荒川静香、トリノ金メダル秘話。「ほぼ無呼吸状態」でのイナバウアー。【二宮清純】

荒川静香、トリノ金メダル秘話。「ほぼ無呼吸状態」でのイナバウアー。【二宮清純】

今では日本のお家芸とも言えるフィギュアスケート。日本人初のオリンピック金メダリストは今から20年前、2006年トリノ大会での荒川静香さん(女子シングル)です。荒川さんが披露した「イナバウアー」は、この年の「新語・流行語大賞」の年間大賞にも選ばれました。

■モロゾフの助言

荒川さんがトリノで金メダルを獲得した直後、広場や公園で両足と両手を大きく広げ、体を後ろにそらせる「イナバウアー」もどきの動きをする子どもたちをたくさん見かけました。社会現象の様相を呈していたと言っても過言ではないでしょう。

「イナバウアー」とは、足を前後に開き、<つま先を180度開いて真横に滑る技>です。

そもそも「イナバウアー」は1950年代に活躍した旧西ドイツの女子選手イナ・バウアーが開発した技で、荒川さんのように上体を後方にそらせば、「レイバック・イナバウアー」となります。

荒川さんによると、「トリノ以前からプログラムに入れていたが、それほど注目されることはなかった」そうです。「改めてオリンピックの影響力の大きさを感じました」と語っていました。

さてフィギュアスケートはショートプログラム(SP)とフリースケーティング(フリー)の合計点で順位が決定します。女子シングルのSPが終わった時点で、荒川さんはトップのサーシャ・コーエンさん(米国)と0.71点差の3位に付けていました。

フリーを得意とする荒川さんからすれば、逆転可能な点差ですが、フリーで「イナバウアー」を披露するかどうかは決めかねていました。というのも当時、この技は採点対象ではなく、うまく演技できてもポイントにはならなかったからです。

思案している荒川さんを後押ししたのが、ロシア人コーチのニコライ・モロゾフさんでした。

「ルール上必要ないものでも、それはあなたの個性。せっかくの技術力と表現力を兼ね備えた選手なのに、それをオリンピックで出さないなんてもったいない」

■「リスクの高い構成」

モロゾフさんのアドバイスを受け、荒川さんは最後の3連続ジャンプの前の5秒間を利用して、「イナバウアー」を入れる決心をしました。

この国には、「優雅に泳ぐ白鳥も、水面下では必死に足を動かしている」という格言があります。フィギュアスケートも同じです。華麗な技の裏には、人知れない苦労がありました。

荒川さんは続けました。
「確実に得点になるジャンプが残っている中、その直前にイナバウアーを入れることはリスクの高い構成でした。この技は、ほぼ無呼吸の状態なので、とてもきついんです。息をしてしまうと、背中を大きくそらすことができないし、起き上がってからすぐジャンプにパッと切り替えなければなりません。しかも当時は、今より技の数が多かった。限られた時間の中で、個性を出している余裕はなかった。それをニコライが背中を押してくれたんです」

無呼吸での「イナバウアー」から、3連続ジャンプ。静から動へ、と言えば説明はつきますが、話はそう簡単ではありません。たとえ短い時間でも、息を止めると体内に二酸化炭素が蓄積し、パフォーマンスの低下に結び付く恐れがあると言われています。

そうしたリスクを冒してでも、荒川さんが自分らしさにこだわった背景には、この競技を始めた時から意識していた「人々の記憶に残る演技をしたい」という揺るぎない目的があったからだと思われます。

その結果が金メダルだったとしたら、トリノでの輝きは、フィギュアスケートの神様からのご褒美だったと言えるかもしれません。

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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