[東映京都撮影所に潜入]土の匂いのするスタジオ、数千枚のふすま、130円のかけそば...時代劇の今を支える歴史と情熱がそこにはあった。【フルーツポンチ・村上健志】

よしもとドラマ部

よしもとドラマ部 (吉本興業所属のお笑い芸人)

吉本興業所属のテレビドラマ好きを公言しているお笑い芸人からなる。 現在は宮地ケンスケ・福田恵悟(LLR)・村上健志(フルーツポンチ)・大貫さん(夫婦のじかん)・りょう(小虎)らが所属。

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[東映京都撮影所に潜入]土の匂いのするスタジオ、数千枚のふすま、130円のかけそば...時代劇の今を支える歴史と情熱がそこにはあった。【フルーツポンチ・村上健志】

<プロフィール>
村上健志(フルーツポンチ)
1980年12月8日生まれ、茨城県牛久市出身。2004年にNSC東京校10期として入学。在学中に、同期の亘健太郎とともにフルーツポンチを結成。特技の俳句で、MBS「プレバト!!」にて日常の風景を切り取る独自の才能を発揮し、永世名人の称号を獲得。2021年には「フルーツポンチ村上健志の俳句修行」と題し、句会での様子を書籍にして出版している。よしもとドラマ部に所属。ドラマ好きが高じて、多数ドラマ出演経験あり。

北大路欣也さんにインタビューをする。

マネージャーからそのことを知らされ「北大路欣也さんって北大路欣也さんだよね?」と聞き返していました。「はい。しかも京都で...です」と続けるマネージャー。京都の撮影所で「三屋清左衛門残日録」の撮影をしている北大路欣也さんにインタビュー、そして撮影所の見学をさせてもらうことになったのです。なんかすごすぎて思わず笑っていました。料理が美味し過ぎて笑ってしまう時のような感覚。笑みがこぼれるとかではなく声を出して笑っていました。

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「東映京都撮影所」と地図アプリに打ち込む。京都駅からタクシーで向かう車内、どれくらい時間がかかるのかと調べていました。隣に東映太秦映画村というものがありました。太秦?たいそう?たやす?映画村の名前であり、この場所の地名でもある太秦の漢字が読めず、太秦の読みを調べました「そう」「やす」と入れてもこの「秦」の漢字は出て来ませんでした。ならば!と東映映画村と検索をすると、東映太秦映画村のホームページが出て来たので開くと「うずまさ」の文字。向かっていたのは、あの時代劇の聖地「太秦=うずまさ」でした。

広い敷地の撮影所を東映のスタッフさんが案内してくれます。大きな倉庫のような建物が両脇に並んだ道を進みNo.9と書かれた建物の前で止まりました。「今からこの中で行われている撮影を見てもらうのでお静かに」と言われました。倉庫のような建物ひとつひとつはスタジオだったのです。

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土のにおいのするスタジオ、十以上の肌色のパレット

スタジオに入ってすぐに驚きがやってきました。土の匂いがするのです。歴史のある建物なので埃っぽいせいかと思いましたが、違いました。地面が土なのです。建物なので床はコンクリートだとばかり思っていましたが、地面は土。聞けば、コンクリートの上に土を敷いてあるそうです。少し敷いてあるとかではなく、完全に土の地面です。江戸時代にコンクリートはありません。多くの時代劇が撮られる太秦には地面が一面、土のスタジオがあるのです。もっと深い土が敷かれたスタジオもありました。

土の匂いに驚いていると、監督のスタートの声がスタジオに響きます。スタジオ奥に建てられた家屋でのシーン。北大路欣也さんがそこにいるのです。

十以上の肌色が入ったパレットを持ったメイクさんが、カットのかかった北大路さんのメイクを直します。ドラマの撮影ではカットがかかる度にメイク直しが入ることは当たり前ですが、この現場でのメイクさんは十以上の少しずつトーンの違う肌色を使ってかつらとの隙間を埋めて不自然さを消していくのです。

