声優・堀江瞬インタビュー#1「『親に黙って学費を貯めて、養成所に行った』空想好きだった少年が声優になるまで」
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2025.08.15
「原神」の空(男主人公)、「僕の心のヤバイやつ」の市川京太郎、「彼女、お借りします」の木ノ下和也など、数々の人気作品で主演を務め、"ホリエル"の愛称でも親しまれている声優・堀江瞬さん。ですが、実は元々、自分の声が高いことがコンプレックスだったと言います。そんな彼がどうして声優を志したのか、そしてその過程で培っていった「余白」を持つことの大切さとは。このインタビューでは、全3回にわたって声優・堀江瞬の人となりと素顔に迫ります。
■本の中の世界に憧れていた少年時代
――動画での一問一答の撮影では映画『恋する惑星』がお好きということで、めっちゃ共感しました...!
「え、まじですか...!? ウォン・カーウァイ監督、いいですよね! 僕、先日、香港に行ってきて聖地巡礼してきて......といっても弾丸で、マカオにも行かずただ重慶大厦(チョンキンマンション)近くでほぼ1泊しただけ。劇中で、トニー・レオンとフェイ・ウォンが出会う場所になった『MIDNIGHT EXPRESS』というファストフード店のロケ地は、すでにセブンイレブンになっていました(笑)。また10月に香港に行く予定を立てているので、そのときはもっと計画をしっかり立てて見て回ってこようと考えています」
――いいですね、Xでのポストを楽しみにしています! さて、いきなり余談からで失礼しました。まずは、堀江さんの幼少期のお話からお伺いしていきたいと思います。
「はい、幼い頃はけっこうわんぱくな少年という感じの気質で、いつも友達と遊んでいたり、友達が遊んでいる中にも自分から『混ぜて~!』とか言いながらぐいぐい輪にはいっていけるタイプの子供でした。小学生の頃からなにかを想像したり、つくるのが好きで、覚えているのは『自由帳クエスト』。自由帳の真っ白なページを使って、そこで完結するドラクエのようなゲームを僕が作ったら、クラスの中でそれが流行ってみんなで僕の机の周りに集まってそれで遊んだり。今思えば、テーブルトークRPGのようなものを子供ながらに考えていたんだなと。ちょうどその頃、一人遊びや、弟と遊ぶ中で『大天使ホリエル』というキャラを自分に降臨させて、想像の中でいろいろなものと戦っていたんですけど、じつはそれが、いま"ホリエル"と呼んでいただく由来にもなっています」
――小学生の頃から想像力が豊かだったんですね。
「当時から、読書も好きだったのでそれを元にいろいろな空想をするのが好きでしたね。当時、流行っていた『デルトラ・クエスト』も好きでしたし、『ナルニア国物語』シリーズも好きだったので、別の世界に行けるんじゃないかとワクワクしてタンスの中に入ったり。小学生の頃はそんなふうに過ごしていたんですけど、中学に入ってから、周りの男子たちから嫌がらせをされるようになってしまって。元々、童顔なこともあって女の先輩からチヤホヤされたりするのが、あんまり面白くなかったみたいなんですよね。露骨に『あいつ、調子乗ってんな』って態度をとられてました。その時期から、あまり周りの人と積極的にコミュニケーションを取らなくなってきて......」
――それはきついですね......。
「元々の中二病な気質もあいまって、だんだんとファンタジーものよりも、暗い文学作品をよく読むようになって。いま振り返ると、内容もちゃんと理解できていたか怪しいけど、そういう作品を読んでいる自分に酔っていたんだと思います。友達がいなかったのもあって、よりそういうジャンルや作品に傾倒していったんじゃないかなと思います」
■週5〜6の夜勤で学費を貯めて養成所へ
――その中で、堀江さんが「声優の道に進もう」というきっかけはどんなところにあったんでしょうか?
「初めて声優という職業を意識するきっかけになったのは、『名探偵コナン』で元太くんと高木刑事という、メインキャラクター二人、しかも大人と子供のキャラクターを高木渉さんが一人で演じ分けているのを知ったとき。それまでは当然のように別の人がやっていると思っていたので、『これ、同じ声優さんがやっているんだ!』と中学生の頃に知って、声優ってすごいんだなって」
――そのときに、声優になりたいと思った?
