市川染五郎さんにお会いしたら10kg痩せました!劇場版「鬼平犯科帳 血闘」TV初放送記念インタビュー体験記【夫婦のじかん・大貫さん】
国内ドラマ TV初インタビュー
2025.01.09
2024年某日22:50。次男の寝かしつけ後に寝落ちしていた私のもとへ、マネージャーからLINEが送られてきました。
「先日の会議で大貫さんが絶賛されていた、市川染五郎さんへのインタビューの話があがっております」
まだ寝ぼけていた頭が一気に冴え、リアルにスマホの画面を二度見しました。そしてその後、寝付けずに朝を迎えたのです。それからというもの、まだ未確定の仕事にもかかわらず、とにかく風邪を引いてはならないと思い、近所の内科でオリンピック選手も使用していてドーピングにも引っかからないと噂の、咳を未然に防ぐ薬を常用するという気合いの入りようでした(ドーピング検査の予定は未来永劫ありません)。
染五郎さんを初めてお見掛けしたのは、ご家族で出演されていた某番組だと記憶しています。当時まだ小学生であった染五郎さん(この時はまだ松本金太郎さん)に、司会の方が、「何でもいいから将来何かやってみたいことはある?」と、歌舞伎以外でも何でもというニュアンスで聞かれていたのですが、染五郎さんは少し考えた後に「勧進帳の弁慶です。」と、答えていらっしゃったのです。野球選手だってパン屋さんだって何だっていいのに、歌舞伎の演目の中の役柄を考えていたのかと、その聡明さと純粋さに感動し、自然と歌舞伎が大好きになられているという事実にも感動し、「この感動と感謝をどこへ届けたらいいのかわからない!とにかくこの時代に生まれて良かった!」と、勝手に森羅万象に感謝したのでした。
その後、親子三代襲名会見を五度見したり、密着番組を見て涙したり、大河ドラマの登場シーンで小池栄子さんと同じ表情になってしまったりと、ご活躍を拝見する度に感動しておりました。そして、私自身の男児育児の指針にもなっておりました。
そんな中、吉本興業のドラマ好き芸人が集う「よしもとドラマ部」の会議にて、話の脈絡関係無く、私が染五郎さんの素晴らしさを語り始めるという通常運転をしていたところ、その日の夕、奇遇にも時代劇専門チャンネルでの劇場版「鬼平犯科帳 血闘」(池波正太郎原作 松本幸四郎主演)の独占初放送が決定したというご連絡がJ:COMに入り、私の熱弁を目撃されていた担当の方が縁をつないでくださったのでした。このコラムでは、取材の中でのこぼれ話等を、イラストを交えてご紹介していきたいと思います。
取材当日、染五郎さんは、ご準備が早く終わられたようで、開始時間より早くスタジオにいらっしゃいました。「オンタイムで始まるのでゆっくりしててください」というスタッフさんの言葉を真に受けていた私は、言葉のままゆっくりと寛いでいたところだったため、いきなりのご登場にあたふた加減が人生MAXとなりました。
その後、そのままの流れで染五郎さんのソロ写真撮影がスタート。カメラを向けられた瞬間にスイッチが入り、とてつもない目力でオーラ爆発写真の連続!捨て写真無し!
「絵にも描けない美しさ」とはよく言ったもので、美しい人を描くのは本当に苦労します。作画が勝手に変わってしまうのです。しかし、染五郎さんを形容する際に用いる言葉は「美しい」や「かっこいい」で本当にいいのか、という議論がいつも勃発します(私の頭の中で)。
とにかく人を惹きつける天性の才能を持った染五郎さん。その雰囲気を一つの言葉で表すのは、とても難しいのです。王子様のようなキラキラしたオーラがありながら、もしも魔法が使えるとしたら闇属性だろうなと思わせるミステリアスな雰囲気。回復魔法は使えないけど、一撃必殺の全体攻撃魔法をバンバン使うようなダークな雰囲気も感じてしまうのです。我が家の3歳の次男は、アンパンマンのキャラクターの中ではばいきんまん、スーパーマリオの中ではクッパが好きという、完全ヒール推しなのですが、染五郎さんの写真を見るやいなや、「かっこいい!」と連呼しながらばいきんまんやクッパの人形を近付けていました。3歳にも伝わるこのオーラ、写真撮影にて爆裂に輝きを放っておられました。
そして写真撮影に見惚れていると、前方から視線が......。染五郎さんへの取材を取り次いでくださったJ:COMの方が、私に物すごい眼光を向けていらっしゃったのです。言葉は発しておられなかったのですが、なぜか私には伝えたいことが理解できたのです。 「物すごいオーラですね......。しかし大貫さん!大貫さんもこの後、隣に並ぶんですよ......!」
