少年だったんですか?!

「『父が野球好き』というところから野球を始めてしまって、その期待を裏切るのが申し訳なくて、なかなか言い出せずにいたんですよね。一度だけ、小学校高学年のときにサッカークラブを体験しに行ったこともあるんですけど、途中からというのもあって、あんまりチームメイトとなじめなくて、結局始められず......。

でも、ずっとサッカーが好きで、観戦もゲームもサッカーばっかりでしたね。野球ゲームはほぼやったことない......(笑)もちろん野球もやると楽しいから続けてたんですけど」

――かなりアクティブなスポーツ少年だったんですね。一方で、アニメやゲームも昔から好きだったんですか?

「もちろんです。友達と外で遊ぶのも好きだけど、家でじっくりアニメを見るのもゲームをするのも好きでした。

当時よく観てたのは『機動戦士Vガンダム』『新機動戦記ガンダムW』などガンダムシリーズ。王道なものでいえば『ドラゴンボール』とか。カードダスもめちゃくちゃ集めて、ファイルに入れてましたね」

――カードダス、懐かしい!スカウターとかありましたね...!

「ありましたよね。いまでも実家を探せばあるんじゃないかな(笑)。あと小学生の頃は『爆走兄弟 レッツ&ゴー!!』もめちゃくちゃ好きで、烈と豪に憧れてミニ四駆を外で走らせたりとか(笑)」

――それ僕もやったことある。外でミニ四駆を走らせると、タイヤのゴムが白くかすれちゃうんですよね(笑)

「そうそう(笑)。よくよく考えてみると、その当時から『自分もアニメの世界に入りたい』みたいな感覚がきっとあったんじゃないかなと思います」

――結構、声優という職業を意識し始めたのも早かったんですか?

「声優を意識し始めたのは、たしか小学校高学年から中学生に差し掛かる頃ぐらいだったと思います。

最初は『あ、この声聞いたことある。あのキャラと一緒だ!』みたいなことを発見するのが楽しい、くらいなもので。それがだんだんと『あ、この声優さんの名前、あのキャラと一緒だな』というふうに繋がっていってどんどん興味が湧いてきました。当時は特徴的な声の声優さんが多くて、それも興味を持ったきっかけの一つだと思います。

中学~高校ぐらいには、声優さんの声マネをして、ガチャガチャで手に入れたフィギュアを動かしながら声をあてて、それを録画してました」

――もうだいぶ声優という職業を意識してやってる感じですね。

「そうだと思います。なんとなく自分の中では『そっちの方向に行きたい』って気持ちがあった気がします」

――どんなキャラをイメージしながら声マネをしていたんですか?

「渋い男性声優さんの声に憧れてて、例えば『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』に出てくるサウス・バニング大尉みたいな、いぶし銀キャラのモノマネはめちゃくちゃしてましたね。全然そんな声じゃないのに!(笑)

でも意外と、マネで声を出していると低い音が出るようになったりするんですよ。多分、その頃にやってた声マネのおかげで、声域は広がったんじゃないかな」

■専門学校のオーディションを見送り

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――高校卒業後は、本格的に声優を目指すために上京されます。

「じつは2歳上の兄も声優志望で、高校2年生のときに、まず兄が上京して専門学校に入ってるんですね。その影響はかなり大きかったと思います。『声優って目指してもいいんだ』みたいな。当時なんてインターネットもまだ情報が十分じゃないし、目指すにしても『どうやって目指せばいいんだろう』くらいの感じでしたから。
先に上京していた兄がいろいろ教えてくれて、声優の道に入ろうというときに兄にはすごく背中を押してもらった気がします。

考えてみたら子どもの頃から兄のマネばっかりしていたんですよね。それこそミニ四駆も、アニメも、ゲームも。兄は真面目でしっかり者な長男というタイプで、小さな頃から尊敬してました」

――それで上京して、専門学校に入られるんですよね?

「はい、最初に入学したのは東京アナウンス学院という専門学校で、2年間通いました。高校までと違って自分が好きなことを学べるし、友達は同じようにアニメが好きな人ばっかり。専門学校自体はめちゃくちゃ楽しかったですね。

それで2年間通った総仕上げとして、いろいろな事務所にみてもらえるオーディションがあるんですよ。基本的にはみんな、それを目標に2年間、授業を頑張るわけです。どこかの事務所の目に留まれば、声優としてのデビューに一歩近づくわけですから。ふつう、みんな受ける。だけど僕、そのオーディションを受けなかったんです」

――えっ?!なぜですか?

「いや、今考えても意味がわからず......。『2年間何をしに行ったんだよお前は!』と当時の自分に言いたい......。

一応、そのオーディションのために撮影する宣材写真の撮影料が高くて、当時はそのお金が払えなかったという理由はあるんですが、今思えばその時だけ親に土下座するとかやり方はいくらでもありますし、本当に意味わかんない。なんでオーディション受けなかったの、俺」

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――当時の白井さんはどんなことを考えていたんでしょうね(笑)。

「うーん......ただ、当時授業を受ける中でナレーションが楽しくて『ナレーションがやりたいのかも』とは思っていたんですよ。

それで専門学校は卒業しちゃうんですけど、その後ナレーションが強い事務所の養成所に入ることにしたんです」

――じゃあ、意外にも声優業はナレーションからのスタートだったんですか?

