『ミリオンダラー・ベイビー』を、観たくないのに観てしまう理由【尾崎世界観】

『ミリオンダラー・ベイビー』を、観たくないのに観てしまう理由【尾崎世界観】

今回選んだ『ミリオンダラー・ベイビー』は2004年公開の、クリント・イーストウッドが監督と主演を務める作品です。初めて観たのは映画館ではなくて、確かテレビだったような気がします。最近は少なくなりましたが、昔はよく、深夜にいい映画をテレビで放送していましたよね。『ミリオンダラー・ベイビー』は、観たくないけど観てしまう......。そんな作品です。初めは何となく観ながら、どんどん作品に引っ張られていくような気分になったのを覚えています。物語の軸になるのは女性ボクサーと老トレーナーの関係なんですけど、決して気持ちのいい話ではない。あまりにもテーマが重いんですよね。前回取り上げた『パルプ・フィクション』とは、「死」の描き方、そのタッチも全然違います。誰もが楽しめる作品ではないし、途中で観るのをやめてしまう人もいるかもしれない。でも、そういう人たちを強引に引き留めて、最後まで離さない力をこの作品は持っていると思います。クリープハイプで、『百円の恋』という女性ボクサーが主人公の映画の主題歌を書き下ろしたときも、『ミリオンダラー・ベイビー』のことを思い出しましたね。

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世の中には、自分じゃどうすることもできない何かがいっぱいある。作品を通してそういうものに向き合うことは、本当に大事だと思います。『ミリオンダラー・ベイビー』を観ることも、自分にとってはその「どうすることもできない何か」と向き合う感覚に近いです。物語のテイストも前半と後半でかなり違うし、人によっては「裏切られた」と感じるかもしれません。後半は、ほとんど「見るつもりのなかったもの」を観なければいけない。そこに寄り添うのはしんどいことだけど、でも、その「しんどさ」こそ必要なものだと思うんです。生きていくうえで鍛えなければいけない部分というか。「自分の思い通りにならないもの」のためにお金や時間を使うって、よく考えてみればすごいことですよね。

この作品は、女性ボクサーの家族や、反則で大怪我を負わせる対戦相手のような、嫌な人たちもいい仕事をしています。普段の日常生活でも、どうしても合わない人や意地悪な人っていますよね。でも裏を返せば、そういう人の存在があるからこそ、何かを諦めることができるのかもしれない。『ミリオンダラー・ベイビー』を観て、そんなことを思いました。人は、全部を持って進んで行くことはできない。だからこそ、何かを切り捨てていく場面がある。そしてそれはすごく大事なことだと思います。

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この作品に出てくる女性ボクサーとトレーナーは、物語の最後に大きな決断をします。もし自分が同じような状況になったときにどう思うのか、やっぱり考えてしまいますね。自分のことが一番わからないですから。決断し切る強さがあるのかどうかもわからない。毎日のように変わっていく気持ちに、どこかでたまたまルーレットの矢が止まる。それが「決断する」ということなのかもしれないし。『ミリオンダラー・ベイビー』は、そういうことを考えるきっかけにもなる作品だと思います。

重い映画ではありますが、わかりやすさやサービス精神もちゃんとあります。ただ、奇をてらった芸術的な表現がないからこそ、作品の「重さ」が直で観る側に突き刺さってきます。クリント・イーストウッド監督は、真正面から、この作品の持つ難しいテーマに向き合ったんだと思います。クリント・イーストウッド監督って、もう95歳なんですね。きっと、創作で身を削りながら寿命を縮めていくタイプとは真逆で、創作によって生きる力を得る健全な方なんでしょうね。こちらも見習いたいです。

取材・文/天野史彬

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