元巨人・岡崎郁「僕の野球観が変わった」90年日本シリーズ。発言の真意【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.11.05
MLBやNPBのポストシーズンゲームにおいて、4連勝でケリをつけることを「スイープ(Sweep)」と呼びます。文字通り、敵を「一掃」したという意味です。敗れた側の選手には、多少なりとも"心の傷"が残ります。
■デストラーデの3ラン
日本シリーズは2リーグに分立した1950年にスタートしましたが、スイープで決着(引き分けをはさまない)したケースは、今年も含め8つあります。
1959年 ○南海ホークス―●読売ジャイアンツ
1960年 ○大洋ホエールズ―●毎日大映オリオンズ
1990年 ○西武ライオンズ―●読売ジャイアンツ
2002年 ○読売ジャイアンツ―●西武ライオンズ
2005年 ○千葉ロッテマリーンズ―●阪神タイガース
2019年 ○福岡ソフトバンクホークス―●読売ジャイアンツ
2020年 ○福岡ソフトバンクホークス―●読売ジャイアンツ
2026年 ○福岡ソフトバンクホークス―●横浜DeNAベイスターズ
わけても印象に残っているのが、巨人の主力選手であった岡崎郁(※「崎」は正しくは「立つさき」)さんが「僕の野球観が変わった」と言った西武との90年のシリーズです。
4試合のスコアを見てみましょう。
第1戦 西武 5対0 巨人(東京ドーム)
第2戦 西武 9対5 巨人(東京ドーム)
第3戦 西武 7対0 巨人(西武球場)
第4戦 西武 7対3 巨人(西武球場)
もっとも点差の少なかった試合(第2戦と第4戦)でも4点差。岡崎さんは「勝てそうな試合がひとつもなかった」と語っていました。
4試合を振り返ってみて、私は第1戦の初回の攻防が全てだと思いました。巨人の先発はこの年、9勝(5敗)をマークした槙原寛己さん。2死三塁から、4番の清原和博さんに四球を与えてしまいます。
2死一、三塁で左打席にはオレステス・デストラーデさん。3ボールナッシングからの4球目です。「(前の清原から)7球連続でボールだったので、真っすぐでストライクを取りにくる」と読んだデストラーデさんは、それを待っていました。
■敢闘賞とMVP
読み通りでした。真ん中付近の失投を、この年、本塁打(42本)と打点(106)の二冠王に輝いたデストラーデさんが見逃すはずがありません。
フルスイングから放たれた打球はライトスタンド中段へ一直線。西武にとっては十分過ぎるほどの先制パンチでした。
その裏、巨人もチャンスをつくります。西武の先発は、この年18勝(10敗)をあげ最多勝に輝いた渡辺久信さんです。立ち上がりに難のある渡辺さんは、先頭の篠塚利夫さんを四球で歩かせます。続く2番川相昌弘さんは犠牲バントの名手。カウント2ボール1ストライクからの4球目をボールと判断した川相さんがバットを引いた瞬間を、キャッチャーの伊東勤さんは見逃しませんでした。篠塚さんの離塁が大きいと判断したのでしょう。矢のような送球を一塁に送りタッチアウト。これで勢いに乗った渡辺さんは9三振を奪う力投で、3安打完封勝ちを収めました。
後年、岡崎さんに冒頭で紹介した言葉の真意について聞きました。
「あの年は88勝して、シリーズまでに1カ月間あった。調整不足だったにせよ、ちょっと力の差があり過ぎました。
当時の巨人の野球は、1番打者は1番、2番は2番、クリーンアップはクリーンアップの役割に徹するというもの。ところが西武は、たとえば4番の清原和博が先頭で打席に入ると、1番の役割をする。まず塁に出ようとするんです。このように皆がひとり何役もできる。僕は、そういうことを言いたかったんですが、"巨人の野球を否定するのか"みたいなとらえ方をしたOBもいたみたいですね」
実は惨敗の中で、ただひとり気を吐いたのが岡崎さんでした。12打数5安打1本塁打の活躍で、敢闘賞を受賞したのです。
岡崎さんは3連敗から4連勝した前年の近鉄バファローズとの日本シリーズでも、MVPに選出されています。大舞台での勝負強さが光るクラッチヒッターでした。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。



