観終わった後に不思議な感覚が残る、宮沢りえ主演『紙の月』【尾崎世界観連載】

尾崎世界観

尾崎世界観 (クリープハイプのボーカル・ギター)

ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。 小説『転の声』が第171回芥川賞候補作に選出。小説家としても活躍する尾崎世界観が、好きな映画を語りつくす。

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尾崎世界観 (クリープハイプのボーカル・ギター)

ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。 小説『転の声』が第171回芥川賞候補作に選出。小説家としても活躍する尾崎世界観が、好きな映画を語りつくす。

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観終わった後に不思議な感覚が残る、宮沢りえ主演『紙の月』【尾崎世界観連載】

今月選んだ『紙の月』は、ひとりの妻として、そして銀行員として生きている女性が、徐々に不倫や横領などに手を染めていく姿を描いた映画です。ストーリーがはっきりしているのでわかりやすく楽しめるんですが、登場人物に関しては、あまりはっきり描かれていない。その人がいいのか悪いのか、ずっと曖昧です。ストーリーはわかりやすく派手なのに、その中にいる登場人物たちが絶妙な位置にいる。そんなバランスが好きです。みんなが持っているけれど、でも出さないように必死に我慢している......そんな感情が描かれている作品だと思います。

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宮沢りえさん演じる主人公の姿を観ていると、どこか「他人事じゃない」と感じるんですよね。家庭内でなかなか自分をわかってもらえないもどかしさも、「わかるなあ」と思う。主人公が、田辺誠一さん演じる夫へのプレゼントに時計を買って帰るシーンがあるんですけど、せっかく渡したのに「今度ゴルフにでも着けて行くよ」と言われてしまう。しかも、後日、夫はより高級な時計を妻へのプレゼントに買って帰ってくるという。「なんでだ?」と思いますよね。でも、この映画の良いところは、主人公にだけ感情移入させるのではなく、いろんな立場の登場人物に共感できるところです。この夫の感覚も「きっと悪気はないんだろうな」と、どこかで理解できる。小林聡美さん演じる先輩銀行員も、いいか悪いかという観点とはまた別のところで、ずっと見守っていてくれるような不思議な存在感があって。そうやって、映画の中のいろいろな場所に自分が理解できるポイントがあるし、だからこそ、落ち着かなさも感じます。そのくらい、登場人物を「この人はこうだ」と決めつけない。これは作品を作るうえでとても体力がいることだと思うんです。「この人はいい人」とか「この人は悪い人」と決めつけて描けば簡単だけれど、そこに頼らず、別の力で物語を動かしているような気がします。

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公開されたのは2014年で、もう10年以上前ですが、すごく今っぽさを感じます。個人的に、最近は「重力に逆らいながら生きていかなければならない」と感じることが多いんです。そうしないと、いろいろなことがバレてしまうんじゃないか?という怖さがある。今は、他人のことにみんなが首を突っ込んでくるから。だから、より「いい人」であるために重力に逆らい続けなくてはならない。それってすごく疲れることだと思うんですよね。「もう、どうでもいいな」と思って重力に逆らうのをやめた瞬間、1歩間違えれば、この映画の主人公のように悪いことをしてしまう可能性が、誰にでもある。主人公が最初に銀行のお金を横領してしまうのも、どうしてもそれが必要だったわけでもなく、本当に些細なきっかけで。「後で返そう」と思いながら、ちょっとお金を抜いてしまう。そんな感じで、どれだけ真面目に生きていても、変なボールが思いがけずこっちに飛んでくることはある。そうやって回ってきたボールを「これは自分のじゃない」とちゃんと打ち返せるかどうか。それはその時の精神状態にもよるし、自分がどう動けるかはやっぱりわからないですよね。この映画で描かれているようなわかりやすい犯罪ではないにせよ、「自分自身、常になにかを壊して生きているんだよな」と、この作品を観て思いました。

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最後は意外な終わり方でしたね。もしかしたら、今っぽくない終わり方かもしれない。今なら、主人公にもう少しわかりやすい罰を与えそう。この最後のシーンには、主人公が自らの人生に納得できるような瞬間が描かれていると思います。こういう一瞬は、たとえ短い時間であっても、どんな悪いことをしていても、誰にでも訪れるべきだと思う。その瞬間の短さに不満を感じる人がいれば、「この短い一瞬でいいんだ」と納得する人もいる。そこは人それぞれ。個人的に、この最後には希望があるなと思いました。決して明るい映画ではないですが、どこか振り切れていて、観終わった後に不思議な感覚が残る作品です。

取材・文/天野史彬 撮影/中川容邦

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