第二回 プロ野球愛宣言!〜自分が次の試合で勝てばカープも勝てるんじゃないか〜 【新日本プロレス・内藤哲也】 広島東洋カープ
スポーツ インタビュー
2025.03.20
プロレス界きっての広島東洋カープファンの内藤哲也選手。ファンになったきっかけやカープへの熱い思いを聞いた。
――内藤選手が野球ファン/カープファンになったきっかけは?
「父親の影響です。プロ野球もプロレスも大好きな人で、いつも一緒に見て、球場にも連れて行ってもらっていたので、その2つはもう昔から身近なものだと思ってずっと生きています」
――東京都出身ですが、なぜカープファンになったのですか?
「最初は巨人ファンで、原辰徳さんが好きだったんですけど、原さんの引退が近づいてきた頃に、テレビで広島市民球場での巨人対カープ戦を見ました。真っ赤に染まったスタンドでスクワット応援をしていて、『なんだ、このチーム』は、と衝撃を受けました。もともと赤は好きな色だったし、子供の頃って足が速い人がモテるじゃないですか。だから野村謙二郎さんや緒方孝市さんなど、足が速い選手がたくさんいて、盗塁をいっぱいやっていたカープがカッコいいなと思いました。ただ、好きな選手で言うと、最初は江藤智(あきら)さんから始まって、金本知憲(ともあき)さんとホームランバッターの人で、なかでも新井貴浩さんは思い入れの強い選手です。FAで阪神に移籍したときは、ユニフォームを捨てたぐらいです。もちろん、再びカープに戻ってきたときには改めてユニフォームを買い直しました(笑)」
――最近では、カープもFA選手を獲得するべきだという声もありますが、内藤さんはどう考えますか?
「そういう気持ちはないです。確かに秋山翔吾選手が来た時は興奮しましたが、自分としてはカープの生え抜き選手を少しずつでも育てていく、という形が好きなので。FAした選手を取りに行って欲しいと思ったことはないです。むしろ地道に育ってくれて、活躍するカープの選手が好きです」
――そういったチームカラーもファンである理由のひとつということですね。
「だから新日本プロレスも、地道に選手をイチから育てるということをまたやって欲しい。カープのように、ドラフト上位でなくても、下位の選手でも努力を積み重ねて、結果を出して一軍に上がる。そういうのがすごく好きです」
――それはご自身の経験もあるのでは。
「たしかに自分もアマレスのメダリストとか、そういう目立った実績があって入ってきたわけでないですから。サッカーと野球の経験があるぐらいでアニマル浜口ジムに入って、ここまでやってきた。そういう意味では、自分はカープで言えば新井さんに近い感じではないかと思っています。新井さんもドラフト下位から、すごい努力で上がってきた人じゃないですか。努力という言葉はあまり使いたくないですけど、地道に積み重ねてきたという部分で言えば、新井さんにはすごく共感するところがあります」
――これまでで最も印象に残っている試合は?
「やっぱりリーグ3連覇、特に2016年の優勝は印象に残っています。1991年の時は、まだがっつりカープファンというわけではなかったので、初めての優勝という意味で記憶に残っています。優勝が決まった日は、新日本の興行が富山であったので、ホテルのテレビで観戦しました。その時はホテルでひとりぼっちだったので、そんなに騒げなかったですけど、すごく嬉しかったです」
――どんな気持ちになったか、覚えていますか。
「初めての胴上げだったので、めちゃめちゃ嬉しかったですけど、ここで喜んではいけない、まだ次があると、その時は思いました。日本一になるにはもう一段階あるので、まだ喜んではいけないと思いつつ、やっぱり喜んでいる自分がいました」
――そこから2連覇、3連覇となるわけですが。
「結局、日本一にはなれなかったので、そこはやっぱり悔しいです。ファイターズとホークスと戦った日本シリーズは、両方とも球場に見に行きました。どちらも負けましたけど。マツダスタジアムでファイターズが日本一を決めた試合も球場にいました。めちゃくちゃ悔しかったですけど、ファイターズの胴上げまで全部見て、この悔しさを忘れてはいけない、いつか必ず、と思って。選手でもなんでもないんですけどね(笑)」
――球場にはよく行かれるんですね。
「普段は新日本プロレスの興行もあるし、カープの試合は地方ではなかなか見られないので、今はTVではなくスマホで見ることが多いですね。移動中もよく試合を見ています。球場には旧市民球場の頃から、広島で新日本の興行がある時は行っていました。旧市民球場の最終戦もライトスタンドで観戦しました」
――スタジアム観戦でのこだわり、お気に入りの場所などはありますか。
「マツダスタジアムの時はライトスタンドで、本当は上のパフォーマンスシートに行きたいのですが、そこはまだ行ったことがありません。他のスタジアムに関しては、とりあえず一塁側には絶対に座らない。ライオンズのベルーナドームは逆なので一塁側、とにかく赤い方に行きます」
――3連覇の頃はチケットを取るのも大変でした。
「マツダスタジアムでは、試合前に流れる『それ行けカープ』に毎年出させてもらっていますが、あくまでもカープファンでありたいと思っているので、毎回、自分でチケットを買うようにしています。今年は開幕戦の先行予約が1つ外れて...、でも別の先行予約が当選したので、観戦に行きます」
――好きな選手、現在の推し選手はいますか?
「リーグ3連覇の時のメンバーはやっぱり思い入れがあります。自分も少年野球をやっていた時は1番・ショートで足も速かったので、そういうタイプの選手は気になります。自分が右打ちだからなのか、左打ちのショートに憧れみたいなものがあります。だから田中広輔選手は好きです。松山竜平選手もだいぶベテランになってきましたが、もう一踏ん張りしてもらいたいです。今年のカープで言えば、昨年の活躍を受け矢野雅哉選手を推していますが、現状のチームを考えると右の大砲。そういう意味で内田湘大(しょうだい)選手と仲田侑仁(ゆうと)選手には期待しています。特に仲田選手はすごく体がデカくて、注目しています。あとはピッチャーも左への憧れがあるのかな、その意味で森翔平選手には期待しています」
――内藤選手にとってカープとはどんな存在ですか?
「カープの調子が悪い時でも、自分が次の試合で勝てばカープも勝つのではないかと思うし、生きる上でのモチベーションになっています。プロレスラーになった今の自分があるのもカープファンだったおかげです。新日本の入門テストや若手時代に毎日のようにスクワットを何百回もやりましたが、あれに耐えられたのも、高校生の頃に神宮球場でスクワット応援をやったからだと思います」
――最後に、野球を見ていてトランキーロ、って思うことはありますか。
「なるほど(笑)やっぱりピッチャーに対しては、フォアボール連発した時なんかは落ち着いてくれと、まさにトランキーロと思いながら見てます。打たれたならまだしも、相手は何もしていないのにフォアボールを出してしまう。やっぱりプロですから、何もプレッシャーがない状態なら、ちゃんとキャッチャーのミットに真っ直ぐいくはず。でも、いろんなプレッシャーを感じるからこそ、ストライクが入らなくなってしまうわけで。だからそんな時こそ、あの言葉、トランキーロだろうと、そう思いながら見ています」
新日本の入門テストに耐えられたのは
広島名物「スクワット応援」のおかげです
内藤哲也
'82年6月22日生まれ。東京都出身。小学1年から中学3年まで父がコーチをしていた少年野球チームに所属。'05年新日本プロレスに入門、翌'06年デビュー。決め台詞は「トランキーロ、あっせんなよ」。'25年第107代IWGPタッグ王座を奪取。
取材・文/大久保泰伸
撮影/佐野美樹