確かにはっきりと聞こえたのです。これがテレパシーか!と思い、私も人生で初めてテレパシーを返しました。
そうなのです。この後、隣に並ばせていただき、2ショット撮影があったのです。スタジオにいる全員が思わず見入ってしまっているこの撮影空間にノコノコと入っていくなんて、恐ろしいことです......。普段仕事で写真撮影というものはあるにはあるのですが、大体他にも芸人がいて、撮影していると茶々を入れられ、その処理をしながら撮影するというパターンか、ファッション誌やキラキラママ雑誌等での撮影の際は、シャッターを切られる度にスタッフの方々が「かわいー」と言ってくださるお決まりの掛け声があり、毎回おどおどしてしまうというパターンしかありません。とにもかくにも、この日の写真撮影とは別物の撮影しかしたことがなかったのでした。
そんな中、ついに2ショットでの撮影になり、スタッフさんが私の紹介をしてくださる中、ペコペコと染五郎さんにご挨拶をしたのですが――
キレッキレの写真撮影からの、笑顔のギャップ!!一瞬でその場の空気をコロコロと変えてしまう染五郎さんに脱帽です。そして、子供の頃から変わらない笑顔!(注・初対面)笑顔の素晴らしさに硬直したまま、撮影がスタートしました。なかなか緊張が解けず、カメラマンさんからも「大貫さん、笑顔でお願いします......」とご指摘を受ける程......。
表情筋の形状記憶を頼りになんとか笑顔を作る私に、カメラマンさんが「ピースしてください」と一言。そうだ、明るくポップな写真を撮らねばと、本来の仕事を思い出し、満面の笑顔でポーズを取り始めた私。すると、なんと染五郎さんもピースをしてくださったのです......!
またもや硬直してしまった写真撮影となりました。至近距離の染五郎さんの破壊力たるや......。お会いするまでは、華奢で細身のイメージが勝手にあり、並んでお写真を撮らせていただく自信が無く、頑張って8kgダイエットして臨むほどだったのですが、実際お会いしてみると、そんなイメージは全く無く、すごく男性的で逞しい骨格!という印象を覚えました。染五郎さんのイラスト資料用ポーズ集を販売していただきたいくらいです。
そしてこの後、カメラマンさんが私のソロショットも撮影してくださったのですが、なんと言うか、私を撮るときと染五郎さんを撮るときとで、雰囲気が全く違いました。何度かお会いしているカメラマンさんだったのですが、スイッチが入るとこんな感じで撮影される方だったのか......と、変な写真ばかり撮っていただいていたことを反省しました......。
とにかく、クリエイターの熱量を上げさせる才能がすごい染五郎さん。日本史を勉強していると、浮世絵が一般に流通した一因として、歌舞伎の役者絵が取り上げられたりしますが、江戸時代は写真を気軽に撮れる環境ではなかったため、その代わりが浮世絵だったのだろうと想像していました。しかし、染五郎さんを見たとき、その概念を覆されるような感覚があったのです。単に写真の代わりなのではなく、言葉では表しきれない役者の存在感やオーラを、当時の絵師たちは魂を込めて紙にしたためたのではないか。そして歌舞伎に熱狂した人々が、また浮世絵にも熱狂したのではないかと。思わず江戸時代にまで思いを馳せてしまいました。
その後、いよいよインタビュー開始。インタビュー前に軽く自己紹介し、普段よしもとドラマ部にて勝手に染五郎さんの素晴らしさを語っていること、連載漫画の中で、こんな男の子に育って欲しいと勝手に染五郎さんの似顔絵を描いていたことなどをお話しさせていただきました。その際、「えぇっ」という本当にピュアな反応を毎回していただき、その純粋さに毎回心を打たれてしまいました。
そして、私の芸名は「大貫さん」までが芸名という、少しややこしい感じなのですが、その事に気付かれた染五郎さんが、「大貫さん」を連呼してくださるというまさかの神展開が訪れました。
「大貫さん」という芸名にして良かったと初めて思った瞬間でした。嬉しすぎて、とりあえず一旦スタジオを出てビルの外周を3周ほどダッシュしてまた戻ってきたいくらいのテンションだったのですが、大人なので着席のまま我慢いたしました。
私の大叔父が、その昔1億円を拾ったことがあるのですが、当時「1億円を拾った大貫さん」としてよくメディアに露出していたらしく、それを知った吉本のとある社員さんに、フルネームよりも、苗字をさん付けで「大貫さん」を芸名にした方がいい!と、半ば強引に決められた芸名だったのです。1億円の件は、私が生まれる前のことだったということもあり、正直どちらでもいいかなというくらいのテンションではあったのですが、なんだかんだで毎年1億円関連の仕事がありますし、こんなに染五郎さんに連呼していただけて、あの時の社員さんには時間差ですが感謝の気持ちでいっぱいです。
