踊りの「京鹿子娘二人道成寺」、芝居の「日本橋」――巧みな芸を配信で楽しもう

踊りの「京鹿子娘二人道成寺」、芝居の「日本橋」――巧みな芸を配信で楽しもう

演劇と映画の会社、松竹株式会社は今年、創業130年を迎えている。J:COM STREAMでは舞台と映像がタッグを組んだ松竹の「シネマ歌舞伎」が配信されており、6月には新たに華やかな歌舞伎舞踊「京鹿子娘二人道成寺」と、新派から生まれた名作芝居「グランドシネマ 日本橋」が配信された。

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坂東玉三郎と尾上菊五郎があでやかに舞う「京鹿子娘二人道成寺」

「京鹿子娘道成寺(きょうかのこ むすめどうじょうじ)」は歌舞伎舞踊の人気作。通常、女方がひとりで踊りぬくのを二人、三人と踊り手が増える演出がある。今回は「二人(ににん)道成寺」人間国宝の坂東玉三郎と、このほど八代目・尾上菊五郎を襲名した菊之助(撮影公演当時)が競演した。

役名は白拍子花子。ふたりとも同じ名。つまり一心同体で、ふたり同時に踊ったり、あるときは、どちらかひとりと、不思議な感覚を楽しめる。

菊之助が花道で踊っていると、いつのまにか玉三郎が登場。まるで背後霊のよう。これは白拍子という踊り子に、道成寺の鐘を蛇体となって火焔で溶かした女性の亡魂が取りついたように見える効果がある。鐘とともに恋人も焼き殺してしまった女だ。能の「道成寺」はその物語が再現されるのだが、歌舞伎は「娘」の恋心がテーマ。大半は怨霊とは関係なく、町娘の恋へのあこがれや遊郭に勤める女性の恋が描かれる。 

赤の振袖から、黄緑色に衣裳が一瞬で変わる「引き抜き」は見逃せない。ここまでは、ふたりぴったり同じ振りで揃っている。まさに一心同体感がある。このあと花笠をつけた踊り、これはひとりだ。笠で顔が隠れるのでどちらだろうと思わせるのもうまいし、普段は踊らない坊主(所化)たちと一緒に踊る工夫もある。そして藤色の衣裳で眼目のクドキ「恋の手習い」も玉三郎だが、途中から菊之助が加わり、いつしかまた二人でひとりの雰囲気に。

次の黄色の衣裳での鞨鼓(かっこ)の踊りは左右対称に見せる技。このくだりが終わった後が、シネマ歌舞伎ならではの名場面。フラッシュバックがある。玉三郎が編集で手を加え、劇場では味わえない贅沢感が出る。

さらに菊之助が紫の衣裳で踊る手踊り。しっかり見ていないと見逃すが、菊之助が身体を一回転させると玉三郎になっていて、また身体を返すと菊之助に戻る。幻想的な「二人でひとり」の編集が加えられている。お見逃しなく。

この息のつんだ二人の芸は鐘の上での決まりまで水準高くキープされている。みごとで貴重な「娘道成寺」だ。こんなマジックができるのは映像加工技術ではなく、ふたりが、揃いの衣裳であることと、本来は顔が違うのに似て見える踊りの技、巧みな芸が可能にしているのだ。

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泉鏡花の名セリフを耳で味わう「グランドシネマ 日本橋」

芝居は泉鏡花原作の「日本橋」。やはり、玉三郎が主演だが、歌舞伎や新派ではなく高橋惠子、永島敏行、江原真二郎らベテランの演劇人とフレッシュな松田悟志らが競演した舞台で、玉三郎が演出や映像制作に参加して作り上げた。

東京の日本橋には花柳界があった。檜物町(ひものちょう)がその中心でいまの東京駅八重洲口の前あたり日本橋川周辺がそうだった。お孝(こう)と清葉(きよは)という芸者ふたりをとりまく人物の愛憎が展開する。勝気なお孝は清楚な清葉にライバル心を燃やす。清葉に恋心を抱いた葛木(かつらぎ)は振られてしまう。その葛木に恋をするのがお孝。しかしお孝には熊というあだ名の男・伝吾(でんご)がいる。

この4人の心模様とドロドロした惨劇。はては殺人事件へと発展してゆく。どの場面でも鏡花独特のセリフがからみあって、時代風景を作り出してゆく。

鏡花が書いた名セリフは文字で読むのではなく芝居は声(音)で、東京弁の抑揚や花街のアクセントが伝わってくる。目で見る、耳で聞く鏡花文学だ。

まずは一石橋(いちこくばし)の場面。日本橋よりひとつ上流にかかる橋。「雛(ひな)の節句のあくる晩 春で朧(おぼろ)でご縁日......これでできなきゃ 世間は闇だわ」お孝のセリフ。雛祭りに供えた蛤や栄螺(さざえ)を橋から日本橋川に投げ入れる場面。縁日は橋を渡ったところにある西河岸(にしがし)の延命地蔵尊。「できる」というのは男女の仲。巡査に不審尋問をされた葛木をお孝が助け、巡査の手帳に「妻」という文字を残す。

清葉は笛の名手。この場面の幕切れ、月に向かって奏でるが、その前に袋に閉じ込められた笛に向かって
「世に出て月が見たいんでしょ」
「世」のアクセントが、頭高ではなく平板。これが東京弁だ。

お孝の住まい稲葉家の場面。2階にいる「熊」こと伝吾に縁切りをすると、伝吾はドスを抜いて、お孝を刺そうとするが、怖がるどころか居直り、斬られてあげようと身体ごと迫り
「オイ 熊さん うろこは自分で引こうかねえ」
とつっぱねる。江戸芸者の意気地。「うろこひき」は包丁で魚をさばく技。ドスで切り刻んでもかまわない、それとも自分で斬ってやろうかと、女だてらにすごむセリフだ。

一難去って、静かになった2階の座敷。床の間の花を見て
「風もないのに 騒々しい 咲いた桜が おびえるわねえ」
がたがた震えるどころか、根性の座り方がわかる。「おびえる」ということばを、当時の花柳界ではよく使った。

こんな強気な女でも大好きな葛木の前では、「家の前の柳を枯らすなよ(元気でいろよ)」との別れの言葉に
「いいえ 枯れます わたしは見る間に散りそう。 
 一日こない日は ひとすじ髪が抜けたものを」と
かよわい女になっている。
葛木は出家して旅立ち、清葉の家が火事になったりと、単なる恋愛ドラマではなく事件が次々と起き、雪の中での熊とその娘との別れや、殺人事件......とんでもない展開がワクワク、ドキドキさせる。
鏡花の耽美世界で大切な小道具、ひな人形の物語もあわせて楽しんでいただきたい。

文/葛西聖司(かさいせいじ・古典芸能解説者)

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