声優・本渡楓インタビュー#1「『素直なお芝居』ってなんだろう。本渡楓の声優としての原点」
アニメ 見放題インタビュー
2025.02.28
幅広いキャラクターを的確に演じ分ける力と、繊細な感性で直向きにキャラクターに向き合う姿勢を武器に、『魔女の旅々』イレイナ役、『夜桜さんちの大作戦』夜桜六美役、『ゾンビランドサガ』源さくら役、『パリピ孔明』月見英子役など、数々の人気作品でヒロインを演じている声優・本渡楓さん。彼女のお芝居に対する姿勢を形づくったのは、駆け出しの頃に現場でかけられた「本渡はもっと、素直にお芝居をしたらいいのに」という、いまは亡き音響監督の言葉でした。それから今日に至るまでこの言葉の意味に向き合い続け、マイク前に立ってきた本渡さん。このインタビューでは全3回にわたり、彼女の出演作品やキャラクターに対する思いやこれまでの歩みをひもときながら、その声優としての信念に迫ります。
■幼少時代から強かった意志

――小さい頃は、どんな気質のお子さんでしたか?
「幼少期の記憶は、幼稚園の頃がギリギリあるくらいで、それよりも小さい頃は、親が言うにはすぐに泣いたり、わがままを言ったり、ダダをこねたり、親が手を焼くような子どもだったらしいんです。でも、『ごめん、全っ然覚えてない!』という気持ちなんですよね(笑)。いまの私から考えると、けっこう真逆な気がしています。物心がつく頃になると、いまの自分に通じるような部分もあって、例えば『これが食べたい!やりたい!』と思ったものには、納得できる理由がもらえるまでなかなか引き下がらない。あとは、目立ちたがりで褒められたいのに人見知り、とか......(笑)。恥ずかしがり屋で引っ込み思案だから、友達をぐいぐい引っ張るような役周りの子どもじゃないんだけど、学芸会となると『目立つ役やりたい!』と手を挙げてしまうというような、そんな子どもでした」
――あまり周りには出さないけれど、内面には強い気持ちを抱えている子だったんですね。
「そんな気質だったから、周りの話にもあまり左右されなかったんですよね。例えば、小学生の頃ってクラスでいろいろな噂話を耳にするじゃないですか。友達から『〇〇らしいよ』って言われても、『そうなの?でも自分で見たわけじゃないし、気にしなくていいんじゃない?』と思っちゃう子どもでした。でも一方で、自分がこだわるポイントを見つけるまでには時間がかかるタイプで、結構いろいろなことに手を出しては確かめてみるんです。例えば、小学校高学年で部活動が始まったときに『ソフトボールをやってみたい!』と思って体験入部みたいなことをしてみたんですよ。そしたら、たまたままぐれで『カキン!』とホームラン性の当たりを打ってしまって......それで満足して辞めちゃったりとか(笑)」
――その1回で......!?
「『もうやりたいことがないや~』と思ってしまったんですよね(笑)。その後に入った合唱部は楽しくて、中学校に上がってからも合唱部に入りました。でも、なんだか小学生の頃の合唱部よりも空気感がピリピリしていて、あんまり楽しくないと思って辞めちゃった。それからソフトテニス、バスケ、水泳......といろいろな部活を転々として。最終的には、学校に陸上部がなかったので、走るのが好きな子を集めて陸上同好会を作ったんですけど、それもなんかしっくりこなくて辞めるという......。『とりあえず、やってみよう!』と思って入るんですけど、やってみると『なんか違うな』と思って辞めちゃうんですよね。話してると、めっちゃ問題児気質ですね(笑)」
――でも「しっくりこないことは続けない!」という本渡さんの気質が、感じられますね。
「そうですね。学生時代から、楽しくないと続けられないし、そうじゃなければ『無理に続けてもしょうがない』と考えていたとは思います」
■演劇部で一番好きだったのは、本読み

――声優に興味を持つようになったきっかけのお話も、聞いて行きたいと思います。
「小学生の頃、見知らぬおばさんに『化粧映えする顔だね』と言われたんです。その時は『化粧映え』という言葉もわからなくて、ネットで検索してみたら女性俳優やモデルの記事が出てきて。そこで『メイクしてもらう側』の職業があることを知って、当時はまだ子どもだったので単純に『私も女性俳優になれば、メイクしてもらえて"化粧映え"が活かせる!』って!その頃、ティーン誌にも果敢に応募していたんですが、服装やメイクも未熟。いま考えれば受かるわけないのに、当時は『おかしいな、化粧映えするって言われたのに全然受からないぞ』とか思ってましたね(笑)。そんなこんなで高校受験のときに、『俳優になる』という夢を思い出して演劇部がある学校を選んで、進学したんです。それで演劇をやってみたら、すごく楽しくて」
――高校生のときに、演劇の楽しさに目覚めたんですね。どんなところに惹かれたんでしょうか?
