「世界最強」瀬古利彦が語るマラソンの奥義。「辛抱なきところに栄光なし」【二宮清純】

「世界最強」瀬古利彦が語るマラソンの奥義。「辛抱なきところに栄光なし」【二宮清純】

1970年代から80年代にかけて、マラソンの世界における瀬古利彦さんのプレゼンスは圧倒的でした。マラソンの通算成績は15戦10勝と驚異的です。ソ連(当時)のアフガニスタン侵攻を理由に、日本をはじめとする西側諸国の多くがボイコットした1980年モスクワ五輪。マラソンの優勝者は東ドイツ(当時)のヴァルデマール・チェルピンスキーさんでした。瀬古さんは、このチェルピンスキーさんと5度対決し、1度も負けたことがありません。

■「瀬古、泣いてはいかぬ」

直接対決での結果は以下の通りです。
1978年=福岡国際マラソン 優勝・瀬古(2時間10分21秒)、32位・チェルピンスキー(2時間22分49秒)
1979年=福岡国際マラソン 優勝・瀬古(2時間10分35秒)、途中棄権・チェルピンスキー
1980年=福岡国際マラソン 優勝・瀬古(2時間9分45秒)、5位・チェルピンスキー(2時間10分29秒)
1983年=東京国際マラソン 優勝・瀬古(2時間8分38秒/当時日本最高記録)、7位・チェルピンスキー(2時間12分40秒)
1983年=福岡国際マラソン 優勝・瀬古(2時間8分52秒)、15位・チェルピンスキー(2時間15分13秒)

自国開催ということで瀬古さんに"地の利"があったとはいえ、実力差は明確です。とりわけ、80年12月に行なわれた福岡国際マラソンは、チェルピンスキーさんがモスクワで金メダルを獲った直後だっただけに大いに注目されましたが、ここも瀬古さんの完勝でした。

こう見ていくと、「瀬古さんがモスクワを走っていたら金メダルだったのに......」との言い分は、かなり的を射ているような気がします。

現役引退直後、瀬古さんにモスクワ五輪について問うと、率直な答えが返ってきました。

「そりゃ悔しいですよ。(金メダルを獲る)千載一遇のチャンスだと思っていましたから。でも(師事する)中村清監督に、こう言われたんです。"瀬古、泣いてはいかぬ。女々しい真似だけはするな"とね」

早稲田大学、ヱスビー食品で、瀬古さんは中村さんから厳しい指導を受けました。

それについて瀬古さんは、以前、こう語っていました。

「中村監督は元軍人でしたから、考え方が徹底していました。たとえば、東京に雨が降った時、中村監督に"今日は雨が降っているので、40キロ走の練習、明日じゃダメですか。明日は晴れ予報ですから"と相談すると、こう返ってきました。"ちょっと待て。今調べたら宗兄弟のいる宮崎の延岡は晴れている。向こうは走ってるぞ"と返されました。しかし、後で聞いたら、宗兄弟も同じように"瀬古が走ってるかもしれないぞ"と言われていたそうです(笑)」

■宗兄弟との死闘

コメントにもあるように、瀬古さんの最大のライバルは、宗茂さんと宗猛さんの宗兄弟でした。

再び瀬古さんです。

「会えば挨拶する程度でした。中村監督からは"宗兄弟とは喋るな"と言われていましたから。"オマエの性格をわからせるな。そうすれば向こうは不気味だと思う。どんなことをやってくるかわからないと思わせろ"とも」

瀬古vs宗兄弟。そのハイライトが、モスクワ五輪の代表選考も兼ねた1979年12月の福岡国際マラソンでした。

当時早大生の瀬古さんは23歳、名門・旭化成所属の宗兄弟は26歳。この3人による優勝争いが予想されていました。

勝負どころの40キロ過ぎ、満を持して飛び出したのは双子の弟・猛さんでした。一気に70メートルくらい離された時点で、瀬古さんは「負け」を覚悟したといいます。ところが、です。諦めかけた矢先に先頭の猛さんと2位の茂さんが、同時に瀬古さんの方を振り返りました。

この、さりげない動作を瀬古さんは見逃しませんでした。

「後ろを振り返るのはしんどい証拠。足に疲れが来ているはずだ......」

瀬古さんの見立て通りでした。2人とも燃料は底を突きかけていたのです。

競技場には猛さんを先頭に、3人がなだれ込むように入ってきました。瀬古さんは残り200メートルでスパートし、そのままゴールイン。デッドヒートを制したのは、最後までライバルの動きを観察していた瀬古さんでした。

いつだったか、マラソンの奥義について聞くと、瀬古さんはこう語りました。

「辛抱なきところに栄光なし」

二宮清純

二宮清純 (ライター)

フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。

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