タランティーノ監督作『パルプ・フィクション』から学ぶ、歌詞作りにも通じる表現の極意【尾崎世界観】
映画 見放題連載コラム
2026.01.28
今回は、クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』(1994年)です。この映画を初めて観たのは、確か中学生か高校生の頃だったと思います。今回改めて観直しましたが、まったく古びていなくてびっくりしました。1本の映画の中で、エピソードがいくつかに分かれていて、どんどん視点が変わっていく。今でこそよくある手法だと思いますが、『パルプ・フィクション』が公開された当時はかなり斬新だったんじゃないかと思います。ウルフ役のハーヴェイ・カイテルが昔から好きなんですけど、初めて観たときは「ハーヴェイ・カイテルが出てきた!」と思ってうれしかったのを覚えています。でも改めて観返してみると、この映画のハーヴェイ・カイテルは、ただ命令するだけでほとんど何もしていない(笑)。

(C) 1994 Miramax Films. All Rights Reserved.
初めて観たときも登場人物たちの会話がカッコよくて魅力を感じたんですけど、もう一度観た時に改めて、この映画は「会話劇」なんだなと思いました。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』、『ナイト・オン・ザ・プラネット』などを手掛けている映画監督ジム・ジャームッシュの作品もそうですが、「間(ま)」が凄く魅力的ですよね。人と人が喋っている、その空間に観る者を惹き込んでいく。そのためには、喋っている言葉それ自体というより、間(ま)に流れる時間をコントロールできているかどうか、が大事だと思うんです。『パルプ・フィクション』は、それがものすごく上手い。だから、作品が観る側を「支配する」関係が生まれる。最近は音楽でも、ギターソロをなくしたり、サビから曲が始まったり、興味を惹くために聴き手におもねるような表現が増えている。そんな中で、『パルプ・フィクション』は無理な作為もなく、観る側を飽きさせず、興味を持続させるということをやってのけている。30年以上前の作品でありながら、本当にすごいと思います。

(C) 1994 Miramax Films. All Rights Reserved.
表現をするうえで「間引いていく」作業は、とても勇気がいると思うんです。「ここはいらないから、切ろう」と判断すること。その点『パルプ・フィクション』は、見事な判断をしている。作品には、絶対に「見られない部分」があるべきだと思うんです。受け取る側がどうしても見せてもらえないところ。その部分がどれだけあるかが表現にとって大切だと思うんですけど、この映画は観る側にまったくストレスを感じさせない形で、「見せない」という選択がしっかりとされている。「もっとここが観たかった」と不満を感じさせることなく、ちゃんと「描かれていない」部分があるんですよね。自分でも、歌詞を書く際は特に「間引く」作業をやります。歌詞は文字数が限られているので、聴き手に想像してもらうことを前提にしないと、曲が完成しない。曲を作り始めたとき、「音楽ってこんなに容量が少ないんだ」とびっくりしました。聴き手を信用せずに、全部を説明するような歌詞を書いてしまうと、かなり薄いものになる。

(C) 1994 Miramax Films. All Rights Reserved.
『パルプ・フィクション』は、スタイリッシュでありながら、本音で語ってくれているような映画です。映像も、音楽も、台詞も、全部がかっこいいけれど、ちゃんと身ぐるみはがして相対しているような感覚がある。そこがすごく好きですね。あと、女性の描き方が上手い。タランティーノ監督は、映画の中で、女性を変な形で消費しない気がします。物語の中で都合のいい役割をさせないというか。男側の目線から、すべて理解できない以上、ちゃんと難しい存在として描いている。そういうところも、改めていいなと思いました。
取材・文/天野史彬
尾崎世界観 (クリープハイプのボーカル・ギター)
ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。 小説『転の声』が第171回芥川賞候補作に選出。小説家としても活躍する尾崎世界観が、好きな映画を語りつくす。
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