倉本聰が映画『海の沈黙』の着想のきっかけから昨今のエンタメ界への危惧までを本音で語る

倉本聰が映画『海の沈黙』の着想のきっかけから昨今のエンタメ界への危惧までを本音で語る

ドラマ「北の国から」シリーズ(1981~2002年、フジテレビ系)など数々の名作を生み出した巨匠・倉本聰が"最後の作品"として原作・脚本を手掛けた36年ぶりの映画『海の沈黙』(2024年)が、J:COM STREAMで独占配信中。

同作品は、倉本が長きにわたって構想し、「どうしても書いておきたかった」と語る渾身の意欲作を、主演の本木雅弘をはじめ、小泉今日子、中井貴一、石坂浩二、仲村トオル、清水美砂といった豪華キャストが集結して作り上げた重厚な人間ドラマ。

世界的な画家・田村修三(石坂)の展覧会で、展示作品の1つが贋作であることが発覚。連日、報道が過熱する中、北海道で全身に刺青の入った女性の死体が発見される。この2つの事件の間に浮かび上がったのは、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれるも、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次(本木)だった。かつての竜次の恋人で、現在は田村の妻・安奈(小泉)は竜次の消息をたどって北海道へ。互いに「もう会うことはない」と思っていた竜次と安奈は小樽で再会を果たすが、既に竜次の体は大病に蝕まれていた、というストーリー。

今回、倉本にインタビューを行い、同作のテーマの着想のきっかけや、本木や小泉の演技、昨今の映像作品に対する考えなどについて語ってもらった。

250213kuramotosou02.jpg

――この作品の着想のきっかけはどういったところからだったのでしょうか?

「60年以上前なのですが『永仁の壺事件』というのが起こりまして、鎌倉時代の物ということで重要文化財に指定されていた壺が、加藤唐九郎という現代作家が作った物ということが分かって、その途端に重要文化財から外されてしまったんです。その時に、『昨日まで評価されていた物が、制作年が違ったということだけで、なぜそんなに価値が落ちるのか』と不思議だったんです。ピカソでもフェルメールでも、何億という値段で取引されていても、贋作だと分かった途端にいきなり値段が下がる。絵自体は同じなのに。そういったことから『人間の審美眼というのは何なのだろうか?』と。

これは"美"だけでなく料理でも同じで、(グルメサイトやガイドなど)他人が評価した物をありがたがっているけれど、料理というのは本来、一日、体を酷使して疲れ果てている状態で食べた味と、何もしないで食べた時の味っていうのは違うと思うんですよね。僕が今までで一番食べて美味かったと思う料理は、終戦直後に東京・六本木の食堂で食べた、バターが乗った米にしょうゆをかけたものですから。そういう"感覚"のものの評価を他人に押し付けてしまう評価基準と、それに流されてしまう世間に対して、『これでいいのだろうか』という疑問がずっとあったんです。

また、岡本太郎さんの父親で画家の岡本一平さんの弟子である中川一政さんが、ある日急に絵が描きたくなって、キャンバスがなかったから師匠からもらった一平さんの絵を塗りつぶして、その上から描いて、その作品が巽画会で二等賞になったという逸話があって。後年、TBSに勤めていた一政さんの息子さんが、そのことを確かめるために番組でその絵をエックス線写真で分析したら、中から1枚の絵が出てきたんです。その時に、息子さんが一政さんに『もし今お父さんの絵があって、キャンバスが買えない画学生が創意に駆られて、お父さんの絵を塗りつぶして絵を描いたとしたら、どう思いますか?』と尋ねたら、一政さんは『それはしょうがないだろうな』と答えているわけ。続けて、息子さんが『じゃあ今、ここにピカソの絵があって、お父さんがものすごく絵が描きたくなったとしたら、ピカソの絵を塗りつぶすか?』と聞くと、一政さんは『塗りつぶすかもしれんな』と平然と言っているんです。この話がすごく僕の中で残っていて。

そういった作品本来の価値ではなく、"誰が描いたのか""いつ描いたのか"というような側の要素が価値を左右するという現実において『じゃあ"美"というのは何なの?』という思いと、(中川一政の話の)"真の創作意欲"にまつわる思いがずっと残っていて、『いつか作品にしてやろう』と思っていて温めていたんです」

250213kuramotosou03.jpg

――作品づくりでこだわったところ、大変だったところは?

