あらゆる現実を静かに受け止める「大人」を主人公にしたTVアニメ『九龍ジェネリックロマンス』【サンキュータツオ】
アニメ 見放題連載コラム
2025.05.22

サンキュータツオ (芸人、日本語学者)
芸人、日本語学者。芸人として活動するかたわら大学教員を務め、アニメなどのサブカルチャーにも造詣が深いサンキュータツオが、今クールのおすすめアニメを紹介する。

サンキュータツオ (芸人、日本語学者)
芸人、日本語学者。芸人として活動するかたわら大学教員を務め、アニメなどのサブカルチャーにも造詣が深いサンキュータツオが、今クールのおすすめアニメを紹介する。
とっても不思議な味わいの、愛らしいアニメがスタートした。「恋は雨上がりのように」で一躍大ヒットメーカーとなった眉月じゅん先生の最新作「九龍ジェネリックロマンス」である。
懐かしさと新しさの同居が生む、不思議で魅力的な世界観
九龍城砦を思わせる住宅密集地。最近では映画『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』で展開されたあの閉塞感と、市井(しせい)の人々の温かい生活感。この作品でもあの雑然としながらも、けなげに生きる人々がアニメーションで再現されている。空間の描き方、描き込み具合がすご過ぎて息をのむ。画面から温かさと湿気がにじみ出てくる。
主人公の鯨井令子は小さな不動産屋で、支店長の李さん、そして先輩の男性社員・工藤と働いている。令子32歳、工藤34歳。昨今のアニメでは珍しい30代の主人公だ。まず、「大人」を主人公に据えた作品をアニメ化したことに、快哉(かいさい)を叫びたい。
物語は、そんな令子と工藤の日常を描くところから始まる。どこか懐かしい雰囲気のする九龍で夜遅くまで仕事をし、仕事が遅くなれば先輩と食事に行く。工藤はさばさばした性格で、頼もしくもどこか何を考えているか分からない節があり、二人の関係は職場の先輩、後輩の関係の域を出ないものと思われるが、決して仲が悪いわけでも無関心であるわけでもなさそうだ。
空を見上げると不思議な物体が浮かんでいる。エヴァの使徒「ラミエル」のような、ラピュタの中枢にあった飛行石の結晶のような形のもの。それは「ジェネリック地球(テラ)」と呼ばれる、もう一つの地球のようだ。何これ、SF作品なの!?
明らかに未来のテクノロジーの世界の中にある、明らかに過去の舞台設定のような九龍城砦。この、「過去」と「未来」の混ざった映像が、不思議な味わいの理由だった。そして、そういう舞台ならば若い高校生たちにキャピキャピ青春を謳歌(おうか)させたくなるようなところに、あえて「大人の男女」を持ってきて、静かな作品にしている点が愛らしい。もうこのアニメは世界観を映像化しただけで最高なのだが、物語は唐突に動き出す。もう一話から目が離せない。
動き出す令子と工藤の関係――ただのロマンスじゃねえぞ!
同僚とはいえ男と女。令子は次第に工藤の存在が自分にとって懐かしい、温かい存在であることを自覚する。そこへきて、ある日、工藤の机から明らかに男女の仲であると思われる一枚の写真を見つけてしまう。しかし、そこに映っていたのは、工藤と自分の姿であった。え!? そんなバカな。でも、そうなんです。令子には、過去の記憶がなかったのである!
これが単なる記憶喪失モノであったなら、令子が記憶を取り戻すだけの物語となる。工藤の職場での態度も、もっと親しげなものとなっていただろう。しかし、ここがこの作品の面白いところ。どうやらその記憶喪失は、あの空に浮かぶ「ジェネリック地球」と関係がありそうなのだ。そうか、だから「ジェネリックロマンス」? いや、九龍って「クーロン」だけど、もしかしてクローン......?
一筋縄ではいかないロマンスの予感。未来のテクノロジーと過去の空間、それは新しい「令子」と元の「令子」、未来(新たな現在)と過去の同居でもあったのだ。お互いが内面に触れ、好きになるパターンの恋愛は、それだけで成就する条件がそろっている。だが、それだけではお互いが満たされない、というのが本作の肝。過去に囚われながら現在に向き合う、そして未来に進む。SF世界を使って人間不変の姿が描かれる。だからこそ、主人公はあらゆる現実を静かに受け止める大人でなければならない。
人ごとの恋愛ではなく、生きるとは何か、愛するとは何か、自分とは何かが、ロマンスの中で表現されていく。全人類必見のアニメがここに誕生した。