映画『ラストマイル』考察――ディーン・フジオカ演じる五十嵐は、なぜ走り続けたのか【大島育宙】

映画『ラストマイル』考察――ディーン・フジオカ演じる五十嵐は、なぜ走り続けたのか【大島育宙】

<プロフィール>
大島育宙
東京大学法学部卒業。2017年、お笑いコンビ「XXCLUB」としてデビュー。テレビやYouTubeの構成作家としても活動。個人のYouTubeチャンネルでは映画・ドラマの評論を行う。クイズ・教育系のメディア出演、大喜利・怪談のライブ主催、コンテンツ時評の執筆など幅広く活動中。

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公開から1年以上がたった今、『ラストマイル』という映画の悪役は何者だったのだろうかと考える――。

社会派サスペンスに宿るリアリズム

外資系大手ショッピングサイトの配送センターが最も忙しくなる「ブラックフライデー」。荷物に仕掛けられた爆発物によって、首都圏の物流が機能不全に陥る様子を描いた社会派パニックムービーだ。脚本家・野木亜紀子をはじめとする同じ制作陣の人気ドラマ「アンナチュラル」と「MIU404」とのシェアード・ユニバース作品という設計が大ヒットの追い風となった。石原さとみ、井浦新、窪田正孝、綾野剛、星野源、麻生久美子といった俳優陣の人気キャラが有機的に勢ぞろいする快感。ただの"豪華キャスト"ではない巧みな構成。テレビ局主導で邦画が数多く制作される現代において、本作は頭二つ抜けた完成度の傑作だ。

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爆弾を巡るミステリーでありサスペンスなので、犯人の動機や手口に絡む人物はところどころ怪しい行動をする。一方で、この映画の多くを占めるのは、既に発生してしまった問題への対処のプロセスだ。問題解決のパートでは不可解な行動はほとんどない。それぞれが利害とプライドをぶつけ合いながら、判断と交渉を重ねるだけでドラマが立ち上がる。観客は、自分も社会に影響する重大な労働をしたかのような緊張と疲労を食らう。"お仕事ドラマ"の名手として、日本の映像界をリードしてきた野木の現時点での集大成ともいえる所以(ゆえん)だ。

奇行の連鎖に見る"止まる"ことへの恐怖

そんな中でも、謎と関係ないパートで最も奇怪な行動を取る人物のことが、私は忘れられない。ディーン・フジオカが演じた五十嵐というキャラクターだ。物語終盤、トレーニングジムでエレナ(満島ひかり)から緊急事態の報告を受ける間にも、彼はランニングマシンから降りずに走り続ける。彼女に突き付けられたスマホで動画を見ながら、しばらく無理して走り続ける様は滑稽だ。「何があってもベルトコンベアを止めない」という至上命題が、骨身にプログラミングされてしまったかのような奇行だ。株価のために、自身のポストのために、絶対に流通を止めないように、運送会社が団結して交渉を仕掛けてきたくらいでは、荷物としての彼は止まれない。

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事の重大さを時間差で悟った彼はよろめき、エレナに笑われる。マシンを止めて、混乱し、整理体操のように床に寝そべる。また奇行だ。5年前に過労で心身が疲弊し「ブラックフライデーが怖い」と配送センターのベルトコンベアに飛び降りた山崎(中村倫也)が、すぐに床に降ろされた時の姿勢と重なる。五十嵐はベルトコンベアを再起動させてから、山崎の救急車を呼んだ。自分のランニングマシンも止められないし、部下の命よりもベルトコンベアを優先する。一貫した奇行だ。

お客様第一主義の裏にある労働搾取

『ラストマイル』は、グローバル巨大資本による画一的な成長主義を明確に批判する。「カスタマーセントリック(=お客様第一主義)」の美名の下に、労働者が人間性を剥奪されていることをエレナは部下の孔(岡田将生)に説諭する。羊急便の八木(阿部サダヲ)、そして下請けのドライバーへと、無理な労働条件が脅迫的に流れる構造が明快に示される。五十嵐は、事件の責任を部下のエレナになすり付ける形で上に報告する。エレナとは対照的に、現状のシステムに何も疑問を持たず、制度の中で器用に立ち回ることしか考えていない。悪習が再生産されていくのは権力者の強固な意向ではなく、こうした"優秀"でブルシットなホワイトカラーのせいだという図解だ。

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五十嵐の対極にいるキャラは誰だろうかと考えた時に、悲しい答えが出る。火野正平演じるベテランドライバーが息子(宇野祥平)に語って聞かせる"やっちゃん"という友人だ。自己責任論を強いられる低賃金労働の中で無理を重ね、一時はエリートドライバーとして稼げたが間もなく過労で死んでしまった。ブルーカラーが晒(さら)される過酷な現実を見下ろしながら、ホワイトカラーが「自分たちだって厳しい競争社会で生きてるんだ」と演じてみせる。生ぬるい。組織の中で失脚しても資産は残るし、職歴を名刺にして転職できるが、裁量権のない労働者は死や不可逆な心身の不調と隣り合わせだ。主人公らしからぬ2人の主人公を、満島ひかりと岡田将生が演じる。洒落(しゃら)臭い彼らも過剰な労働の中で心を壊した過去を共有することで、物語のギアはグンと上がる。

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現代人への問いとしての『ラストマイル』

この物語のラスボスは誰か。一見すると、消費者の欲望を刺激し加速する情報資本主義であり、加速を養分に無限に肥大化する巨大資本がそう見える。しかし、私は"五十嵐的なもの"こそが卑近なラスボスだと考える。自分を取り巻く空気やシステムを疑問視せず、変えようともせず、長いものに巻かれながら恩恵を吸える時だけ都合良く、自己責任論を使い分ける。ちょっとだけでいいから「せーの」で世界を動かせないのか。優秀な人間は、その優秀さを自身の利益や保身に浪費するのではなく、獅子奮迅、東奔西走してちょっとだけ岩盤を壊す方向にその能力を使うべきだ、という至極真っ当なヒューマニズムが、この映画が差し出すリアリティーだ。

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