「どんどんテレビや映画の画質が良くなるから、かつらの隙間をわからなくするのも大変だよ」と話してくれたのは美粧・床山の大村弘二さん。メイク室やかつらを着ける結髪室だけではなく、作品と役者に合ったかつらを一から制作する職人さんが作業する部屋も撮影所の中にあるのです。

スペシャリストたちが作り上げる聖地

撮影所には、スタジオだけではなく撮影に関わるさまざまなものがあります。楽屋のビル、かけそば130円の食堂、俳優養成所。その稽古場には殺陣や所作の稽古に使う刀や小鼓、三度笠など時代劇で使われる道具が多く並んでいます。「時代劇では歩き方、お茶の飲み方にも所作があり、それは作品の時代や役の身分によっても変わるんです」と養成所の方に教えていただきました。

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いくつも倉庫があるのですが、その一つは千枚以上の襖や障子がびっしり。しかも小さな倉庫ではなく、北海道物産展を開けるくらいの大きな倉庫です。発泡スチロールで作られた灯籠や飢饉で餓死をした人(の人形)が置いてある一角。家を建てるときに使うような材木を削るスペースには何人もの大工さんがいました。本当に広い敷地で、すべてを見ることや話を伺うことはできなかったのですが、相当な人数とさまざまなジャンルのプロフェッショナルな方が働いていたと思います。

お忙しい中で、衣裳の古賀博隆さんに話を聞かせていただきました。衣裳室に入ると、入口の脇にはとてつもない数の足袋。全校生徒分くらいは余裕であったと思います(学校の大きさによりますが)。その多さに「お〜うずまさ〜」と圧倒されたまま中に入ると、壁一面の鏡の前に着物が畳まれています。北大路さんの衣裳です。衣裳の包みのようなものに文字の書かれた沢山の紙が付いていました。「この張り紙みたいなのが沢山あるでしょ。これはこれまで北大路さんがここ太秦で出られた作品の名前が貼ってあるんですよ」と古賀さんが教えてくれました。その紙の数を見ただけで北大路さんがどれだけ多くの時代劇に出たかが分かりました。

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古賀さんにお話を伺うと、全然知らなかった衣裳部さんの仕事を知ることができました。撮影の時に着付けをするんだろうなくらいに思っていた自分を恥じました。まず作品の台本ができると監督と衣裳のイメージを話し合うのだそうです。衣裳を決める要素は多くあるそうで、時代考証が合っているか、劇中の背景の色に合わせて着物の色を決める(夜のシーンでは黒っぽい色は使わないようにするなど)、役柄と合っているか、などなど多くの要素を加味した上で衣裳を決めていくそうなのです。膨大な数の倉庫にある衣裳からそれらを満たす着物を探したり、衣裳を一から作ることもあるそうです。なんと衣裳の倉庫だけで五つあるんだとか(ボロボロになった衣裳も貧しい役柄の衣裳に回して使うので捨てることはないんだとか)。その膨大な数をどうやって把握するんですかと聞くと、古賀さんの頭の中に全て入っているんだそうです。衣裳の位置や着物の時代考証の知識(時代によって帯の広さが違うなどの着物の変化、家紋の位置など)、作品に合った衣裳のアイデア、さまざまな知識やアイデアを持ったスペシャリストが衣裳部さんだと知ることができました。

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東映京都撮影所はやはり聖地でした。歴史と多くのスペシャリストの方々、情熱、無いものは無いんじゃないかと思うほどの施設の数々。少ない時間でもそれらを垣間見ることができ、とても貴重な体験ができました。時代劇を見るのがもっと楽しくなりそうです。

画面の中にある、消されてなくなったかつらの隙間や、その時代の所作や着物。何年も建てられていたように見せるために付けられた住居の汚れ。どれも「どうだ、すごいだろ」と偉ぶることもなく、物語に入り込めるように自然とそこにありました。そしてインタビューをさせていただいた北大路欣也さんの優しさと圧倒的な存在感に酔いしれながら、帰りの新幹線では窓の外の月を見ながらビールを飲みました。

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