「いや、そのときはただただ高木さんの演技に感動した、という気持ちのほうが大きくて、自分が声優になろうなんて考えもしませんでした。ただ、それをきっかけに『声優に興味を持った』のは確かです。といっても、自分が住んでいる地域だと深夜アニメも映らないし、当時はネット配信とかもないし、『アニメをずっと観て......』というのができる環境じゃありませんでした。それでもどうにかしてアニメや声優の情報を摂取したくて、近所の本屋さんで毎月『声グラ(声優グランプリ)』とかの雑誌を買っては、それをめちゃくちゃ読んでました。それこそ水樹奈々さん、堀江由衣さん、坂本真綾さんをはじめ、僕ら世代のオタクになじみのある声優さんは大体、僕も通ってきていてCDも買いまくっていました」
――じゃあ中学生のときに興味を持って、そこから少しずつ声優への興味や知識が深まっていったんですね。
「そうですね。その後、高校生で本格的に進路を考え始めたときに、『声優になりたい』って気持ちがぼんやりと出てきて。だけど、当時の僕にとっては自分の声ってコンプレックスだったんですよ。僕自身、声変わりを自覚するタイミングがないくらい、当時から声が高くてそれを理由に周りからからかわれることも多かった。きっとこの辺りは『童顔』を理由に、周囲から冷たくされたのと同じ感覚だったと思います。
でももしかしたら、声優になればそのコンプレックスを武器にできるかもしれない。そんな思いでだんだんと気持ちが強くなっていって、高校2年生のとき、親に『声優になりたい』と伝えてみたんです。そしたら『なれるわけがないから、大人しく受験勉強しなさい』と言われてしまって、僕も『はい、わかりました』と......」
――その時点では、諦めなきゃいけなかったんですね。
「親に伝えた感触として『これは何を言ってもダメだな』って感じでした。ただ、僕自身も親が言うことに『そりゃそうだよな』と思う気持ちもあったので、そのときはおとなしく大学に行くことにしたんです。それで、大学には一度入学した上で1年間、サークルにも入らず週5~6日アルバイトで夜勤をして、自力で学費を貯めて大学2年生のときに養成所に自分で応募しました」
――すごい行動力......! っていうか養成所に入るときはご両親には伝えていなかったんですか!?
「その、何回伝えようともきっと反対されるっていうのは、もう目に見えていたので、そこからはもう黙ってやるしかないと。なんなら、通い始めてからも親には伝えていなくて、初めて親に伝えたのは、初めてオーディションに受かった作品の『アイドルマスター SideM』のとき。それもオーディションに受かった瞬間に言ったわけじゃなくて、僕が担当したピエールが所属する『Beit』というユニットが初めてCDを出すときに、その発売日に初めて伝えたんです(笑)」
■何も持たなかったからこそ前に進めた
――養成所に通われていましたよね。
「通っていた養成所には基礎科と本科があって、それぞれ1年ずつのコースがあるんです。だけど、通ったあとに声優事務所の所属審査を受けられるのは本科のみ。自分は、1日でも早く声優になりたいと思っていたので、本当に何もわからない状態にもかかわらず、基礎科は飛ばして、より倍率の高い本科の入所試験を受けました。そしたら、それが受かって本科に通うことになりました。とはいえ、養成所に入ってから周りの人たちの話を聞いても、じつは基礎科を経ない人は意外といて。当時、同期が5人くらいだったんですが、みんないきなり本科に通い始めた方たちばかりでした」
――堀江さんにとっては、そのルートが「声優になるために一番近い道」だったんですね。
「いま考えてみると、そうではないルートもあったと思いますが、当時の僕はなぜか『絶対これがいい』というふうに思い込んでいた気がします。でも、『これでダメなら諦めよう』という気持ちでいたので、ある意味、かなり潔く打ち込むことができたのかなって」
――養成所時代は、どんな日々だったんでしょうか?
「とはいえ、それまでお芝居の経験もないし、声優的な技術は何一つ持っていないので、教わりはするんですけどそれがなかなか自分に身に付いていく感覚はなくて。講師の方々が話していることも、言葉として頭では理解できるんですが体に溶け込んでいかない感じがしていました。むしろ、いま通ったほうが身になることが多いかもしれません」
――何か、養成所時代に壁にぶつかったりしたんですか?
「ぶつかっていたのかもしれないけど、むしろ、わからなすぎてそのことにすら気づいていない、という状態かな。例えば、ぼくは文系だったんですけど高校の数学ってⅡBくらいまではギリギリわかるけど、ⅢCになってくると『何がわからないのか、わからない』状態に陥るじゃないですか。あれと同じ感覚で、自分が漠然と『できない』ということはわかるけど、具体的に『何をどうすればできるようになるのかわからない』という状態なんです」
――とはいえ、最終的には事務所の所属審査で合格されるじゃないですか。堀江さん的にはその一年で何を得たんだと思いますか?
