映画との関係性を改めて感じることができた『ニトラム/NITRAM』【尾崎世界観連載】

尾崎世界観

尾崎世界観 (クリープハイプのボーカル・ギター)

ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル・ギター。 小説『転の声』が第171回芥川賞候補作に選出。小説家としても活躍する尾崎世界観が、好きな映画を語りつくす。

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映画との関係性を改めて感じることができた『ニトラム/NITRAM』【尾崎世界観連載】

今回選んだ『ニトラム/NITRAM』は、ここ数年で観た中でも特に好きな映画です。ただ、好きだからと言って「何回も観たい」と思う作品ではなくて。できればもう観たくないんです。よく「もう何十回も観ている」と言うことでその作品の素晴らしさを表現しますよね。でも、1回観て「もう観たくない」と思う、それも映画に対しての誉め言葉になり得るのでは?と思います。自分のライブを「もう観たくない」と言われたら落ち込みますけど(笑)、映画の場合は「もう観たくない」という賞賛が成り立つかもしれない。作り手が心をすり減らして作ったものは、観る方も心をすり減らしながら受け取るはずだからです。そのくらい『ニトラム/NITRAM』には強い衝撃がありました。

これは「ポート・アーサー事件」と呼ばれる、1996年にオーストラリアで実際に起こった無差別銃乱射事件を題材にした映画ですが、まず何よりも、主人公を演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズの力がすごいと思います。あの人が持っている「目の離せなさ」。見ていると危なっかしくて怖いんです。映画を観始めて、彼が出てきた瞬間に「あ、ヤバい」と思いました。「この人は普通に演技をして作品を成立させるだけの人じゃない」って。自分も表現をする人間として「これは知らない方がいいかもしれない」とすら思ったんです。でも、やっぱり目が離せない。何も喋らなくても成り立つ、人間としての力を感じます。

世の中に暗い映画はたくさんありますが、「何のためにそういった表現をしているのか?」というのは、すごく大事だと思います。最後には、観た人に何かが残らないといけない。ただ暗いだけの映画、ただ嫌な思いが残るだけで終わってしまう映画を観ると、すごく残念な気持ちになるんです。自分自身、特に小説を書き始めた最初の頃は、自分の中にある気持ちを吐き出すだけで、「それを受け取った人がどう思うか?」というところまで考え切れていなかった。あの頃はただ甘えているだけだったなと反省していて。やっぱり表現は、最後にそれを受け取った人がどう思うかが大事。そういう意味で、『ニトラム/NITRAM』はすごく丁寧に作られた映画だと思います。実際に起こった事件を扱っているので、センシティブな部分もありますが、何かを肯定するわけでも、否定するわけでもなく、それを客観的に見つめているような感覚がある。その眼差しが好きでした。そして、映像がとても綺麗で......それが嫌なんですよね。様々な対比が重なっている作品だと思います。

登場人物に対して、「理解できない」と思う部分も多いんです。主人公とお父さんの関係もそうだし、途中で主人公と出会うヘレンという女性もそう。すべてを理解して、共感できるわけではない。でも、そこにこそ惹かれます。「わからない」と思う人の気持ちに触れられるのも映画の良いところです。最近は、「共感できたかどうか」で作品を評価する風潮が強まっていますよね。あの「共感できたから、これはいい作品だ」という空気が嫌なんです。せっかく時間を割いて新しい作品を観るのなら、共感より、知らなかった価値観に触れたい。

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『ニトラム/NITRAM』を作った人たちは、この映画の「わからなさ」をどこまで意識していたんでしょうね。そこは気になる部分です。最終的には「わかってほしい」と思って作ったのか、自分が「わからない」ものを表現することを通して、「わからない」をわかりたかったのか。あるいは「わからない」を表現しながら、「わからない」をありのまま受け止めようとしたのか。どこに着地点を見出していたのかまではわからないですが、ひとつ言えるのは、『ニトラム/NITRAM』は「わからない」というものに対して堂々としているということ。そういう態度が伝わってくるからこそ、こちらも安心して気持ちを委ねられる。

ずっと不穏だし、ずっと不安で、最後までギリギリのバランスで進んでいく。主人公の人物像や、起こった事件の周辺にあることが細かく丁寧に描かれる中で、「こういうことがあったから、ああいうことが起こったのかな」と納得したり、思わず主人公に寄り添いそうになる瞬間もある。でも、そのどれもが結局は、この作品の本質ではないのかもしれないと思ってしまう。そんな不気味さがあります。ある意味では、すごく寂しい映画なんです。でも、こっちはその「寂しさ」を見ていることしかできない。「映画ってそういうものだよな」と思います。映画とはずっとこの距離感のまま。それを1時間半とか2時間の間、続けるだけなんだよなって。そのことを改めて感じることができて、個人的にはすごく嬉しかったんです。

取材・文/天野史彬 撮影/中川容邦