アニメ『キルアオ』が描くやり直しの青春!殺し屋が中学生になって見えてきたもの【松井玲奈】
アニメ 見放題連載コラム
2026.08.08
「学園」「アクション」と来たら次に思い浮かぶワードはなんだろうか。大抵は「恋愛」とか、「友情」が来ると思うけれどアニメ『キルアオ』は"殺し屋"というなんとも物騒なワードが3つ目に飛び込んでくる。
大狼十三(おおがみじゅうぞう)は謎の蜂に刺され、子どもの体になってしまった伝説の殺し屋。体が子ども化する作品は数あれど、殺し屋が子どもになってしまった設定のインパクトはなかなか強いものである。「こんな体じゃ殺し屋として働けない!」と、頭を抱える彼のところに降ってきた新しいミッションは「来年中学生になるボスの娘のために、進学予定校を偵察してきてくれ」というとてつもなく個人的なミッションだった。学校に通うだけで給料が出るとなれば、中学生として学校に通うほかはない。こうして、殺し屋・大狼十三は中学生になったのである。

(C)藤巻忠俊/集英社・「キルアオ」製作委員会
学校生活が変えた十三の価値観
この作品は派手なアクションシーンが見どころの一つでもあるが、私に刺さったのは、中学生になったことで自分の抱えてきた固定概念を崩し、新しい人生を歩み始める十三の生き生きとした姿だった。子どもの頃から裏社会に身を置いていた彼は、学校に行くこともままならなかったし、料理や掃除などの人間らしい生活をすることがとても苦手でかなり偏った思考を持っている。「料理や掃除なんて男がやるもんじゃないだろう」と令和とは思えない発言を繰り出すので、申し訳ないが腹が立った。しかし、クラスメイトの姉・白石千里の提案を受け家庭科部に体験入部をすることになった彼は、誰かのために料理することの尊さを学んでいく。
自分で作ったおにぎりとおみそ汁を、なかなか会うことのできない自分の娘にプレゼントし、電話越しに「おみそ汁ちょっとしょっぱかったけどおいしかったよ」と言われたことで、料理ってやつも悪いもんじゃないなと感じる。学園コメディーアニメだと思っていたら、思わぬ心温まるストーリーに胸を打たれてしまった。自分で作る料理は「まあ、こんなものだな」と思うのに、人が作ってくれた料理というのは完成までにかかった手間や、相手の温もりを感じられるからこそ、よりおいしく感じるのだ。人が作ってくれた温かい料理が恋しいなと思わせてくれる、余韻のあるステキなエピソードだった。
千里は「自分のケツは自分で拭け」と強く言い放つが、確かに生活をすること、生きていくことは、自分で自分の責任を取れるようになることだ。殺し屋として仕事の部分で責任をとることに慣れていそうな十三も、それが日常生活に変わるとからっきし。生活するすべを知ることで、十三の見る世界にも変化が訪れていく。人の生を止めてきた人間が、今度は生を続けるための行動を学校で学んでいく対比も面白い。

(C)藤巻忠俊/集英社・「キルアオ」製作委員会
恋愛ではない、ノレンとの特別な絆
同級生である蜜岡ノレンとの関係性も、この作品の大切な軸の一つである。彼女の父親は有名な製薬会社「ミツオカ製薬」の社長。体を元に戻すためのヒントがそこにあるかもしれないと思った十三は彼女に近づこうとするが、極度の男性嫌いなノレンにはあっけなくあしらわれてしまう。それでも、誘拐犯から助けたり、言い寄ってくる男子から守ったりするうちに、ノレンは次第に十三へ信頼を寄せるようになっていく。
もしかしてこの流れ、十三とノレンの恋愛が始まってしまうのでは?とヤキモキしていたが、彼が心に抱いていた感情は彼女を娘のように思う親心。自分の娘にしてやれなかった償いの側面もあるのかもしれない。その気づきを視聴者が知ることで、彼のノレンに向ける優しいまなざしの理由が分かってくる。容易に恋愛関係に発展せず、周りとは違う特別な感情を抱く二人の間に強い絆が生まれていくところもステキだった。特に、ノレンとの結婚を画策して彼女を誘拐した竜胆兄弟に対し、「こんなやつには娘はやれん!」と本当に父親みたいなことを言う。

(C)藤巻忠俊/集英社・「キルアオ」製作委員会
「キルアオ」が描く、やり直しの青春
大人としては経験豊富なのに、中学生としては知らないことばかりの十三の姿はギャップがあってコミカル。勉強が分かることに感動し常に参考書を持ち歩く姿や、同級生とのメッセージのやりとりに困惑したり、勉強を教えてくれる心強い存在にも感謝をする。
死をイメージさせる職業の人間が、生きるための活動を今一度知って成長していくこの物語はただのコメディー作品ではない。十三が大人の姿に戻れるかは分からないが、彼は彼としてやり直しの人生の中で大きく成長する。仲間を手に入れ、一緒に食事をし、時間を過ごし、友人たちと笑い合う当たり前の時間を取り戻していく。忘れてしまった大切な時間、当たり前を経験してこなかったからこそ、彼のやり直しの学園生活は眩しく輝くのかもしれない。それと同時に自分が中学生だった頃、彼と同じようにひとつひとつの出来事に感動できていただろうかとも思う。きっと一度大人を経験したからこそ、彼は自分の手にないものの特別さを理解しているのだろう。