「そうですね。演劇をやると、いろいろな役になれるじゃないですか。それがすごく楽しくて。でも、中でも一番楽しかったのが、セリフを暗記する前にやる『本読み』。役を振り分けてから、みんなで台本を持って丸く座って声だけで進めていく、演劇の稽古の一つです。......というのも私、動きを付けたお芝居があまり得意ではなかったんです。役柄をまとって舞台に立つときに、なんだかすごく気恥ずかしさを感じてしまって。だけど、声だけのお芝居はしぜんとすっと役に入れる感覚がありました。先輩からも、よく『目をつぶってたらいいお芝居なんだけど、目を開けると全然動けていないね』とか言われてしまったり」
――なんとなく「目立ちたがりだけど、引っ込み思案」という、本渡さんの元々の気質がうかがえるお話ですね。
「まさに、小さな頃から変わらない部分がよく出ているなと自分でも思います。そんなとき、同じ演劇部の友達から『2年生になったら声優の養成所に行こうと思うんだけど、一緒に通わない?』と誘われたんです。それで友達と一緒に『通ってみよう!』となり、2年生になってから養成所に通い始めることになりました。なので、ちゃんと『声優に舵を切った』と言えるのは、その時かな」
――それまでは、あんまり声優のことは考えていなかったんですか?
「じつは演劇部に入った頃はまだ声優についてそんなに詳しくなくて。私は名古屋の出身なんですが、名古屋駅の近くに養成所があることも、その時調べてみて初めて知ったくらい。当時の私は声が高くて背が低くて、演劇部で舞台をやるときにどうしても妹役や子ども役を任せられてしまうんですよね。それが嫌でもあって。『もっと色々な役を演じたいのに』という思いがどこかにありました。でも、考えてみると声優なら、舞台演劇と違って、背が高い女性も妖艶な女性も演じられる。いろんな役を演じてみたいと思っていた私にとっては、『声優って結構いいのでは?』という感じで、わりとすんなり選択したように思います」
――高校に通いながらの養成所。当時、ご両親はどんな反応でしたか?
「親は『自分で費用を払うならいいよ』というスタンスでした。私も、『自分でやりたい』と言い出してのことなので『そりゃそうか』と思って、それをきっかけにアルバイトを始めることにしました。週1回、週末に授業があるコースがあったので、『これなら学校に通いながらでも行けそうだな』ということで、そのコースの授業料を自分で稼いでいましたね」
――学校に通いながら、演劇部にアルバイトに養成所と、当時から多忙な高校生活を送っていたんですね。養成所の授業はいかがでしたか?
