演歌の女王・八代亜紀――没後1年、「舟唄」など名曲とともに軌跡をたどる

演歌の女王・八代亜紀――没後1年、「舟唄」など名曲とともに軌跡をたどる

歌謡界を代表する歌手で"演歌の女王"と呼ばれた八代亜紀。12月30日で彼女が亡くなって1年がたつ。八代は熊本県八代郡(現在の八代市)で生まれ、小さい頃から歌うことが好きで、地元の歌唱コンクールにも出場していたという。中学を卒業後、地元でバスガイドとして働いた後、上京して音楽学校に通い、歌の基礎などを学んだ。1971年に出身地の"八代"から採った八代亜紀の名で、シングル「愛は死んでも」でデビュー。1972年に音楽番組「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜き、チャンピオンになったことが追い風となり、1973年にリリースした4枚目のシングル「なみだ恋」が大ヒット。その名を日本中に知らしめることとなった。

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女性の心情を歌い続けた初期の名曲たち

「おんなの涙」「女ごころ」「しのび恋」をはじめ、その後も「おんなの夢」「おんな港町」など、女性の心情を歌う曲で着実にファンを増やしていった。1977年には、菅原文太主演の映画『トラック野郎・度胸一番星』にダンプカー運転手役で出演。「恋歌」も挿入歌に起用され、トラック運転手たちからは"トラック野郎の女神"として支持された。1979年、そんな八代が初の"男歌"をリリースした。それが代表曲の一つに挙げられる、作曲・浜圭介、作詞・阿久悠による28枚目のシングル「舟唄」だ。八代は「お酒はぬるめの燗(かん)がいい 肴(さかな)はあぶったイカでいい」という最初の2行を読んですぐに情景が浮かび、この曲は売れると思ったという。「舟唄」で新たなファンを獲得し、1980年に発売した30枚目のシングル「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。同年の「NHK紅白歌合戦」で2年連続の大トリを務め、"演歌の女王"と呼ばれるようになっていく。

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80年代も「なみだ川」「ブルートレイン大阪」「恋は火の川」などの名曲を生み出す中、八代は1981年から女子刑務所の慰問を始める。元々は1973年に「なみだ恋」がヒットして、聴いてくれた人や世の中の人たちに恩返しをしたいという思いで少年刑務所や老人ホーム、福祉施設の慰問を行っていた。その中で女子刑務所にも訪れるようになり、2000年に全国の女子刑務所全てを回り終える。ボランティアに限らず、いろいろなことに挑戦する人でもあった。40歳頃から本格的に絵を描き始めて、フランスの由緒ある「ル・サロン展」に1998年から5年連続で入選し、日本の芸能人として初めて正会員(永久会員)になった。

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ジャンルを超えて挑戦し続けた歌手人生

本業の歌では、2012年にジャズアルバム『夜のアルバム』を発売。邦人アルバム史上最大級となる世界75カ国で配信され、「Billboard JAPAN Jazz Albums of the Year 2013」を受賞。2013年には、ニューヨークの老舗ジャズクラブ「Birdland」でライブも実施。2015年には、ブルースアルバム『哀歌-aiuta-』もリリースし、ジャンルを超えた作品を生み続けた。そして、2018年には「アイドルを探せ」などで知られるフレンチ・ポップスの女王、シルヴィ・バルタンの来日公演にゲストとして出演した。さまざまな活動を積極的に続けてきた八代は、2023年3月に110枚目となる最後のシングル「思い出通り」をリリース。同年9月に膠原(こうげん)病の治療のため活動を休止し、12月30日に急速進行性間質性肺炎のため73歳で亡くなった。

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命日となる12月30日には、八代の貴重な映像を送る。「新・BS日本のうた #168 祝・八代亜紀デビュー50年!名曲だらけの永久保存版!」では、八代が「舟唄」「雨の慕情」をはじめとする名曲の数々を披露。さらに、歌手人生の歩みをとっておきの秘話に合わせて振り返る。ほか、「ビッグショー 八代亜紀 女ひとり生きて歌って」「ふたりのビッグショー 青江三奈&八代亜紀」を放送。没後1年、色あせることのない八代さんの名曲をたっぷりと堪能してほしい。

文/田中隆信

放送日時:2024年12月30日 19:45~

チャンネル:チャンネル銀河

放送日時:2024年12月30日 20:35~

チャンネル:チャンネル銀河

※放送スケジュールは変更になる場合がございます

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