因みに、この後のインタビューにて、染五郎さんの大叔父であられる中村吉右衛門さんのお話なども出てきたのですが、染五郎さんが「大叔父が......」とお話される度に、「あれ?もしかして自分以外にリアルで『大叔父』の話をしている人を初めて見たかもしれない!」と、少し親近感が湧きました。大叔父って、普通の家庭ではそこまで関わりが無かったり、祖父母の男兄弟を大叔父と呼ぶということ自体を知らない人もいたりするんです。そう考えると、思わぬところで親近感を感じさせてくれた、1億円を拾った大叔父にも感謝です。
インタビュー中は、とても19歳とは思えない落ち着きと所作で、同世代と喋っているのではと錯覚するほどでした。一方の私は、質問する内容を頭に叩き込んできたにもかかわらず、いざ染五郎さんを前にすると頭が真っ白になり、全文資料を読みながら質問する上に嚙み倒すというダメダメっぷり......。せっかくお忙しい中お時間を作ってくださっているのだから、せめて楽しませたいという気持ちで臨んだにもかかわらず、そんな目標さえもどこかへ行ってしまうくらいに緊張してしまいました。(そういうこともあり、せめてコラムで挽回したい!という気持ちから、当初イラストは1枚の予定であったこのコラムですが、勝手にイラスト満載でお届けさせていただいております......)
インタビューが終了し、J:COMの方が「思い残すことはないですか?」と聞いてくださり、あれ?私死ぬのかな?と錯覚するような場面があったのですが、「思い残すことばかりですが、染五郎さんのお時間をこれ以上私が奪うわけにはいかないので......」という謎のホラー展開にて幕を閉じました。 そして染五郎さんが去った後、思わず感極まって「あっという間に終わってしまいました......」と、バンクーバー五輪でのフリー演技後の浅田真央さんと全く同じセリフが出てきてしまいました。私にとってはオリンピック並みの大舞台であったことに違いありませんが、周囲のスタッフの方々のポカン顔が忘れられません。
その後、スタジオを出てエレベーターに乗り扉が閉まった瞬間、「めちゃくちゃカッコよかったですね!」とせきを切ったように喋り出してしまったのです。
普段はわりと喋る方だというのもあり、緊張が解けた瞬間喋りまくってしまいました......。「美しい」や「かっこいい」では表現できないと言っていたそばから、ついそんな風に表現してしまう。それは私の語彙力の無さというより、染五郎さんの美のパワーがすご過ぎるが故なのです。その後、エレベーターを降りた後も、大人の方十数人の前で染五郎さんの素晴らしさについて勝手に語り始めるという謎時間を設けてしまいました。はじめましての大人の方々もたくさんいたにもかかわらず、お付き合いいただきありがとうございました。(万が一その中に松竹エンタテインメントの方がいらっしゃいましたら、その時の記憶を抹消していただけますと幸いです)
帰る頃には夜8時を過ぎていたと思うのですが、アドレナリンが出ていたのか全く寒さを感じず、気付けばアウターを手に持ったまま、目黒通りをドクターマーチンで爆走しておりました。人生でこんな良いことが起こるんだと思うと、帰り道に事故に遭って命を落とすことになっても、最後に「ですよね」という言葉を遺して受け入れてしまいそうになるくらいの気持ちでした。
そして翌朝体重計に乗ると、何故か2kg瘦せており(この仕事が決まってから計10kg痩せたことに!)、肌も10代の頃のような張りが戻っていたのです。まさに染五郎さんは、美のパワースポットなのかもしれません......!本当に貴重な機会を、ありがとうございました。またどこかでお会いできるよう、日々精進いたします。
ヘアメイク:AKANE
スタイリスト:中西ナオ
松本幸四郎主演「鬼平犯科帳」
原作:池波正太郎『鬼平犯科帳』(文春文庫刊)
<プロフィール>
大貫さん(夫婦のじかん) NSC東京11期生。タカダ・コーポレーションを経て 2016年に旦那の山西 章博と「夫婦のじかん」というお笑いコンビを結成。 普段は芸人として活動しているが、漫画家やイラストレーターとしても活躍中。 コミックエッセイ「母ハハハ!」発売中。第35回フジテレビヤングシナリオ大賞最終。
インタビュー
若き日の鬼平を演じる市川染五郎が意気込みを語る「銕三郎の集大成だと思って演じました」