司令塔・竹下佳江に復帰を決意させた恩師の一言。「ぜひ、あなたが必要だ」【二宮清純】

司令塔・竹下佳江に復帰を決意させた恩師の一言。「ぜひ、あなたが必要だ」【二宮清純】

女子バレーボールは、1960年代から70年代、日本においてはオリンピックで最もメダルの期待できる団体球技でした。『サインはⅤ!』『アタックNo.1』といったアニメが人気を支えました。

■骨折しながらコートに

女子バレーボールの日本代表は、以下に示すように、過去、オリンピックで5個のメダルを獲得しています。
 1964年 東京大会・金
 1968年 メキシコ大会・銀
 1972年 ミュンヘン大会・銀
 1976年 モントリオール大会・金
 1984年 ロサンゼルス大会・銅
 2012年 ロンドン大会・銅

女子バレーボールは、64年の東京大会からオリンピックの正式種目となりますが、初の自国開催となったこの大会で、代表チームは見事に金メダルを獲得します。

決勝の日本対ソ連(当時)戦の視聴率はなんと85%(NHK)。民放も含めた総視聴率は95.4%に達しました。国民のほぼ全員が金メダルを手にした瞬間を目撃したことになります。

世界を驚かせた"回転レシーブ"で「東洋の魔女」と呼ばれた彼女たちは、表彰台の真ん中に立ったことで国民的ヒロインとなりました。

この東京大会を含め、代表チームはメキシコ大会、ミュンヘン大会、モントリオール大会と4大会連続で表彰台に立っています。ボイコットした80年モスクワ大会をカウントしなければ、84年のロサンゼルス大会まで、5大会連続でメダルを胸に飾りました。

ところがロサンゼルス大会を最後に、しばらく表彰台から遠ざかります。ロンドン大会での銅は、実に7大会、28年ぶりのメダルでした。

ロンドン大会で、司令塔としてチームを牽引したのが34歳のセッター竹下佳江さんでした。

銅メダルを獲得した韓国戦、竹下さんは左手人差し指を骨折しながら、コートに立ちました。「指が折れていようと、私はコートに立つ」。彼女はそう語ったといいます。

■「心も体もボロボロ」

「あの身長(159センチ)では世界とは戦えない」
彼女が烙印を押されたのは、2000年シドニー大会出場をかけた世界最終予選です。日本は3勝4敗で6位に終わり、代表チームは女子バレーボール史上初めて五輪への出場権を逃しました。

「あの時は心も体もボロボロでした」
後年、私の取材に、彼女はそう語りました。

傷心の彼女は、地元の北九州に帰り、ハローワークで仕事を探す日を送っていたそうです。

そんな彼女のもとに、一本の電話が入ります。JTマーヴェラスの監督(当時)の一柳昇さんでした。

「ぜひ、あなたが必要だ」
「もうバレーボールは、やりたくありません」

門前払い同然の扱いを受けながら、それでも一柳さんは諦めませんでした。

一柳さんが、そこまで竹下さんの復帰にこだわったのには、理由がありました。

「彼女は動物的な反応ができる選手なんです。たとえば普通のセッターはトスを上げる時、ヒザを曲げてボールの下に潜り込む。つまりボールの下に腰がある。これが基本なんです。
ところが彼女はボールに触った瞬間、もう腰が入っている。あるいは床から1メートルしか上がっていないボールをバックステップを踏みながら入っていくことができる。普通の選手がこんなことをやったら、腰を打ったり頭を打ったりするのがオチです。しかし、彼女に限って、そんなシーンは見たことがない」

一柳さんの熱意にほだされるかたちで、竹下さんはJT入りを決意します。
「一柳さんに"あなたが必要だ"と誘われているうちに、"よし、必要としてくれる人のもとでもう一度頑張ろう"という気持ちになっていった。何度も何度も"あなたが必要だ"と言ってもらったものですから......」

捨てる神あれば、拾う神あり――。まわりが敵ばかりに見える時でも、必ずひとりは頼もしい味方がいるものです。

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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