アユニ・D(PEDRO)、野音ライブ映像の放送に本音
音楽・K-POP インタビュー
2025.10.10
アユニ・Dによるバンドプロジェクト・PEDROが、8月11日に東京・日比谷野外大音楽堂(通称・野音)で「PEDRO Special One-Man Show『ちっぽけな夜明け』」を開催した。その模様とインタビュー、密着映像を交えた特別番組「PEDRO 日比谷野外大音楽堂 Live & Document『ちっぽけな夜明け』」が10月17日(金)にMTVで放送される。
日比谷野外大音楽堂は、アユニ・DがBiSH加入後の初ツアーのファイナルで立ったステージであり、かねてより「PEDROとしても必ず立ちたい」と願っていた場所で、BiSHとしても大きなターニングポイントとなった多くの意味を持つ特別なステージ。同ライブは、彼女にとって夢がかなう瞬間でもあり、PEDROの"これまで"と"これから"を詰め込んだスペシャルな時間となった。
今回、特別番組の放送に先駆け、アユニ・Dにインタビューを敢行。同ステージに対する思いや、念願だった場所でのライブが決まった時の感想、ライブ当日の心境、ライブ以前と以後の自身の変化などについて語ってもらった。
――日比谷野外大音楽堂というステージに対する思いを教えてください。
「9年前、BiSHというグループに加入して、すぐにツアーを回らせてもらって、そのツアーファイナルが野音だったんです。加入2カ月で野音に立たせてもらった時は、まだ右も左も分からない状態で、ずっと画面越しに見ていたメンバーに付いて行くのが精一杯という感じでした。"達成感"というよりも、必死にがむしゃらに走っていく中でのステージだったので、『一番、喜怒哀楽が染み込んでいる舞台だな』と思っていますし、グループ活動を経てソロでバンド活動が始まって、好きなバンドのライブを野音で見させていただく中で、『自分もいつか、バンドとしても立ちたいな』って思いを馳せていた舞台でした」
――建て替えのため10月から使用休止となる直前でのライブ決定を聞いた時の心境は?
「もう即決で『よろしくお願いします!』という感じでした(笑)。『物理的に無理でも絶対する!』というくらいの気持ちで、野音でライブができるなんて思っていなかったので、個人的に"うれしい100%"でしたね。10月には使用休止になるし、そもそも会場を押さえるのがすごく難しい舞台なので、正直諦めかけていた中で、奇跡的に建て替え前に立てたってことが自分にとってのターニングポイントになったと思います。
今思えば、例えば1年前に決まっていたとしても(本番が)近くならないと現実味は増さないと思いますし、1カ月半前に急きょ決まったというくらいの、ちょっとあり得ない状況みたいな方が自分にはすごくありがたかったなって思います」
――ライブ当日はどのような思いでステージに向かいましたか?
「"プレッシャー120%"って感じでしたね(笑)。(ライブが決まって)最初こそ『めちゃくちゃ楽しみ!』という気持ちだったんですけど、新譜の制作だったり、ツアーがひと段落ついて『自分がどう、もっと成長できるか』と自分自身と向き合っていく中で、日を追うごとにプレッシャーが増していきました。でも、そのおかげで、身近にいる人やチームの人たちと向き合う時間がすごく増えて、『そのプレッシャーにもひとつひとつ立ち向かっていこう』という気持ちで舞台に立つことができました。
実は、野音までの1カ月間くらいほとんどライブが無くて、それも相まって、人前に立つこと自体が、もはや自分の中で大きなプレッシャーになっていたんですよね。多くの人を目の前にした時のエネルギーって想像以上のものがあるので、『自分も地に足がついた状態で舞台に立たなきゃ』という覚悟を持って臨みました。
1カ月半前に急きょ決まって、自分も焦りながらも『お客さんは来てくれるのか?』という不安をずっと抱いていました。でも、皆さんが前のめりな気持ちで足を運んでくださったので、すごくうれしかったです」
――ライブの感想は?
「『やれることは全部やった!』という感じです。しばらく経って、今ようやく肩の荷が下りて、客観的にライブがどうだったのかを見られるようになりました。正直反省点もありつつ、急きょ決まってから1カ月半、ずっとそこに向けて突き進んでいたので、『ぶちかますぞ!』という前向きな気持ちで立てました。
ライブを通して、8月11日までの生き様は皆さんに見せられたと思います。本番が終わって家に帰ってその日の映像を見て一人反省会をしていたら、いつの間にか朝の8時になっていました。改めて映像を見て振り返ると『まだできることがあったな』とか『ちょっと緊張し過ぎてたな』とか『張り詰め過ぎてたな』とか、いろいろ思うところはあるんですけど、あのステージに立っていた時間は本当に悔いなく立っていましたから」
――ライブの前と後でご自身の中に変化はありますか?
