「優勝請負人」工藤公康の箴言。「なんでもハイ、ハイでは伸びない」【二宮清純】

来シーズンから中日ドラゴンズの指揮を執ることが決まった工藤公康さんは、選手(西武ライオンズ―福岡ダイエーホークス―読売ジャイアンツ―横浜ベイスターズ―埼玉西武ライオンズ)として、リーグ優勝14回、日本一11回。福岡ソフトバンクホークスの監督としてリーグ優勝3回、日本一5回の"優勝請負人"です。2016年には野球殿堂入り(プレーヤー表彰)を果たしています。

■「坊や」の時代

工藤さんは1981年秋のドラフトで西武ライオンズから6位指名を受け、翌82年に入団しました。高校3年夏の甲子園でノーヒットノーランを達成するなど"超高校級左腕"の評価を得ていた工藤さんの指名順位が低かったのは、名古屋電気(現愛工大名電)卒業後は社会人野球の熊谷組に進むと公言していたためです。

しかし、西武のGM・根本睦夫さんには勝算があったようです。工藤さんの父親である光義さんを口説き落とすことに成功したのです。

以下は以前、工藤さんから聞いた話。
「初めての交渉から、しばらくたったある日のことです。夜中にオヤジに叩き起こされた後、こう告げられました。"オマエを西武にやることにした。今日から根本さんが東京の父親だ"と。家には根本のオヤジも来ていて、テーブルにはビール瓶の山ができていましたよ。どこかで話がついたんでしょうね」

広岡達朗監督1年目の西武は、一騎当千のサムライ集団でした。九州(西鉄・クラウンライター・太平洋クラブライオンズ)からやってきた東尾修さん、大田卓司さん、阪神タイガースからは田淵幸一さん、古沢憲司さん、ロッテオリオンズからは山崎裕之さん、南海ホークスからは片平晋作さん......。広岡さんは高卒ルーキーの工藤さんを「坊や」と呼んでかわいがっていました。

しかし、この「坊や」は、オオカミの群れに放り出されたウブな子羊ではありませんでした。

工藤少年に与えられた最初の仕事は「アイスコーヒーづくり」。先輩から「おい坊や、アイスコーヒーな」と頼まれれば、「嫌です」とは言えないのがこの世界です。

とはいえ、球場のどこを探してもアイスコーヒーは見当たりません。恐る恐るひとりの先輩に「アイスコーヒー、どこにあるんですか?」と訊ねると、けんもほろろにこう返されました。

「アイスコーヒー、そんなものどこにもねぇよ!」
今ならパワハラに該当しそうな事案ですが、先輩の命令は絶対です。

■「ボケ、打てよ!」

工藤さんは氷を地階の製氷機から用立て、お湯を沸かしてコーヒーをつくり、氷入りのカップに注ぎ込みました。即席のアイスコーヒーの完成です。以来、アイスコーヒーづくりは工藤さんの日課となりました。
「オレはブラック!」
「おい、オレのはミルク入りだ!」
「砂糖も入れてくれよな!」

先輩によって飲み方は様々です。工藤さんはそれを全て頭に入れ、ひとりひとりに提供したそうです。ピッチャーにとって最も大切な機転は、こうして養われたのかもしれません。

広岡さんから目をかけられた工藤さんは、1年目のキャンプからバッティングピッチャーに駆り出されました。

あるベテランに投じた球は、2球続けてボール。3球目はど真ん中のストライク。そして4球目はまたボール。

ここでベテランの怒りが爆発します。
「3球続けてストライク外すんか! このクソガキが!」

工藤さんは、深々と帽子を取り、大声で謝りました。
「すみません!」

しかし、工藤少年、心の中ではペロッと舌を出していました。
「僕は一応、スミマセンと謝りはしたけど、心の中では"バカヤロー、1球ストライク入っているじゃないか、ボケ。打てよ!"と叫んでいましたよ」

この反骨心、闘争心が、後の224勝につながったのかもしれません。

「この世界、なんでも"ハイ、ハイ"と人の言うことを聞いているような素直な子は伸びないですね」

生き馬の目を抜くプロ野球の世界を生き抜くには、どうすべきか。この言葉には、そのヒントが詰まっています。

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

連載一覧はこちら

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

連載一覧はこちら