「それも自分だとそれもよくわからないもので。何か『これだ』って言葉にできるような武器を手に入れた感覚は全然なかったんですよ。でも、これはいまにして思う僕のイメージではあるんですけど、『何もない』からこそよかったのかもしれない。『何もない』って逆にいえば新鮮さ、成長性、伸びしろがあるっていうことじゃないですか」
――確かに。
「というのも当時、周りを見ていて、僕を含めまだまだ技術が拙かったり、自分のやり方が確立されていない人のほうが、事務所の所属審査に通っているような気がしたんです。一方で、『技術はあるのに受からなかった』という人がたくさんいて。『その人っぽい型』がすでにある方のほうが、わりと所属審査では苦戦しているイメージがあった。そんな状況を見ていて、なんとなく型がある人のほうが『その先にある演技も想像できてしまうから』なんじゃないかと思って」
――なるほど、面白いですね......! もちろん、プロになる上での基礎的な部分は必要だと思いますが、自分の型が強すぎると逆にうまくいかないことがある......。
「でも、これもあくまで僕の個人的な分析ですし、『絶対そうだ』という話ではないと思うので、もし声優業界を目指している方がこれを読んでいるなら、話半分に聞いてほしいな、とは思います。とくに大学~養成所時代は、自分でいうのも恥ずかしいですけど結構トガっているところがあって、周りの人たちに対して『絶対に負けてなるものか』『僕が声優になってやる』って闘争心がかなり強かった部分もあるので。そんな気持ちもあって、本科から声優を目指す道が『僕には合っていた』というだけなんだと思います」
■第4期は、あの最恐のヒロインに乞うご期待!|「彼女、お借りします」木ノ下和也
(C)宮島礼吏・講談社/「彼女、お借りします」製作委員会2022
――2025年7月から第4期が放送開始した「彼女、お借りします」(以下『かのかり』)では、主人公の木ノ下和也を演じられています。
「正直にいうと、第1期の頃は彼の行動や感情をつかむのには苦労しました。女性に対してすごくまっすぐというか、下半身で物事を考えているフシがある。そこに共感はできないけれど、だから『このセリフが出てくるんだな』『この行動になるのか』という理解をしながら少しずつセリフを自分の中に落とし込んでいって。あんまり自信もなかったんですけど、現場で『かのかり』を観ている方に出会うたびに『このクズ!』『女の子を泣かすなよ!』というありがたい声をもらいつつ。でも、ある意味それも和也のことをうまく表現できていたからなのかなと、ポジティブに解釈しています。第1期が放送開始した2020年から6年間、和也を演じ続けてきて長く演じている分の愛着も湧いていますし、好きな子のためにあそこまで頑張れるその熱量や行動力に対しては純粋にすごいなと思います」
(C)宮島礼吏・講談社/「彼女、お借りします」製作委員会
――アフレコ現場はどんな雰囲気ですか?
「キャラクターがそこまで多いわけでもないですし、同じ声優の方と顔を合わせる機会も多いので、あの座組のチームワーク、雰囲気はすごくいいと思っています。放送時期のタイミングで、これまでのシーズンはアフレコを夏にやることが多かったんですけど、頻繁にそのメンバーでバーベキューをしたり、夕方にアフレコがあるときは終わったあとほぼ毎回に近いくらい、飲み会をやったりとか、アフレコを通じて、相当仲良くなりました。僕自身、作品外の関係が作中の雰囲気に影響することはあまりないと思っているタイプではあるんですが、それでも『かのかり』に関しては、メンバーの雰囲気がプラスアルファ、作品の空気感に影響しているかもな、とは思っています」
――第4期の注目ポイントや見どころについて教えてください!
(C)宮島礼吏・講談社/「彼女、お借りします」製作委員会
「第3期では、なりを潜めていた悠木碧さん演じる麻美ちゃんがようやく、第4期で復活します。もう、最恐。これまでも彼女の怖い一面は少しずつ見えてはいたと思うんですけど、まだまだ隠れされた部分で、瞬間的に垣間見えるくらいだったと思うんですけど、いよいよ化けの皮が剥がれてきます。現場でも本番前のテストが終わると開口一番に『麻美ちゃん、怖すぎ!』ってみんなで言うんですけど、悠木碧さんが『そんなことないよ~!』って言うまでがワンセットになってました(笑)。第3形態......いや、もはや第7形態くらいの麻美ちゃんとの戦いを、ぜひ楽しんでください!」
取材・文/郡司 しう 撮影/小川 伸晃