「変化はありました。"ライブに限ったこと"というより、ライブ前の向き合う期間にいろんな人と話して、いろいろな人に言ってもらったことだったり、いろいろなことに挑戦して自分で気付いたことで得たことがたくさんありました。
また、『自分は不器用だから全力疾走しかやりようがない』って思っていたんですけど、ライブの次の日にドキュメンタリーのカメラマンさんやレーベルの方と食事に行っていろいろお話させていただいて、『まだ成長できる可能性があるんだな』『今までは"不器用"というものに逃げていただけで、器用にやるやり方は確実にあるし、自分はできないって勝手に決めつけてがんじがらめにしていただけで、そこに向き合うことでまた一歩踏み出せるな』って気付くことができました。
人間関係においても、柔軟に人と会って、遊んで、いろいろな話をして、いろいろなものを取り入れていけたらなと。『踏み間違えないくらいには、器用にやっていけたら』と思うようになりました」
――バンドメンバーの田渕ひさ子さんとゆーまおさんとのコミュニケーションの中で印象深いことは?
「日頃から音楽的なことから個人的なことまで、いろいろ相談させていただいています。ゆーまおさんは、ツアーを回っている時から『アユニちゃん、一緒に曲作ろうよ!』って声をかけてくださって、新譜の最後の曲とかも一緒に制作させていただきました。(田渕)ひさ子さんは、私が女性としても音楽人としても尊敬している方で、今抱いている不安や悩みを相談させていただくと、いつも親身になって向き合ってくださって、自分の体験談も踏まえてお話してくださいます。
今思えば、以前はこんなにコミュニケーションが取れていませんでした。学生の頃から憧れていた方と、自分の音楽人生を変えてくれた方であるからこそ、『心から尊敬するお二人に、悩み相談なんて恐れ多くてできない』って私から一方的に心を閉ざしていたんです。お二人はずっとスタンスを変えずに接してくださっていたのに、私が勝手に卑下して一歩下がっていたんです。
でも、『同じ舞台に立つバンドメンバーとして、それはどうなのかな』と気付いて、思い切って飛び込んでみたら大きな胸で受け止めてくださいました。もう父と母という感じで、お二人の背中を見て育っているし、お二人の話を聞いて育っているし、本当に大切な存在です」
――番組はライブ映像のほか、インタビューやドキュメンタリーなど盛りだくさんの内容になっていますね。
「自分の意思や意図を、チームの人とくまなく共有しながらライブを作って、セトリはPEDROの歴史を振り返るようなものにしました。また、夏頃に準備していた新曲を『せっかくだからこの日に初披露しよう』ということで、『来てくださったファンの皆さんにとって特別な時間になるように』という思いで作りました。
ドキュメンタリーに関しては、まだ本編を見ていないので何が映っているんだろうとドキドキしています。ドキュメンタリーって、いいところも出してくれてはいると思うんですけど駄目なところも全部詰まっていて、本当にこっ恥ずかしいから、正直誰にも全部見てほしくないんですよ(笑)。でも、それでも面白がって見てもらえるというのは、私にとって革命的なことなので、『変な奴がちょっと頑張ってるな』くらいの感覚でいいので見てもらって、何かのきっかけになったら本望だなと思います」
――BiSHが解散してから環境が大きく変わったこの2年はどんな期間でしたか?
「めちゃくちゃ人に迷惑をかけた2年でした(笑)。解散を機に今までやってこなかったことをめちゃくちゃやってみたり、大事なものを一方的に突き放したり、いろいろ破天荒に過ごしていました。そんな中で、それでもずっと見守ってくれていた人がいて、ずっと待っていてくれて、『ただいま』って手を伸ばすと、『おかえり』って手を握り返してくれて...。
私が挑戦しようとすることを安易に止めずに自由にやらせてくれる環境を作ってくれている人たちに本当に感謝してもしきれないですし、そういう人たちにこれから10年先、20年先もいい思いをしてもらえるように音楽活動を続けていきたいなと思うようになりました」
――最後に番組をご覧になる方々にメッセージをお願いします。
「命を懸けて、チーム一丸となって『いいものを作ろう』という気持ちだけで歩んできたので、その姿を映像作品として残してもらって皆さんに見てもらえるという機会は当たり前のことではないので、(ドキュメンタリーを)『見てほしくない』って言いながらも、めちゃめちゃ見てほしいです(笑)。きっと何か受け取ってもらえるものがあるんじゃないかと思うので、要チェケって感じでぜひ見ていただけたらと思います!」
文/原田健 撮影/中川容邦