通算219勝のレジェンド山本昌「体のいい島流し」からの大逆転人生。【二宮清純】
2026.09.10
49歳25日というNPB史上最年長勝利投手記録を持つ元中日ドラゴンズの山本昌さんは、プロ初勝利をあげるまでに5年の歳月を要しました。クビを覚悟したのも1度や2度ではありません。
■鳴かず飛ばずの4年間
山本さんのプロ初勝利は1988年8月30日、ナゴヤ球場での広島カープ戦です。5回表から3番手で登板し、米国留学で学んだスクリューボールを武器に、打者10人をヒット1本に抑える好投で、チームの8対5の勝利に貢献しました。
翌日、星野仙一さんからもらった"監督賞"が未だに忘れられない、と山本さんは言います。
「監督賞って、それまでもらったことがなかったので、どんなものか分からなかった。初勝利の翌日、マネジャーから手渡されたんですが、結構、封筒が重い。封を開けたら1万円札が僕の背番号に合わせて34枚入っていた。当時の僕の給料より多かった」
千里の道も一歩から、といいますが、通算219勝へとつながる貴重な1勝でした。山本さんは1983年秋、ドラフト5位指名を受け、日大藤沢(神奈川)から中日に入団します。
ブルペンで初めて山本さんのピッチングを見た評論家時代の星野さんは、「大柄な左腕で、背番号は34。"金田正一2世"というから見に行ったんだが、投げ方は不格好でボールも遅い。使いものになるのか......」と落胆したそうです。
星野さんは87年に監督に就任(第1期)しますが、山本さんは左ヒジを疲労骨折し、鳴かず飛ばず。監督の目を引いたのは、ドラフト1位ルーキーの大型左腕・近藤真一さんでした。
8月9日、本拠地での読売ジャイアンツ戦。近藤さんはデビュー戦で、いきなりノーヒットノーランをやってのけたのです。プロ野球史上初の快挙でした。
■人生はリーグ戦
山本さんの述懐です。
「当時、寮生はナゴヤ球場でのゲーム見学があって、僕は試合を見に行っていた。近藤が先発すると聞いて"うわっ、すげえ!"と。5回まで見て、寮に帰った。まだノーヒットノーラン。その時点で僕は覚悟を決めました。"ああ、もうこれでクビだな"って。同じ左腕の近藤がいたら、もう僕は入りませんよ」
しかし、人生の勝負はトーナメントではありません。勝ったり負けたりのリーグ戦です。
翌88年2月、山本さんは球団と提携関係にあるロサンゼルス・ドジャースに野球留学します。山本さんに言わせれば、「体のいい島流し」でした。
留学生たちは皆、「(アメリカで)何かを掴んでこい。掴めなかったら、ハイ終わり」という過酷な状況下にありました。
事実上の身元引き受け人は、ドジャースのオーナー補佐をしていたアイク生原さん。星野さんと親交の深い人物でした。
ある日、アイクさんの頼みで、MLB通算165勝の往年の名投手サンディ・コーファックスさんが、山本さんのピッチングを見ることになりました。
ひと目見るなり、コーファックスさんはこう告げたそうです。
「アイク、この人はトラックの運転手になるべきだ」
大化けのカギは、意外な人物が握っていました。中米出身のヨゼフ・スパグニョーロという内野手がキャッチボールで投げているスクリューボールがよく変化したため、握り方を教わって試したところ、これが思わぬ変化をしたというのです。そこから山本さんの"大逆転人生"が始まったのです。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




