吉永小百合とのんが二人一役で田部井淳子の半生を体現!映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』
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2026.02.20
2025年10月に公開された映画『てっぺんの向こうにあなたがいる』は、1975年に女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した登山家・田部井淳子の著書『人生、山あり"時々"谷あり』を原案とする作品だ。田部井をモデルにした主人公・多部純子の栄光と挫折、家族や仲間との絆、そして余命宣告を受けた後も山に挑み続ける生きざまを、壮大なスケールで描き出す。困難に屈しない精神と、家族との葛藤や夫婦愛を丁寧に描いた本作は、人生の意味を問いかける骨太なヒューマンドラマとなっている。
多部純子を演じるのは吉永小百合。夫・正明役に佐藤浩市、親友で登山仲間の北山悦子役に天海祐希、娘の教恵役に木村文乃、息子の真太郎役に若葉竜也と、実力派俳優が集結した。さらに、純子の青年期をのん、正明の青年期を工藤阿須加、悦子の青年期を茅島みずきが演じ、人生の時間をつなぐ"二人一役"の構成が、人物像に奥行きを与えている点も本作の大きな見どころだ。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
登山シーンで描かれる、極限状態の緊迫感
多部純子(のん)は数々の困難を乗り越え、エベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀(とうはん)隊長として世界最高峰の登頂に成功する。その快挙は世界に衝撃を与え、大きな称賛を集めた。しかし、その輝かしい成功の裏側で、家族や友人、登山仲間との関係には少しずつ亀裂が生まれ、仲間との対立や別れは、夫や娘、息子との距離も生じさせていく。
やがて時は流れ、年老いた純子(吉永小百合)は病に侵され、余命宣告を受ける。それでも彼女は山に挑むことをやめない。常に前向きな笑顔を絶やさず、家族や仲間を巻き込みながら、極限状況に身を置き続ける姿は、見る者の心を強く揺さぶる。本作の登山シーンは、命の危機と隣り合わせの緊迫感とともに、純子の不屈の精神を鮮烈に刻みつけている。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
序盤で鮮烈に描かれるのは、女性が登山をすること自体に大きな壁が立ちはだかっていた時代の空気だ。当時の登山界は男性優位で、「女性にエベレスト登頂は無謀だ」と公然と否定される。遠征に欠かせない資金集めやスポンサー探しも難航し、"女性であること"が挑戦そのものを阻む高い障壁だったことが、ひしひしと伝わってくる。純子の挑戦は、単なる登頂ではなく、根深い社会的偏見との闘いでもあった。
さらに本作は、登頂時に立ちはだかる物理的な過酷さもリアルに描く。極寒や高山病、酸素不足に加え、雪崩や急変する天候による命の危機。一歩間違えれば死に直結する極限状況の緊迫感に、息苦しささえ覚えさせる点も大きな見どころだ。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
本作は、英雄的な成功物語に終始しない構成が光る。メンバー同士の対立や、恐怖に揺れる仲間への向き合い方など、リーダーとしての重圧に葛藤する純子の姿が鋭く描かれている。迷い、悩み、それでも責任を背負わざるを得ない、等身大の人間としての彼女の姿が、物語に深みを与えている。
中でも、若き純子を演じるのんの存在感が際立つ。猪突(ちょとつ)猛進なエネルギーを放ちながらも、どこか折れやすい危うさを併せ持つ人物像を繊細に表現。その両面を丁寧に演じ切ることで、晩年の純子を演じる吉永小百合への"橋渡し"を自然に成立させている。無理に吉永に寄せることなく、「この若さが、あの晩年へとつながっていく」と納得させる演技にも注目だ。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
「沈黙」が語る、吉永小百合の演技の深み
吉永小百合の演技は、本作を女優人生の"集大成"と評されるにふさわしい。登山家としての強さを声高に示すのではなく、抑制された表現の中ににじませている点が、さすがの一言だ。病と向き合う場面では、立ち姿や息遣い、わずかな目線の動きだけで、「揺るがぬ意志」と「確実に進む衰え」を同時に浮かび上がらせる。