「周りを見ると『声優になるぞ!』という人たちだけが集まる場だったので、1週間の中でどの時間よりも濃密で、すごく楽しい時間でしたね。ただ、最初の頃はじつはちょっとしたモヤモヤもあって。『声優のクラスに通うんだ!』と思って入るわけじゃないですか。でも、じつは最初にやることって、発声練習だったり、ストレッチだったり、演劇の基本的な稽古になるんですよ。当時は気持ちも幼かったので、『演劇じゃなくて、声優のお芝居がやりたいのに!』とか思ったりしている自分もいました(笑)。でも、やっぱり授業で習うことって声優になるために必要なことを教えてくれているんですよね。体の動かし方って、声優になってからもすごく大切なんですよ。マイク前に立ったら、ノイズを立てちゃいけないし、足踏みをして音を立ててもいけない。ちょっとややこしいですけど、『体を動かさないでいる』という体の動かし方を、そのとき初めて教えてもらったような気がします」
■「受かったから、私、大学辞めます!」

――それから、養成所には3年間通い続けたんですよね。
「そうですね。高校を卒業するタイミングで事務所に所属できたらよかったのかもしれないんですが、私は結局そのときには入れませんでした。私としてはどんどん若い声優さんが活躍し始めている状況を眺めている焦りもあった。一刻も早く東京に行って、そこで声優としてのお芝居をもっと突き詰めたいという気持ちがありました。でも親からは、『地元の大学に通いながらでもいいんじゃないか?』という話をされて。両親からすれば娘を一人で東京に送り出すのも不安だし、声優になれるという未来が確定しているわけでもないし。大きい不安がある気持ちというのは、私も十分にわかっていたんです。100%納得していたわけじゃないけど、そんな親の気持ちも考えて『それなら大学に入ってから、なるべく早く声優の道が現実的になればいいんだ』と思って、地元の大学に通うことにしたんです。『絶対、声優がやりたいから早くその道に進んで、大学は途中で辞めるつもりだから』というのはずっと伝えていました」
――それが、本渡さんにとってもいいモチベーションにもなったのかもしれないですね。
「声優の道に進む上では、大きな燃料になっていたと思いますね。そんなんだから、大学に進学してからも頭の中は声優のことでいっぱい。教科書に鼻濁音のマークを付けたり、『ここは立てて読むべきだな』とメモを書いたり(笑)。そんな日々を3ヶ月くらい過ごしてたら、ある時、大学で海外に行くカリキュラムの案内がきたんです。しかも見てみると、すごく費用が高い。そこで考えたんです。『私は4年間この大学に通って、たとえ卒業しても声優を目指すつもりでいる。それなら4年間の学費ってすごくもったいなくない?しかも海外の授業まで......。それでも私が学校にい続ける理由って、あるんだろうか?』と。
――確かに、4年間の学費と海外の授業が毎年あると考えたら、相当な金額になりそうですもんね。
「その話をあらためて親にしたら、最初は冗談だと思われたんですよ(笑)。『まだ通い始めたばっかりなのに』って。でも『冗談じゃないんです!これだけお金がかかるし、今休学すれば、海外にも行かなくて済む。無駄なお金を払わずに済むんだ!』って言ったら、そこでようやく私の本気が伝わったようで。なんとか『休学なら』という条件をこぎつけて、3ヶ月ほど休学して、バイトで上京資金を貯めました。そんなとき、たまたま名古屋学院大学と養成所の合同プロジェクトで、とあるキャラクターのオーディションにご縁があって受かることができて。『受かりました!私、大学辞めます!』と親に伝えて、その年に事務所にも所属することができて、上京もできたんですよね」
――すごい......!やっぱり「こう」と決めたらそこに向かってまっすぐ進む力というか、めちゃくちゃエネルギーを感じますね。
「ただ、これを読んでる声優志望の子は絶対マネしちゃダメですよ......!?本当に偶然の重なりでそうなっただけで、『強い気持ちがあればかならずそうなる』というものじゃないですから。私の話は聞き流す程度にしておいてください(笑)」
――なるほど(笑)。でも、確かにそうですよね。本渡さんの選択がどこかで一つでも違ったら......
「多分、いまこうして声優としてインタビューを受けている可能性は、かなり低いと思います。大学で、カメラや番組制作について学んでいたので、もしかするといま頃カメラマンとして、番組を作っていたかもしれないです(笑)」
■人との接し方を学んだアルバイト経験

――名古屋時代、そして上京してからと、アルバイトではどんなことを経験されたんでしょうか?
「名古屋にいた頃は結構いろんなバイトを経験しましたよ。回転寿司のホールをやったり、油そばのお店で接客したり、ドーナツ屋さんでデコレーションの仕上げをやったり」
――飲食店が多かったんですね。アルバイトを通じて、気づいたことや学んだことってありますか?
「そうですね。お客様と接する業種が多かったので、社会での"人との接し方"は、すごく多くの経験値を積んだと思います。接客業だといろいろなお客様がいらっしゃるんですよ。怒っている方もいれば、『いい声だね』ってやさしく声をかけてくださる方もいる。人ごとに対応を変えるわけじゃないけど、その場に応じた適切な対応をするのは、すごく難しいと感じていました。いろいろな大人と触れ合うことで、ちょっとずつ人と接する感覚をつかんでいって、同時に心も強くなっていったような気がします」
――人に接する上では、何を大切にしていたんでしょうか?
