妻夫木聡は若い頃から凄かった!手塚治虫原作の映画などで見せた迫真の演技
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2025.10.29
主演を務める映画『宝島』が公開中で、10月12日より主演を務めるドラマ、日曜劇場「ザ・ロイヤルファミリー」(TBS系)がスタートしている妻夫木聡。映画『宝島』ではアメリカだった時代の沖縄で"戦果アギャー"と呼ばれた若者の1人を演じ、ドラマ「ザ・ロイヤルファミリー」では挫折を味わったことで税理士としての希望を見出せなくなるも、ある馬主との出会いをきっかけに人生が変わっていく主人公を演じるなど、持ち前の演技である"深み"と"幅"を披露している。
彼の演技の"深み"と"幅"について例を挙げると枚挙にいとまがないが、"深み"と"幅"を特に感じ取れるのは、彼が重いものを背負った役を演じている時だろう。現在、J:COM STREAMでは、映画『どろろ』(2007年)や映画『黄金を抱いて翔べ』(2012年)など、妻夫木が重いものを背負った役を演じた主演作が見放題配信中となっている。

「どろろ」
(C)2007 映画「どろろ」製作委員会
魔物に48カ所の部位を奪われた主人公を怪演
映画『どろろ』は、手塚治虫原作の同名漫画を塩田明彦監督が妻夫木、柴咲コウ主演で映画化したもので、魔物に体の48カ所を奪われた青年が、体の部位を取り返すために魔物退治に奮闘する姿を描いた冒険活劇。妻夫木は、主人公の百鬼丸を演じている。
戦乱の世を憂う武将・醍醐景光(中井貴一)は、天下統一する力を得るため生まれたばかりの息子の体を48の魔物に捧げ、48カ所の部位を奪われた息子を川へ流してしまう。その後、医者・寿海(原田芳雄)に拾われ、48カ所を補う仮の体をもらい受けた赤子は、成長して百鬼丸(妻夫木)と名乗り、自分の体を取り返すため魔物退治の旅に出る。そんな中、盗人の浮浪児・どろろ(柴咲)と出会う、というストーリー。
同作で妻夫木は、壮絶な過去を背負う百鬼丸を熱演。手足だけでなく目や耳までも仮の体で、"感覚"だけを頼りに、五感を研ぎ澄まして魔物と闘う様子も見事なのだが、自身の身の上や本音についてほとんど語らず淡々と生きている"内向き"の表現がすばらしい。無理やり旅に同行してくるどろろに対しても、受け入れているのか、そうでないのかも悟らせない、"内向性の極致"を体現しており、見る者に百鬼丸が背負っているものの重さをより感じさせてくれる。一方で、魔物を倒して一つずつ体を取り返していくにつれ、人間らしさを取り戻していくという演技のグラデーションも見応えがあり、演技の"幅"を堪能することができる。

「黄金を抱いて翔べ」
(c)2012「黄金を抱いて翔べ」製作委員会
ベストセラー作家・高村薫の衝撃のデビュー作を映画化
映画『黄金を抱いて翔べ』は、高村薫の「黄金を抱いて翔べ」(新潮文庫刊)を井筒和幸監督が妻夫木主演で映画化したクライムサスペンスで、6人の男たちによる銀行の金塊強奪計画を描く。妻夫木は、金塊強奪の実行犯・幸田弘之を演じている。
過激派や犯罪者相手に調達屋をしてきた幸田(妻夫木)は、大学時代からの友人・北川(浅野忠信)から銀行地下にある金塊強奪計画を持ちかけられる。幸田と北川は、銀行のシステムエンジニア・野田(桐谷健太)、爆破工作のエキスパート・モモ(チャンミン)、北川の弟・春樹(溝端淳平)、元エレベーター技師・ジイちゃん(西田敏行)を仲間に加え、大胆不敵な作戦を決行する、というストーリー。
同作で妻夫木が演じるのは、普段は配送業者で目立たぬように働きながら、着々と金塊強奪計画を進めていく幸田。リーダーの北川の無茶な要求に応えながらチームをまとめていく役どころで、裏稼業の男性であるため危うさや粗暴さはあるのだが、妻夫木は幸田を演じるにあたって終始"空虚さ"をまとわせている。北川をはじめ、チームの他の者たちはそれぞれ事情があれど、計画成功後を想像して笑みがこぼれる瞬間であったり、奪う金塊の価値を聞いて目を輝かせる場面などがあるのだが、幸田は一貫して"空虚"なのだ。妻や恋人もおらず、社会とのつながりは北川のみという孤独さに加え、未来への希望も心の底からは抱いていない。この妻夫木が幸田にまとわせた"空虚さ"という演技の"深み"は、見る者には"悲哀"にも感じられ、幸田がこれまで生きてきた過酷な半生を、否が応にも想像させる効果を生んでいる。

「黄金を抱いて翔べ」
(c)2012「黄金を抱いて翔べ」製作委員会
卓越した"押し""引き"のバランス感覚
これら2作品の妻夫木の演技に共通しているのは、間接的に見る者に伝える術に長けている"内向き"の表現だ。片や自身が背負わされた業に向き合って懸命に生きる青年、片や内に"空虚さ"を備えた裏稼業の男と、決して積極的には外の世界と関わらない役であるため、どのような人物であるかを伝えるには、内省的な演技を積み重ねていくほかないのだが、写真のフラッシュ撮影の時に、直接光を当てて硬い写真で被写体の存在を際立たせるのではなく、光を天井や壁に反射させて柔らかく表現するバウンス撮影のように、さまざまな方向から多角的に光を当てて"人物像"を表している。
しかも、その塩梅が絶妙なのだ。「こういう人物です」と提示するのではなく、言動、仕草、雰囲気などで方向性を示しながら、最後は見る者に委ねて役柄を形成しているため、見る側はどうしても役の人となりについて考えさせられてしまうし、大まかには同じ像を結ぶが、細かいところでは見る者によってそれぞれ違う人物像を描くことになる。この"役の人物像のあそび"こそが、彼の演技の"幅"と"深み"につながっている。「この人物は、実はこうかもしれない」「本当はこう思っているはずだ」「心の底では違うのでは?」など、見る者に正解を提示せず、考えさせ、想像させながら伝えており、"押し""引き"のバランス感覚が卓越しているからこそできる芸当だろう。彼の絶妙な"押し""引き"から生み出される"内向き"の表現を味わってみてほしい。
文/原田健