「いや、そこでも1年半通うんですが何か自分の思い描いていた理想と、現実の感じがあんまり合わなくて。
専門学校では同級生と楽しい感じでやってきたのに、養成所に入った途端、同期がみんなライバルみたいな感じでギスギスしてて......。自分の気持ちの切り替えがうまくいかなかったんだと思うんですけど、なんとなくついていけなくなってしまって。

2年目の夏休みに『あ......もう通えないな』と思ってしまい、そこを辞めることにしたんです」

――振り返ると、そのときはどんな気持ちだったんでしょうか?

「うーん......多分、純粋に『自分がその状況を楽しめていない』というのが大きかったんだとは思うんですよね。

それで養成所を辞めたあと、実家に帰ったときにちょうどドラマを観ていて、『ドラマの世界、楽しそう』と思えてきて目移りしてしまって。そこから俳優を目指すことにしたんです。迷いに迷ってる暗黒時代(笑)」

――そんな時期もあったんですか......!

「俳優事務所のワークショップや体験レッスンを見つけて参加したり、一般公募のオーディションを受けたりはしていたんですけどあまり思うように行かず。中途半端な気持ちで望んでいたのもあったと思うんですが、そんな時期が1年半くらい。

その間もアニメは好きでずっと観ていたんですけど、ある時ふと『俺、アニメに出たくてこの世界に入ったんじゃん。やっぱり声優になりたい!』という思いが、またふつふつと湧いてきて」

――この業界に飛び込んで、頑張っているうちに自分が何をしたいのか、わからなくなっちゃったんですね。

「本当にそうです。そこから自分としては初心に帰る、原点回帰のつもりで、改めて声優を目指し始めたんです」

■初めての挫折と、気持ちが切り替わった瞬間

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――そこから現在のEARLY WINGさんに所属したのは、どんな経緯だったんですか?

「あらためて声優を目指し始めて、まずは81プロデュースという大きな事務所の養成所に入りました。そこは1年後に査定があって、事務所所属か、所属の前段階のいわゆる"預かり"にするかを事務所側が判断する場になるんですね。

当然、全員が受かるわけじゃないので、枠の中に入らなければ事務所には残れない。周りを見渡すと専門学校を卒業した方が多くて、僕は変にその方々よりも経験があったのでどこかで『大丈夫っしょ』という気持ちになってしまったんですね。

そんな気持ちだから、周りに比べて成長スピードもゆったりになってしまって、1年後の査定でバッサリと......」

――どこか慢心した気持ちになってしまった?

「そうなんですよ。とくに査定のときも失敗した感覚はなかったのに。

でも今思うと、やっぱり『経験あるし大丈夫っしょ』という人よりも、成長に貪欲な人のほうが事務所からしたら欲しいですよね。

それまでは紆余曲折しながらもなんだかんだ自分で選択してきたつもりでした。でもその時初めて『第三者から評価される』という基準で挫折を味わった気がしました。

わらにもすがる思いで、アミューズメントメディア総合学院という学校に入学して、また1年間。もう本当に遠回りをしたんですけど『このままじゃダメだ』と思ってそこでスイッチを切り替えて、取り組みました」

――じゃあ、その1年はまた一から出直すような気持ちでやったんですね。

「そうですね、向上心をもって取り組んでいたと思います。アミューズメントメディア総合学院は、卒業前には3ヶ月くらいかけてオーディションを行うんですよ。そこでいろいろな事務所に見ていただくことになるんですが、ありがたいことにいくつかの事務所に『来ませんか?』とお声がけしてもらって。

そうなると、それはそれでどの事務所に行けばいいのかはすごく悩むんですよね。どうしようか迷っているとき、内部事情に詳しい専門学校の講師に相談しに行ったんです。そしたら、『アニメの声優やりたいなら、EARLY WINGさんはいいと思うよ。社長さんはちょっとクセが強いけど』と(笑)」

――そんなことまで教えてくれるんですか?(笑)

「そう、その方はすごく詳しかったですね、『レッスンでめちゃくちゃ腹筋するよ』とか(笑)。

当時、EARLY WINGは設立したばかりでまだ小さかったですけど、逆にここから男性声優にも力を入れていこうという頃。それもチャンスだと捉えて、最終的には決断させてもらいました。

実際入ってみると、想像をはるかに超える腹筋地獄の日々が待っていましたけど(笑)」

■度胸がついたボウリング場でのDJ

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――これまでは、どんなアルバイトをしていましたか?

「初めてのバイトでいうと、中学生時代の新聞配達ですね。クラスの友達から『結構いいおこづかいになるよ』と聞いて、始めたものだったんですが、なにせ早起きが苦手だったもので。毎朝5時に母に起こしてもらい、眠い目をこすりながらなんとか行っていました。

とはいえ、地元が長野県なので冬はすごく大変で。雪の中も自転車で配達しなければいけないので、しょっちゅう滑って転んだり、寒くて手の感覚がなくなったり......」

――大変そう......!