「例えば、外見や年齢から想像するイメージと、その人本来の気質や気分は、全然違うことがあるということですかね。だから、あまり『こういう人だな』と決めつけすぎないように気をつけていました。私自身もそうなんですが、年齢って1年ずつ増えていくわりには、『20歳くらいで気持ちが止まってる』みたいな感覚がありませんか?私はそれで戸惑ってしまうことも多くて、そういう経験が自分にもあるから、そういうギャップのある人に出会ったときでも、あまり動じなくなったと思っています。例えば『年上だ!』と思っても、内面は少年少女のような気持ちを持っている方もいたり、とかね」
――外見や年齢に惑わされずに、その人自身を見るようになった?
「そうですね。例えば、一人の年上の男性の方がいたとして、その方が社長であろうと、子どもを連れたお父さんであろうと、一人の人間として対等に接する、ということは変わらないじゃないですか。もちろん、どちらにも人生の先輩として敬う気持ちは大切ですが、『肩書き・地位によって距離感や接し方を変えないことが大事』とは、つねに思っています」
――確かに。かなり意識的にやらなければ、一人一人と対等に接するって意外と難しいですよね。ちなみに、上京してからはどんなバイトを?
「東京に来た当初は、『貯金があるうちにアルバイトを』と思って探していたんです。でも、どうしても『働き方』に正直に答えようとすると、全然受からなくて......。オーディションが急遽入ることもあるし、『急に休むことはありますか?』という質問に、私は『はい!でも働きたいです!』って答えちゃうんですよね。でもそこでウソをつくのも、私には無理だなって思って。結局、その時期はピンチになったら『お母さん、おにぎりしかない~』と両親に助けていただいてました(笑)」
■「素直なお芝居とは」を考え続けている

――本渡さんにとって、声優としての転機となった作品について伺えますか?
「転機というか、私にとって始まりともいえる作品が、事務所に入って初めて受かった『かみさまみならい ヒミツのここたま』という、夕方に放送されていたアニメでした。最終的には、2年半ほどのテレビ放映と、劇場版にも携わらせていただいたのですが、最初は事務所に入って2ヶ月くらいのタイミングで、まだ仕事の仕方もわかっていない頃の出会いでした。『マイク前に立ってどうすればいいの......本のページってどうやってめくるの~!?』というような状態で、もう初心者中の初心者(笑)」
――なりたてホヤホヤという感じですね(笑)。
「本当にそんな状態でのスタートだったんですが、周りをすごくしっかりした大先輩の方々が固めてくださっていたんですよね。私にとっては、声優の現場での仕事をすべてそのときに教わったような気がします。それこそ、あいさつの仕方から、現場での常識、アフレコの技術、そして『お芝居は、頭じゃなくて心でするものだ』という根本的な心構えまで。周りにはご迷惑をおかけしていたかもしれないですが、私にとっては本当に『声優人生の始まり』とも呼べるような大切な作品になったと思います」
――養成所で学んだこと、というのは現場とは違いましたか?
「養成所で私が通っていたのが、じつはアニメの実習がないクラスだったんですよね。映像を見ながらアフレコをする作業を、やってこなかったので、いざ収録が始まってマイク前に立った瞬間に、頭が真っ白になってしまって。それまで演劇で培ってきたものを出すほどの心の余裕すらない......という状態でした。それでも、毎週の収録があると少しずつ慣れてくるもので、1ヶ月くらい経ってきた頃に、ようやく緊張に負けないくらいの感じで収録にのぞめるようになった。台本のページも、ちゃんとめくれるように......いうて、それじゃまだまだなんですけどね(笑)。ゆっくりと時間をかけて少しずつ慣れていって、徐々に収録が楽しめるようになっていったと思います」
――その現場で、特に印象に残っている言葉などはありますか?
「当時の音響監督、私たちが親しみを込めて『親方さん』と呼んでいた中嶋聡彦さんという方が、じつは2017年にご病気で亡くなられてしまったんですが、お見舞いにうかがったときにかけていただいた言葉がいまでもずっと残っているんです。『本渡は、もっと素直にお芝居したらいいのにね』って。私自身、当時から『素直なお芝居』をしているつもりだったんですけど、あくまで"つもり"であって、親方さんから見たらそうじゃなかった。それが、親方さんと最後にお会いしたときにいただいた言葉で、それ以降も『素直なお芝居って、なんだろう』というのがずーっと心にあって、いまも考え続けている。声優としての本渡楓にとって、大きなテーマの一つになっていると思います」
■ナチュラルな個性と天然っぽさ|『防振り』メイプル

©2020 夕蜜柑・狐印/KADOKAWA/防振り製作委員会
――「痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。」(以下『防振り』)では、もはや彼女自身がモンスターなんじゃないかと思うような、最強の主人公・メイプルを演じています。まずは、作品との出会いについて教えていただけますか?
