大竹しのぶが45年ぶりに感じたスタッフとの深いつながりを語る
映画 インタビュー
2024.12.22
1979年に公開された映画『あゝ野麦峠』が4Kデジタルリマスター版として復活し、2025年1月12日(日)に日本映画専門チャンネルにて4K化TV初放送される。
同作品は、山本茂実の同名ノンフィクション文学を映画化したもので、明治時代後期に、製糸工場での厳しい労働と苛烈な人間関係に耐えながら、健気に生き抜いた工女たちの不屈の青春群像劇を、巨匠・山本薩夫監督が描いた社会派映画。主人公・政井みねを演じた大竹しのぶをはじめとする、若い人気女優たちの共演や叙情的な主題歌などで人気を集め、社会派作品としては突出したヒットとなった。
13歳の政井みね(大竹)は苦しい家計を助けるため、岐阜の飛騨地方の寒村を出て長野・岡谷の製糸工場で働くことに。みねら少女たちは真冬の雪嵐の中、岐阜と長野の境に位置する野麦峠を越え、命の危険に遭いながらも新天地となる製糸工場にたどり着くも、製糸工場の労働は早朝から夜遅くまで働き詰めという過酷さであった。みねは同僚の工女たちと共に家族を助けるために死に物狂いで働くが...というストーリー。
今回、大竹にインタビューを行い、『あゝ野麦峠』が4Kデジタルリマスター版として復活した感想や当時の撮影の思い出、山本監督とのエピソード、撮影秘話などを語ってもらった。
――45年ぶりに4Kデジタルリマスター版として復活すると聞いた時の感想は?
「忘れ去られていた作品が、再び皆さんに見ていただけると思うとうれしかったですね。あと、監督が喜ぶだろうなって。私も拝見したんですけど、きれいでびっくりしました。娘と一緒に見たのですが、娘も小さい頃に以前のものを見ていたので、『こんなにきれいになるものなの?お化粧してるのも分かっちゃうね』と驚いていました(笑)。すごく鮮やかで、工場のシーンでも『こんなに湯気が出てるんだ』と自分でもびっくりしました。フィルムはフィルムの良さがありますけど、こちらはまた違った良さがあるので、ぜひ多くの方に楽しんでもらいたいですね」
――撮影の思い出は?
「『秋の紅葉の中で、みねは死んでいく』というイメージが監督の中にあって、クランクインがいろいろあって遅れて、メインの冬から撮影を始めると秋は1年後になってしまうので、ラストシーンを最初に撮るということになったんです。だから、工女の仲間たちとどういう生活をしていたのか分からない状態で『あぁ、飛騨が見える...』と言って(笑)」
――冒頭の雪山のシーンも大変そうでした。
「(撮影した)あの年は90年に1度くらいの暖冬で雪が降らなくて、雪を求めて北上していったんです。それで、北上する中で、村ごとにおじいさんやおばあさんにエキストラとして協力してもらい、少女に扮装していただて撮ったんです。だから、本当にたくさんの方の協力のもとにこの映画はできたので、今さらながら感謝しています。
雪山の撮影は本当に寒くて、羽織とかが凍って、脱ぐと立っちゃっていましたし。腰巻も凍っちゃって、それで足を切ってしまったり。今だと考えられないですよね。防寒もシャツを重ねて着るとか、毛糸のチョッキを着るとかで、ヒートテックなんてなかったですから(笑)。狭い山道で自由に動けなかったので、待ち時間はその場で足踏みしながら流行りの歌を歌ってしのいでいた思い出がありますね」
――工女役は繭を煮て生糸を取る「糸取り」という作業がメインの仕事でしたが、「糸取り」については?
「工女の役の人みんなで1週間毎日、東宝の撮影所に(糸取りの)お稽古をしに行っていました。本当にすごい臭いで洋服にも全部臭いが染み付いちゃって、帰りの電車に乗ると他の乗客の方に『この子たち何?』みたいな感じで見られて...。
でも、『糸取り』自体は、だんだんコツが分かれば楽しくて、『みんなより速く、いい糸を作りたい』と思うようになるから、『当時の工女さんたちも、こういうふうに思っていたんだな』と思いました」
――みねを演じる上で意識したことは?
「他の工女さんの役は、それぞれに見せ場みたいなところがあるんですけど、私はただただ良い工女で、『これはどうやって演じたらいいんだろう?』と思って、デビュー作の映画『青春の門』(1975年)の浦山(桐郎)監督にお電話したんです。そうしたら、監督が『山を見て、風を感じて、大地の上に立って、相手が一番やりやすい芝居をやりなさい。相手役がやりやすいようにそこに居なさい』とアドバイスしてくださったんです。だから、"相手役がやりやすいように"というのを常に意識していました。それまでは感情が爆発するような役が多かったので、そういうお芝居の仕方をしたのはこの作品が初めてでしたね。私にとって、浦山監督に出会えたことはすごく大きかったし、それを薩っちゃん先生(山本監督)の前でやれたというのはすごく大きくて、すごい人と出会えていたんだなって今改めて思いますね」
――山本監督とのエピソードは?
「女の子たちで『何かプレゼントしたい!』と言って、監督の部屋にみんなで行って、『歌います!』って歌のプレゼントをしたことがありました(笑)。きちっとした思想を持って映画を作っていた方なので、山本組というのは本当に山本薩夫さんのために頑張るという感じでした。そういう方の撮った作品だからこそ、今の時代にこの映画を見ていただけるというのが本当にうれしいです」
――クランクアップ時は、どのような心境だったのですか?
「とにかく、スタッフもキャストも『乗り越えたね』という感じでした(笑)。個人的にスタッフさんに『ありがとう』を言いたくて、『スタッフさん一人ひとりにコーヒーカップをプレゼントしよう!』と思って、妹に手伝ってもらって渋谷の街をあっち行ったりこっち行ったりして、2日くらいかけて全員分のコーヒーカップを買った記憶があります。そんなにお金も持っているわけじゃないから、いいカップじゃなかったと思うんですよ。だから、もらった方はちょっと困っただろうなと思うんですけど、全員に手紙を書いて渡しました。4Kデジタルリマスター版を見た時に、冒頭のスタッフさんの名前を見ただけで皆さんの顔が浮かんできて、『私覚えてるんだ!これだけ深いつながりがあったんだな』ってしみじみ感じました」
――工女たちの過酷な暮らしを描いた作品ですが、ご自身の人生で大変だったエピソードは?
「やっぱり子供が小さい時は大変でしたね。一人で育てるということで仕事もしなくちゃいけないし、寝る時間があまりなかったですから。だから、二度寝の人生でした。『いってらっしゃい』と送り出して、すぐ寝るみたいな(笑)」
――最後に作品をご覧になる皆さんにメッセージをお願いします。
「本当にたくさんの方に見てもらいたいです。山本薩夫という偉大な監督が、ワンカット、ワンカット、心を込めて、力を込めて撮った作品なので、ぜひ楽しんでいただけたらうれしいです」
文/原田健 撮影/中川容邦
ヘアメイク/新井克英
スタイリング/申谷弘美(Bipost所属)