世界的冒険家・三浦雄一郎。「ひとつの物語の終わりは、次の物語の始まり」【二宮清純】
スポーツ 連載コラム
2026.10.01
現在、93歳の三浦雄一郎さんは、70歳、75歳、そして80歳と、エベレスト最高齢登頂記録を3度も更新している世界的な冒険家・プロスキーヤーです。7大陸最高峰スキー滑降を、世界で初めて達成したのも三浦さんです。未知の世界への挑戦心は、今も衰えることがありません。
■「九死に一生を得た」
三浦さんの名前を、世界的に知らしめた映画に、1976年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞に輝いた『The Man Who Skied Down Everest』があります。日本では、その1年前の1975年に『エベレストを滑った男』というタイトルで公開され、高い評価を受けました。
米国第39代大統領のジミー・カーターさんは、この映画の大ファンで、2004年に招待した席で、三浦さんを「命の危険を顧みず、夢に向かってチャレンジする素晴らしさに感銘を受けた」と称えました。
1970年5月6日、エベレストの標高7780メートル付近から滑り始めた三浦さんは、ブレーキ用のパラシュートが風によじれ、スキー板が外れたことにより転倒、7000メートル付近で止まりました。その先には巨大なクレパスが待ち構えていました。
それについて、2年前にお会いした際、三浦さんはこう語りました。
「平均斜度は50度近かった。ほぼ氷の壁。滑ったというか転がり落ちていったという感じです。それでもパラシュートを装着していたので、なんとか命だけは助かった。柔らかい木に突っ込み、運良く崖のぎりぎりのところで止まりました」
文字通り「九死に一生を得た」三浦さんでした。
それにしても、と思います。家族は心配しなかったのでしょうか。
それについて問うと、こんな答えが返ってきました。
「こうやって私が挑戦し続けられるのは、家族のサポートが大きい。娘から"昔から登山をする父のことが心配でたまらなかったけど、80歳でエベレスト登山する際に、家出をしてでも登山すると言われて、その時から心配するのはやめて、信頼をしようという気持ちに切り換えたところ楽になった"と言われました。それまで娘は私の挑戦が心配で反対することもありましたが、心配が信頼に置き換えられてからは、家族全員がサポートしてくれるようになりました」
■「典型的な楽天家」
ところで三浦さんによると「失敗したら、どうしよう」と考える人は「登山には向かない」そうです。
自身については「典型的な楽天家」と分析しています。
「単に前向きで、何より冒険が好きなんでしょうね。それに今までやってきたことの成功体験がありますから、それが私を後押ししてくれる。基本的にはリスクを恐れないタイプです」
蛇足ですが、その人物が楽観主義者か悲観主義者かを見分けるには、ドーナツを使えばいい、という言葉が米国のビジネス社会にはあります。
これは俗に"オスカーの手法"と呼ばれるもので、アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドの「楽観主義者はドーナツを見て、悲観主義者はその穴を見る」という格言に由来します。
自分の前に差し出されたドーナツを見て「うまそうだな」「さぁ、食べよう」と、身を乗り出す者は楽観主義者。食べる前に穴の大きさに目が行き「損したな」とネガティブな気持ちになる者は悲観主義者というわけです。
言うまでもなく、三浦さん前者だと思われます。次にチャレンジする対象がドーナツに見えているのではないでしょうか。
先に紹介した映画『The Man Who Skied Down Everest』のエンディングは、三浦さんの次の言葉で締めくくられています。
「The end of one thing is the beginning of another.」(ひとつの物語の終わりは、次の物語の始まり)
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。