「高校生になると、地域の組合で病院の売店をやっていたんですが、その手伝いのような感じで店番をやるようになりました。ただそこがお客さんも少ないし、働いている間もずっと座っていられたので、すごくやることが少ない(笑)。

今までのアルバイト経験の中でも、『あんなにのんびりできたバイトはないな』というくらいでした(笑)。
そのあとは兄の影響もありマクドナルドでバイトを始めたんです」

――のんびりなところから、一気に意識が高い感じのところに......!結構、厳しい環境も大丈夫なタイプですか?

「それは全然、大丈夫なんですよ。基本『やればできる子』ですから!(笑)

小学生の頃から通知表にもずっと、『白井くんはやればできる子、やればできる子。ただ、やらないだけ』と書かれるくらいだったので(笑)。

マクドナルドは働いてみると結構楽しくて、忙しくて大変でもあったけど、思い返すと楽しかったなという思いのほうが大きいですね」

――やればできる子、発揮してますね(笑)。上京してからはどんなアルバイトを経験なさったんですか?

「しばらくはコンビニの店員をしていたんですが、あるとき『どうせ働くならば好きなことのほうがいいよな』と思って、ボウリング場で働き始めて。地元にいた頃、ボウリング場が家の近くにあったこともあって好きだったんですよね。

夜9時から朝6時までみっちり夜勤で9時間。大変でもあるんですが楽しいこともあって、営業が終わって後片付けも済むと、店員が自由に投げていい時間があるんですよ。

働いている仲間もみんなボウリングが好きで、中にはプロボウラーの方もいる。その方に教えてもらって、ボウリングの腕前はかなり上がりました」

――いいですね......!アルバイトを通した経験の中で、いまに活きていると思うことはありますか?

「そのボウリング場は少し特殊で、フロアにDJブースが設置されているボウリング場だったんですよ。毎晩、夜10時になると日替わりで専属のDJさんが来てくれて、フロアを盛り上げる音楽をかけて、マイクパフォーマンスもするんです。

それがある時、上司の耳に僕が声優を目指していることが入って『試しに、白井くんもDJブースでやってみたら?』と。

『いやいや、声優志望なのでそりゃできますけどぉ......』と軽いノリで返事をして、やらせてもらうことになり(笑)」

――ボウリング場のアルバイトでそんな役目を任されるなんて、面白い経験ですね(笑)

「人前で何かをパフォーマンスするという意味では、いい経験だったと思います。それである程度、度胸もつきましたしね。

でも、結構ノリノリで自分としてはやっているつもりなんですけど、音楽自体は全然聴いてこなかったので......肝心のDJは、みんなが知らないようなアニソンばっかりかけてました(笑)」

■夏クールアニメ「異世界ゆるり紀行」の魅力と主人公・タクミの注目ポイント!

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――夏クールの「異世界ゆるり紀行」では主人公のタクミ役を演じられています。作品の魅力を教えてください。

「ざっくりのあらすじとしては、主人公のタクミが森の中で、アレンとエレナという双子の子どもと出会い、そこからタクミと双子がさまざまな冒険を経験していく、というお話。いわゆる『異世界もの』のくくりではありますけど、個人的には老若男女を問わず、子どもも大人も一緒になって家族で楽しめるような作品になっていると思います。

作品の魅力でいうと、もうタイトルの通り。いい意味で、すごくゆるいです。でもそのゆるさが、響く人にはかなり響くんじゃないかなと思いますね。いわゆる異世界ものの『俺強え!』感はちゃんとあるんですが、どこかほのぼのしてるというか、キャラクター同士の掛け合いがすごくアットホームな感じなんですよね。

それがいい具合に作品の雰囲気をつくっていて、肩の力を抜いて見られる作品だと思いますし、そんなふうに観ていただけたら嬉しいなと思いながら、タクミを演じさせてもらっています」

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――タクミというキャラの注目ポイントも教えてください。

「タクミ自身、最初は心配して双子の食べ物や服を用意したり、面倒を見たりしているんですが、だんだんとそこに責任感みたいなものが生まれていく気がするんですよね。それってある意味、保護者のような立場で、親ではないけど親に近い感覚というか。

僕も小さな子をもつ一人の親なので、子どもと接してるときには『あぁ、かわいいな』と日々感じることが多いです。それに親として、良いことと悪いことをしっかり教えて、ちゃんとした大人に成長してもらいたいという思いも持ってる。

そういう、僕自身が日常生活の中で子どもと触れ合ったときに感じているものが、タクミを演じるときにはたくさん反映されていると思いますね。

双子の成長をのんびりと見守りつつ、転生した世界でタクミはどんな暮らしを送っていくのか。アレンとエレナのかわいさ、そして仲良しな3人のやりとりに癒されながら、ほのぼのとしたストーリー展開を楽しんでいただけたら嬉しいですね」

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取材・文/郡司 しう 撮影/小川 伸晃

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