声優・岡本信彦インタビュー #1「オーディションに落ちた作品は、すべてメモ帳に書き溜めていた!?大人気声優のストイックすぎる素顔に迫る」
アニメ インタビュー
2024.02.22
「僕のヒーローアカデミア」の爆豪勝己役をはじめ、「青の祓魔師」の奥村燐役、「とある」シリーズの一方通行(アクセラレータ)役、「葬送のフリーレン」のヒンメル役など、数々のヒットアニメで主要キャラを演じる声優・岡本信彦さん。ときに仲間思いの熱いキャラから、ときに狂気に満ちたクレイジーなキャラまでを演じ分けつつ、そのキャラクターの魅力を深く引き出し、圧倒的な存在感を放つキャラへと昇華させます。その幅広さと奥行きを感じる表現力は、一体どこから生まれるのか。このインタビューでは全3回にわたって、その人となりをひもときながら、声優・岡本信彦の素顔に迫ります。
■アニメやゲームは好きだけど、
主人公が好きになるタイプではなかった

――今日はよろしくお願いします!いきなりなんですが、じつは私、岡本さんと同世代でして......!
「え、そうなんですか!何年生まれですか?」
――1987年生まれなんです。で、我々の世代ってちょうど初代ポケモンがどストライクだったじゃないですか。岡本さんもポケモン好きってお聞きして。
「ポケモン、どストライクですね。初代の頃は、友達のミュウツー6体に勝てなかったのが悔しくて、なんとか勝てる方法がないかめちゃくちゃ考えてました。そこから間が空いて、ダイパからまたやり出して、という感じですね」
――剣盾のランクバトルがマスボ級なのも、ある動画で拝見しましたが、最新作のSV(スカーレット・バイオレット)もやってらっしゃるんですか?
「それが、事務所を設立してからは、なかなかゲームをやる時間がなくて。本当はもっとやりたいんですが......!最近でいうと、年末年始に久々に時間ができて『ドラクエモンスターズ3』のランクマッチはやってましたね。ランクはレジェンドに行けず、ダイヤ止まりでしたけど(笑)」
――すみません。いきなり同世代トークで本題から逸れてしまいましたが、今日は声優・岡本信彦に迫るインタビューということで、改めてよろしくお願いします。
「よろしくお願いします(笑)」
――幼少期の頃はどんなお子さんだったんですか?
「親や周りの人には『性格が今と全然違う』ってよく言われますね。3歳になるまでは全然喋らなかったみたいで、あまり何を考えているかわからない子だったみたいです。自分でもその頃は記憶がないんですが。で、3歳初めて喋ったときに、出てきた言葉が『バイソン』だったと(笑)。それがなんでなのかはまったくわからないんですが、その後も積極的に自分から話すタイプではなかったそうです。
小学生になると自分でも『人と話すのがあまり好きではないな』というのを自覚するようになって、それは中学生の頃まで続きました。逆に、高校に入ると『人と会話するのって楽しいんだ!』という心持ちにまた変わっていくんですが......」
――今の岡本さんからするとすごく意外ですね。小中学生の頃は、どんなことが好きだったんですか?
「将棋、水泳、バドミントンはそれぞれ結構打ち込んでやっていましたね。自分が気に入ったこととなると集中してやり切るタイプだったので、その3つは人並み以上にはできるようになっていたと思います。
とくに将棋はプロを目指してやっていました。ただ、小学校6年生の段階で周りの子たちと段位に差がつき始めていたので、『これだと難しいな』と思ってプロ棋士は諦めることにしました。
あとはもちろん、小さい頃からアニメやゲームも好きでした」
――当時、好きだったアニメというと?
「それこそポケモンも好きでしたが、まず好きになったのは『SLAM DUNK』でしたね。とくに流川楓が大好きで、憧れて中学でバスケ部に入るくらい、好きでした。才能がなさすぎてすぐにバスケは諦めましたが(笑)。
『SLAM DUNK』と、『美少女戦士セーラームーン』が続く時間帯が毎週楽しみだったのと、あとは『幽☆遊☆白書』や『ドラゴンボールZ』も好きでした。小さい頃は、それがどの雑誌で連載しているかまでは気にしていませんでしたが、後々になってみるとジャンプ系アニメが好きになることが多かったですね」
――あぁ...流川好きなの、めちゃわかります...!ちなみに、ほかの作品ではどんなキャラクターが好きだったんですか?