「最初の出会いは、オーディションでした。そこで本条 楓(メイプル)という役名を見て、『ほぼ私と同じ名前じゃないですか!』というところから始まったんです。これは後日談なんですけど、じつは『防振り』の制作やいろいろなメディアへの展開に携わる中で、原作の夕蜜柑先生にお会いする機会があって、すごく勇気を振り絞って聞いてみたんですよ。『この役の名前って、偶然なんですか?』って。そしたら、『すみません、じつは本渡さんのことは存じ上げなくて、検索してみて引っかからない名前にしたんです』と。
それはめっちゃ恥ずかしかったです(笑)」
――いや、でも誰もが聞いてみたかったことを、よくぞ本人が勇気を出して聞いてくれました(笑)。メイプルを演じるときは、どんなことを意識しているんでしょうか?
「オーディションの頃から心がけていたのは、彼女は一緒にいるサリー(理沙)とは違って、日頃からオンラインゲームをやっているわけではないし、性格もわりとおっとりしているところ。彼女は、ゲームが好きでめっちゃ強いとかじゃなくて、自分でもよくわからないまま『めちゃくちゃ強くなっちゃった』という子なので、そのさじ加減を表現できたらいいなと思っています。例えば、技名を言うときに、つい最強だから『パラライズシャウト!』とか強く言っちゃいそうになるんですけど、メイプルの場合は多分、日常生活のときとテンションがあんまり変わらなくて、最初のうちは『パラライズシャウトー』とか『ヒドラー』みたいな感じで、わりとロウ気味の平坦な感じで演じていました」
――天然が入ってるっぽいですもんね。
「そうなんです。ただ、アニメーションの絵力はとても強かったので、あえて見過ぎないようにして。絵はめちゃめちゃ激しめだけど『つられちゃダメだ!』って。『私は天然でマイペース』って自分に言い聞かせながら演じていました(笑)。でも、話が進むにつれてギルド【楓の木】の仲間が増えて、彼女に守るものができてくると、それも段々と変わってくるのかなって。なので後半、とくにスキル【身捧ぐ慈愛】を手に入れてからは、彼女自身の覚悟が決まってきたりしたので、わりと本域で、彼女の心の強さも声にのせたいなと思いながら、収録していました」
――キャラクターの成長と共に、演技アプローチも変化させていったんですね。
「そうなんです。ただ一方で、さっきも話に出たように、メイプルってどこか天然なので環境に左右されないのもまた、彼女の良さだと思っています。だから『すごく大きな変化があった』ように見えてしまうのも、違うんですよね。例えば、その後に左手が触手になる話があると思うんですけど、周りはドン引きなのに彼女は『すごいでしょ!見て!』みたいな感じじゃないですか(笑)。あれがすごく"メイプルらしさ"だと思っていて、いろいろな成長をしているけど、ああいうナチュラルな個性の部分は、逆に変わらなさを表現し続けたいなと思っている部分ですね」
■私と似ている部分とそうでない部分|『防振り』メイプル

©2023 夕蜜柑・狐印/KADOKAWA/防振り2製作委員会
――1期、2期を通じて、特に印象に残っているシーンはありますか?
「とくに印象に残っているのは、機械神との戦いのシーン。あのアニメってバトルシーンがすごく綺麗に描かれているじゃないですか。カット数も多いし、展開も早いし。とくに機械神戦でのメイプルの全力さは、2期ではすごかった覚えがあって。あのシーンは私も自分の肺活量と戦っていました(笑)。あとは、暴虐の状態になるシーンは全般的に、本当に大好き(笑)。ボイスチェンジャーの処理が入っているんですけど、収録のときは完全に私の声のまま録っているので、『やったよ、サリー!』とか『いえーい!』とか、現場とアニメとで声が変わっているのが面白くて!化け物がピースしている映像に、かわいらしい声を当てるっていうのが、いかにも『防振り』だなって感じがしてすごく好きです」
――暴虐の声は、収録のときは普通の声なんですね......!
