遠藤保仁、南アの芸術的FK。「壁の一番端の斜め上」狙い通りの設計図。

遠藤保仁、南アの芸術的FK。「壁の一番端の斜め上」狙い通りの設計図。

J1ガンバ大阪でヘッドコーチを務める遠藤保仁さんは、日本歴代最多となる国際Aマッチ出場152を誇る日本サッカーのレジェンドです。フリーキック、ペナルティキック(PK)の名手としても知られています。

■「今度はオレが蹴る」

日本が初めてW杯に出場したのは、1998年のフランス大会です。今年の北中米大会まで8大会連続で出場し、計29試合で33得点を記録しています。

このうち直接フリーキックによる得点は2。2010年南アフリカ大会第3戦のデンマーク戦で本田圭佑選手と遠藤さんが決めたものです。

W杯では1970年メキシコ大会以降、ずっとアディダス社製のボールが公式球として使われています。10年南アフリカで使用されたジャブラニは表面のパネルが8枚(06年ドイツ大会の公式球チームガイストは14枚)と少なく、また表面には凹凸加工が施されていたため、不規則な変化を引き起こすのが特徴でした。そのため無回転シュートを放つと、ボールはまるで野球のナックルボールのように揺れ落ち、GKは処理に頭を悩ませていました。

こうしたボールの特性を、うまく利用したのが本田圭佑選手でした。前半17分、30メートル近い距離から無回転のフリーキックをゴール右上に突き刺し、日本が先制します。

1対0の前半30分、日本はゴール正面やや左寄り、ペナルティエリア手前の好位置でフリーキックを獲得します。遠藤さんは、本田選手に「今度はオレが蹴る」とジェスチュアで意思を伝えます。

遠藤さんにとっては「一番狙いやすい距離」でした。本人は「まだ大会で1本も蹴っていなかったのですごく蹴りたかった。何としてもゴールに結び付けるぞ、という思い」でボールをセットしたそうです。

強い回転をかけて鋭く落とす「インフロントカーブ」を得意とする遠藤さんにとって、ジャブラニは決して相性のいいボールではなかったはずです。

■思い描いた設計図

これについて質すと、こんな答えが返ってきました。
「前日に同じスタジアムで練習した時は、あまり曲がりがよくなかった。僕みたいなキッカーは、平地はいいんですけど、標高が高い場所で蹴るのは難しいかな、と思っていました」

デンマーク戦が行なわれたルステンブルクの「ロイヤル・バフォケン・スタジアム」は標高約1200メートルの高地にありました。高地ゆえ気圧は低く、必然的にボールは伸びていきます。遠藤さんのようなテクニシャンにとって、これは望ましいことではありません。

しかし、遠藤さんにはツキがありました。相手は本田選手が蹴るものと決めつけ、本田選手用の壁をつくっていたのです。その隙を名手が見逃すはずがありません。

「ちょうど壁の一番端の選手斜め上くらいを狙えばいけると......」

後は頭に描いた設計図をトレースするだけです。短い助走後、遠藤選手の右足から放たれたボールは美しい弧を描いてゴール右隅に吸い込まれて行きました。

後半42分には、岡崎慎司選手がとどめのゴール。3対1で日本はデンマークを破り、決勝トーナメント進出を決めました。

日本代表を率いた岡田武史さんは、ボランチとして攻守の中心、人体にたとえるならヘソの役割を果たす遠藤さんを「チームの心臓」と高く評価していました。

南アフリカ大会での平均走行距離は、チーム最長の1試合約11.8キロ。ただ走るのではなく、「先を読みながら」走る。名人にしか見えないピッチでの景色が、彼には見えていたはずです。

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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