「絵の名作を映像で作るというのは本当に難しいんです。実際の画家にお願いするわけですが、その絵が(名作ほどの)それだけの価値を持つか持たないかというのが、この話の重要なところでもありますから。実際に存在する名画の贋作ではなく、実在しない世の中の人が知らない名作の贋作を描いてもらうため、どういう絵描きを呼んできて、どういう絵を描かせるかというのが一番大きな問題でした。

今回は東北の画家の方に描いていただいて、その方のアトリエに本木さんを連れて行って練習してもらって、作中の絵を制作しました。ある意味ハードルの高い挑戦ではありましたが、画家がとってもいい絵を描いてくれたので、そのチャレンジは成功でしたね」

250213kuramotosou04.jpg

――倉本作品初参加の本木さんお芝居はいかがでしたか?

「期待通りですばらしいものでした。役者って、表面的にシナリオに入っていくか、内面から入っていくか、というタイプに分かれていて、最近は特に表面から入っていく方が多い。だからこそ、僕は『生まれてからどういう生い立ちで人格が形成されたか』という"履歴書"を役ごとに作って、主だった出演者に渡すという作業を必ず行うのですが、本木さんは、まぁ、よく読み込んでくれました。しつこく何度も電話してきて、いろんな質問をして投げかけてくれて、役を掘り下げてくれました」

250213kuramotosou05.jpg

――小泉今日子さんのお芝居はいかがでしたか?

「小泉さんには何度か小さい役をお願いしたことがあって、その度に『あぁ、この人はできる人なんだな』と思っていて、かねがね感心していたんです。だから何の心配もなかったですし、こちらも期待通り本当にすばらしい演技を見せてくださいました。"細かい心理状態を表現する"ということを着実になさいましたね。そんなにせりふのある役ではないんだけれど、何十年ぶりに会った昔の恋人に対する"思い"みたいなものがどういうふうに出てくるのか、という場面なんかは本当にすばらしかったですね。

シナリオにはないんだけれど、過去の(竜次と安奈の)2人の恋の成り立ちと破局までのてん末を"履歴書"に書いて渡していたのですが、黙って会っただけで流れたその時の両者の息遣いというのは、アイドルから役者という似た道をたどりながら、久しぶりに共演したお2人の半生と役の関係性がどこかオーバーラップして、それが出たんじゃないかな」

――早い展開と多大なせりふと情報量でまくしたてるような作りで目が離せないという映像作品が多い中、同作では沈黙も"雄弁に語る1つのせりふ"のように感じられて、じっくりと見せているにもかかわらず目が離せないという感覚に陥ったのですが、作品づくりのこだわりをお聞かせください。

「僕はフランス映画が好きなんです。終戦後に一番最初に日本に入ってきたのはフランス映画だと思うんだけど、作品づくりにもその影響が強く出ているのかもしれないな。シナリオというものは書き過ぎたら駄目だって思っているんですよね。思っていることを口でしゃべっちゃったら、その役はおしゃべりな人物になるでしょう?例えば、高倉健さんは思っていることを言いませんよね。でも、心の内を行動や表情で見せていく。僕はそっちの方が好きなんです。だから、そういった表現ができる俳優さんを狙ってお願いしているんです。良い役者や良い演出の作品を見る時は、言葉にしないちょっとした仕草や反応から表れるものを感じてほしいんです。それが"深み"につながりますから。でも、そういった表現ができないタレントをテレビが多く使ってしまったがために、せりふで説明しなきゃいけなくなっているということが起こっているんです。視聴者もそういうものばかり見ていたせいで目が衰えてしまっている。つまり、作り手も受け手も質が低下してしまっているんじゃないかな」

250213kuramotosou06.jpg

――昨今の作品に対してどういったお考えをお持ちでしょうか?

「たまに最近の作品を見た時に、『ちょっと説明し過ぎなんじゃないか』と感じることはありますね。昔の映画には『人を感動させる』という目的があったんだけど、最近の作品は確かに大がかりで面白いんだけど、与えるものが"感動"じゃなく"快感"になっている気がして、『間違った方向に行っているんじゃないかな』って感じているんです。"快感"の方が素人のお客さんをいっぱい惹き付けられるし、金儲けにつながるからね。そういったことで映画の作り方が変わってしまって、"きれいな映画"がなくなった気がしているんですよね。そんな中で、僕はいつもまでも"きれいな映画"を書きたいって思っています」

――最後に作品をご覧になる方にメッセージをお願い致します。

「お客さんに既成概念を与えることになっちゃうからメッセージというのはしないようにしているんだけど、この作品は良い役者と良い演出によって、 "深み"を大いに感じていただけると思います。ぜひ、お楽しみください」

250213kuramotosou07.jpg

文/原田健 撮影/笠井義郎

映画 インタビュー

もっとみる