言葉を発さずとも感情が伝わる――まるで"沈黙"そのものが感情へと変わるかのような表現に、彼女の真骨頂を見る思いがした。偉人として美化するのではなく、一人の人間としての「老い」を引き受ける姿からは、本作に懸けた吉永の覚悟が静かに、しかし確かに伝わってくる。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
夫・正明を演じた佐藤浩市の好演も、深い余韻を残す。純子を深く愛しながらも、彼女のすべてを理解できるわけではない。反対し、葛藤し、それでも最終的には支える。そんな夫としての複雑な心情を、佐藤は多くを語らず、視線の揺れや一瞬の"間"で静かに表現する。説明に頼らないストイックな芝居だからこそ、その感情は深く胸に染みる。とりわけ後半、病と向き合う妻を前に、「支える側の弱さ」をにじませる演技は圧巻だ。
正明の青年期を演じた工藤阿須加もまた、重要な役割を担っている。若き正明は、感情を前面に出さず、理屈と経験を重んじる現実主義者として描かれる。「夢」に突き進む純子に対し、「現実」を突きつける存在だが、その言動の根底にあるのは否定ではなく、守ろうとする誠実さだ。堅実な人物像を、工藤は真摯(しんし)で説得力のあるトーンで演じ切り、自然と共感できる正明像を作り上げている。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
もう一人の重要な存在が天海祐希演じる、純子の登山仲間であり新聞記者でもある北山悦子だ。天海らしい姉御肌の包容力と芯の強さを感じさせながらも、仲間だからこそ抱く嫉妬や恐怖といった感情を隠さない。純子を鼓舞する理解者である一方で、常に「置いていかれる側」に立たされる人物でもある点が、このキャラクターの肝だ。理想化された親友ではなく、感情をぶつけ合うリアルな関係性として描かれることで、物語に確かな奥行きを与えている。
その悦子の青年期を演じるのが茅島みずきだ。戸惑い、憧れ、不安といった揺れる心情を、主に表情の変化で繊細に表現する。決して冗舌ではないが、その静けさこそが、純子の選択が周囲に与える重さを際立たせている。定まらない視線や、親友を理解しきれないまま受け止めようとするどかしさ、若さゆえに同居する「希望」と「怖さ」。それらがリアルに伝わってくる演技だ。技巧に走るのではなく、茅島自身の人間性が自然とにじみ出た表現が、悦子という人物をより立体的にしている。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
世代を越えて人生のバトンをつなぐ存在
本作の核をなすのは「橋渡し」だが、偉大な登山家の成功物語ではなく、一人の人生を描く作品として成立させた立役者は、工藤阿須加と茅島みずきの存在だ。彼らは、晩年の純子を演じる吉永と、青年期を演じるのんという、異なる時間軸と価値観を確かにつなぐ役割を担っている。
工藤が演じる正明は、純子の理想や挑戦を、社会や現実の視点へと引き戻す「現実への橋」だ。主人公の選択が独善的に映らないようバランスを取り、見る者の理性的な視点を代弁する存在でもある。一方、茅島が演じる悦子は、純子の生き方が次の世代にどう受け止められるのかを示す「未来への橋」だ。この二人の存在を通して、本作は過去の偉業をたたえる物語にとどまらず、純子の人生をどう受け取り、今を生きる私たちは何を選ぶのかを問いかける、現在進行形の物語へと昇華している。

©2025「てっぺんの向こうにあなたがいる」製作委員会
そう考えると、タイトルにある「てっぺん(頂点)」が、ゴールではなく通過点であることが見えてくる。『てっぺんの向こうにあなたがいる』は登山を軸に据えながら、その本質では「人生」を描いた映画だ。純子が最後に「てっぺんの向こう」に見たものとは何だったのか。実在の人物の足跡を追体験させながら、本作は人生への静かな問いを投げかけてくる。
感情を過剰にあおらず、あえて"泣かせ"にいかない阪本順治監督の演出も特筆すべき点だ。感情の主導権を最後まで観客に委ねる姿勢が、作品に奥行きを与えている。余白を大切にしたラストシーンも美しく、それを理性で受け止めるか、感情で受け止めるかによって、本作の印象は大きく変わる。本作は、一度の鑑賞ではつかみきれない部分も多い。だからこそ、時間を置いて何度か向き合うことで、見え方が変わってくるはずだ。人生と同じように、繰り返し噛みしめたくなる一本である。
文/渡辺敏樹