「じつは、そうなんですよ!暴虐の状態で7体くらいに分身して、まるで何かの映画みたいに横並びで暴虐が歩いてくるみたいなシーンがありますよね」

©2020 夕蜜柑・狐印/KADOKAWA/防振り製作委員会
「あのシーンも好きだなぁ。ああいう遊び心というか、『何これ!』みたいな感じ(笑)。
メイプルがらみの絶望感を描くのが、本当うまいんですよね......!『結局、最終的なラスボスってメイプルじゃん!』という感じすらしてきちゃう(笑)」
――「防振り」のアフレコ現場での思い出や、共演者の方々とのエピソードなどはありますか?
「1期の頃は、アフレコ終わりにスタッフさんも含めて、みんなでタイ料理を食べに行ったりしていました。やっぱりみんなでご飯を食べるといいですよね、一気に仲良くなれるというか。スタジオ内とミキサー側のブースだと、どうしても壁の隔たりがある分、緊張感があるんですが、同じ食卓を囲んでからはすぐに団結できるようになった記憶があります。とくに『防振り』って、内容的に現場の空気感が良くないと成り立たないような気がするので、収録後のご飯はすごくいいきっかけになっていたと思います」
――2期になると、コロナ禍で分散収録が中心だったんですよね。
「そうです。2期の収録中の思い出といえば......あ、初めて現場で一緒になった事務所の後輩との収録かな。
ある日の時間割で、その子と一緒になる予定だったんですけど、ちゃんとどの子かわからなくて。でも、なんかとんでもなく若い中学生くらいの子がいるなと思ったら、まさかのその子が後輩だったんです。初めて会うから挨拶もしたんですけど、私とまさかの干支が同じ......!つまり、当時の私の12歳下でした。あまりにも若いものだから、そこで『先輩としていい姿見せなきゃ!』って急にあたふたしちゃいまして(笑)」
――「教えてあげなきゃ!」みたいな気持ちが強くなっちゃったんですね。
「そうなんです!でも緊張しても何もいいことはなくて、案の定、収録中にペンは落とすし、台本も落とすし、しまいにはレシーバーを床に引きずって歩くという......。結局、帰り際に『こうなっちゃ......いけないよ。わかった?』というのが、精一杯でした(笑)。みんなで仲良くワイワイとやる場面もあれば、私が勝手にテンパって背筋が伸びてしまうような場面もある。それが『防振り』の現場だったなっていう、ある意味、思い出深い(?)現場です」
――お話聞いていると、その光景が目に浮かぶようです(笑)。本渡さんご自身は、オンラインゲームは?
「最近は、あまりできていないんですが、コロナ禍はモンスターハンターをやっていましたね。アイスボーン。キャラに名前をつける時に、とりあえず自分が満足すればいいかと思って、人間に『カエデ』、オトモに『ホンド』って付けたんですよ。ソロのうちは、それで楽しんでたんですけど、オンラインでやってみたら、オトモが横に並ぶと『ホンドカエデ』って、キャラクターの上に表示されるんですね。『あれ。これ、私ガチオタに見られてるよな』って気づいて(笑)」
――見えますね(笑)。
「そのとき『オンラインゲームでは本名を使うもんじゃないな』ってようやくわかりました。楓をメイプルにしたり、理沙をサリーにしたりも、『そっかぁ!だからかぁ!』って(笑)」
――そこでようやく!(笑)本渡さんから見て、「自分とメイプルが似ているなぁ」と思う部分はありますか?
「どうだろう......似てる部分もあるけど、けっこう対極な感じかなと思います。名前と、"のんびりやっていこう"というマインドと、あと痛いのが嫌なのは似てるかな(笑)。私、痛いのが嫌すぎて全身麻酔で、親知らずを4本を一気に抜いたくらいなので。全方位のほっぺたが腫れて、顔が四角くなりましたけれども......」

▲「こんな感じで、四角い顔に!」と身振り手振りで伝えてくれる本渡さん。親知らずでおでこは四角くならないと思いますが......
「似てないのはステータスを防御力に全振りするところ。前知識なしで『やってみるか』みたいな。その場その場で動けるところが、私とは違うなと思っていて。私は色々調べてみたり、体験してみたりしてから自分が動くのを決めることが多いんですけど、メイプルはそういうのを全然気にせず、自分の感覚だけで進んでいける。だからすごく羨ましい生き方をしている子だなって、思います」
取材・文/郡司 しう 撮影/小川 伸晃