「『幽☆遊☆白書』だったら飛影と風使いの陣、『NARUTO』だったらイタチと鬼鮫、『HUNTER×HUNTER』だとキルアや団長が好きでしたね」
――挙げていただいたキャラクターにどことなく共通点を感じますね。陣を除いて、ちょっと黒のイメージというか(笑)。
「そうかもしれないですね(笑)。昔から、あまり主人公が好きになるタイプじゃなかったんですよね。むしろ敵キャラだったり、飄々とした感じのキャラが好きだと思っていました」
――いつ頃から「声優になりたい!」と考えるようになったんですか?
「中学生の頃からですね。元々、家にマイクがあってかつアニメが大好きだったので声優という職業があることは知っていました。もし声優になれれば、自分が諦めてしまった流川楓のようなバスケットボールプレイヤーや、『月下の棋士』の氷室将介のような将棋の棋士になって、その人生を擬似体験できるんじゃないか。そんなふうに思ったのが『声優になろう』と思ったきっかけでした」
■つねに厳しい環境に身を置いていたい

――高校生の頃は、学校に通いながら養成所にも通われて、学費のためにアルバイトもされていたとお聞きしました。
「そうですね。ハンバーガーショップやコンビニの店員、警備員、郵便局と、結構いろいろなアルバイトを経験させていただきました。一番長かったのはハンバーガーショップで、作業やオペレーションに対してかなり厳しかったので、いろいろなことを考えるきっかけになり、成長した感覚がありました。
あるときは、バーガーをつくるのにスチームを使わなければいけないんですが、僕はどうしても左手の皮が薄いのか、やけどみたいになってしまうんですね。それで右手だけで作業をしていたら、『それだとオペレーションが遅くなる。お金をもらうからには、しっかりやらないと』と怒られたんです。そこで初めて、"お金を稼ぐ"ことの厳しさを感じて、それは今でも自分の中には残っていると思います」
――そんなに......!それだけ厳しい環境に身を置くのは、苦ではなかったですか?
「むしろそのほうがいい、という感じでしたね。父親に感化されているだけなんだと思いますが、少し昭和的な感覚で『厳しいほうが自分が成長する』と思い込んでいる節があるのかも。ただ、最近はそうではないやり方が好まれる場合も多いので、あくまで自分に対してだけ、だと思っています。
もし今、高校生に戻れるとしたら、有名な某コーヒーショップで働いてみたいですね。『厳しい』とよく聞くので...!」
――めちゃくちゃストイックですね。ハンバーガーショップでのアルバイトは、ほかにどんなことが学びになったと感じていますか?
「いちばん大きかったのは、『自分が出す価値』について考えるきっかけをもらったことですかね。じつは、いろいろなアルバイトを経験する中で、"労働の価値"について考えるようになったんですよ。秒刻みで取り組まなければいけない仕事もあれば、時間が過ぎるのを待っている、というような仕事もある。なのに、時給はそこまで変わらない。それが自分の中で、『おかしいな』という疑問に変わったというか。
そして経験した中で一番厳しく、スタッフの意識が高かったのがハンバーガーショップでした。オペレーションを乱さないように付いていくのは大変だけど、『自分はどんな価値を出せるのか』ということを考えるきっかけになったと思います」
――「自分がどんな価値を出せるか」。それは今の仕事にも繋がりそうですね。
「そうですね。ただ声優の場合は、それが『僕が演じるならこうです』というように、より個人の価値が占める割合が、大きいのかなと思います。それは、僕の価値観や信念、仕事に対する姿勢も含めてのことなので、すごく言語化するのは難しいんですけど、そういうことを考えるようになったのも、ハンバーガーショップでのアルバイトがきっかけとして大きいのかなと思います」
■オーディションに落ちた作品を
メモ帳に書き溜めていた

――それで、高校生の頃から養成所に通われていた岡本さんですが、やっぱり「声優になりたい!」という気持ちは強かったですか?
「そうですね。声優になりたいとはやっぱり強く思っていましたけど、同時に『養成所に行けばなれる』と甘く考えていたとも思います。ただ、養成所でいろいろなことを知るうちに、『これは甘くないぞ』ということがわかってきて、どんな練習をすればいいか、自分で考えるようにはなっていきました」
――養成所とは別に、自主的な練習もしていたんですか?
「はい。養成所で教えてもらえる日が週1回土曜日のみだったんですよね。授業日が少ないなかで、それ以外の日にどう練習するかは結構考えていました。例えば、『マンガの音読を録音する』。今思えば、正解がわからない中での練習なので自己満足だったかもしれませんが、それはひたむきに続けていました。
あと、これは練習とは違いますが養成所で知り合った生徒の方々からも学びが大きかったですね。当時、僕は高校生で周りはみんな社会人の方々なんですよ。大人に混じって練習会とかに参加したり、一緒にご飯を食べたりして、そこで人生の先輩たちの意見や見解を知るのは、自分の進路を考える上でもすごく刺激になったと思います」
――そして養成所を卒業し、大学在学中にはもうプロの声優として活躍していたそうですが、いわゆる"下積み時代"というのはあったんですか?
「ほかの声優さんからすれば『そんなの下積みに入らない!』って思われるかもしれないくらい短い期間なのかもしれないんですが、僕視点で言えば、もうまったくオーディションに引っかからない悩みの時期は、もちろんありました。とくに最初の頃は、一次審査のテープオーディションすら通過できずに最終までたどりつけない。
その時は、落ちた作品は全部メモ帳に書き溜めていました(笑)」
――すごい!悔しさの具現化。
「自分を精神的に追い詰めるわけじゃないですけど、『これは忘れてはいけない』という気持ちからやってましたね。
僕は自分のことをすごく怠惰な人間だと思っていて、新人なのに『今日は練習する気分じゃないな』という日があったりするんですよ。そういう時に、オーディションに落ちた作品のリストを見直すと、『これじゃいけない』っていうスイッチが入って、ちゃんと練習できるようになる。一つ一つの作品名を見て、『この役やりたかったな、受かりたかったな』という気持ちになりますし、悲しさや悔しさが込み上げてくるというか。
もちろん、新人なのでたくさん受かるはずもないですが、当時はそれが自分を奮い立たせるスイッチになっていたとは思います」
■声優としての転機になった
現場での思い出

――ご自身の中で、転機になった作品があれば教えていただけますか?
「それはもう、2008年放送の『ペルソナ ~トリニティ・ソウル~』ですね。神郷三兄弟の長男を子安武人さん、三男を沢城みゆきさん、そして次男を僕が演じさせていただいて、沢城さんからも子安さんからも、本当に大きな学びをいただきました」
――沢城さんからは、どんなことを?
「まず第一話で、沢城さんから質問攻めに合いまして......。おそらく、レコーディングの際に絵があまり出来上がっていなかったという状況もあって質問をしてくれたんだと思いますが、『今どこにいるの?どんなことを喋ったの? これ、なんでこう喋ったの?』と、それはもうガンガンに......。
ただ、当時の僕は声優としてまだ感覚的にお芝居しようとしていて、その質問にまったく答えられなかったんですよね。それで、はっきりと『これじゃダメだ』と自覚したんですよ。それで2話目以降から台本にびっしりと書いてからレコーディングにのぞむようにしたんですよ。いつ質問されても答えられるように。ただ、そこからは質問されることもありませんでした」
――「感覚的に演技する」というのが変わった瞬間だったんですね。
「もちろん、感覚的な演技のほうが合う人もいると思いますが、僕にとってはそれが正解ではなかったんだと思います」
――子安さんからは、どんなことを教わったんですか?
「子安さんには、最終話が終わったあとに『ペルソナラジオ』というWEBラジオのパーソナリティを引き受けていただいて、その時に言われたのが『ノブは、等身大でやろうとしすぎている。それだと全部がノブになるよ』と。
たしかに、『ペルソナ ~トリニティ・ソウル~』で演じた神郷 慎というキャラクターは当時の僕と、年齢もほぼ同じキャラクターだったので、自分の反応そのままをアニメに投影すればいいと思っていたんですね。そうしたら子安さんからは『そのやり方は、1回しか使えない』と......。
『キャラクターの魅力や個性は、一人ひとり違う。そのキャラクターの魅力をどう引き出すか、それを自分の中で決めていくのが声優の仕事だよ』。子安さんにかけていただいたその言葉は、今でもずっと声優として大事にしながら演技しています」
――そこから、キャラクターに対する向き合い方が変わっていったんでしょうか?
「そうですね。多分、声優という仕事って演じるキャラクターの魅力を、その声優がどう考えるかで、初めて差が生まれると思うんですよ。例えば、ツンデレのキャラクターがいたとして、『僕はこのキャラのツンの部分が好きだから、ツンをもっと尖らせよう』という人もいれば、『ツンを際立たせるためにも、デレの甘さを突き詰めよう』という人もいる。
その解釈の違いでキャラクターの魅力の引き出し方は変わりますし、それが全体の方向性とマッチするのかという部分でも、それ以来考えられるようになりました。子安さん、沢城さんと出会えた『ペルソナ ~トリニティ・ソウル~』は、声優としての僕を形作る上で大きな転機になった、忘れられない作品ですね」
取材・文/郡司 しう 撮影/清水 伸彦




