韓国ドラマのセオリーを超えた名作...イム・シワン主演「ミセン -未生-」【古家正亨連載】
韓国・アジアドラマ 連載コラム
2025.04.01

古家正亨 (ラジオDJ/イベントMC)
ラジオDJ、イベントMC。 K-POPなどの「韓流」カルチャーを20年以上にわたり日本に紹介してきた古家正亨が、毎月オススメの韓流コンテンツを紹介。

古家正亨 (ラジオDJ/イベントMC)
ラジオDJ、イベントMC。 K-POPなどの「韓流」カルチャーを20年以上にわたり日本に紹介してきた古家正亨が、毎月オススメの韓流コンテンツを紹介。
韓国語に「人生〇〇」という言葉があります。自分のこれまで生きてきた過程において、特別なものに対して、修飾語のように"人生"〇〇とつけて、その愛情を表現するんですね。で、僕はよくいろいろな方から「古家さんの"人生"ドラマは何ですか?」と職業柄聞かれることが多いんです。そして、そんな質問をされた時は、迷わず2本のドラマを挙げます。一つが「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」(2018年)で、もう一つが今日取り上げる「ミセン -未生-」(以下、ミセン)です。
偶然にも(いや必然だったかも)、同じ監督・演出家さんが手がけた作品なんですね。ご覧になった方も多いのではないでしょうか?でもネットを見ると、結構「見るのがしんどそうだから」という理由で、あえてこの名作を見ずにいた韓国ドラマファンも多いようです。確かに口コミなどを見ると、多くの人が「韓国ドラマに求めるセオリー通りではないから」という理由で避けてきた人もいるようですが......。お願いです。だまされたと思って見てほしい......そんな作品です。
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ストーリーは、チャン・グレという主人公を中心に描かれています。彼は幼いころから囲碁が得意で、プロの棋士を目指していました。ところが、父親の他界によって、その道をあきらめることになります。そして、26歳までアルバイトに明け暮れていたんですが、ある日、母親の知人の紹介で、総合商社のワン・インターナショナルのインターンになるきっかけを得ます。ところが、会社員の経験もなく、日本同様に高学歴の優秀な社員の多い商社で、グレはコピーの取り方や電話対応すらわからない、雑用もできないお荷物と化してしまいます。活気のある会社で、一人取り残された格好のグレでしたが、優秀な同期とチームを組んだプレゼンで合格点をもらい、2年間の契約社員として入社することに成功。営業3課に配属されることになります。不器用に見えたグレでしたが、実は囲碁で培った洞察力に優れ、それを仕事で活かすことによって、微力ながらも徐々に課の役に立つようになり、次第に営業3課のオ課長やキム代理に認められ、課には自然とチームワークが生まれるようになっていきます......。
この先は、ぜひ実際にドラマを見て欲しいのですが、韓国ドラマにありがちな、お決まりの設定や人物描写は、このドラマでは描かれません。一つの会社を舞台にした、一人の青年の成長物語と言ってしまえばそれまでですが、放送当時の2014年といえば、今から10数年前。当時は韓国も日本も、コンプライアンスやパワハラ・セクハラに対する社会の目や関心は、今ほど厳しいものではなかったので、今、このドラマを見返すと、完全アウトな描写も数多く描かれます。
でも、日本人の僕であっても、この「ミセン」の世界に引き込まれるのは、舞台が総合商社であるということも大きな理由になっていると思います。総合商社とは、簡単に言えば"なんでも屋"ですが、一時は日本でも、就活生にとって憧れの職業として常にTOP5に入るほどの人気職種でしたよね。それは、高学歴とその能力を活かした、グローバルな活躍が出来、何より高所得が期待できたからです。ところが、この総合商社という職種は、世界的に見ても、日本と韓国ぐらいしかないそうで、財閥が幅を利かせる(日本の場合は利かせた?)両国ならではの環境と言えるのではないでしょうか。
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このドラマには原作があり、ユン・テホさんの同名人気WEB漫画がベースになっています。韓国では、かつて会社員のバイブルとも言われた作品です。僕は、このドラマのファンでもあり、この原作のファンでもあるんですが、かつて、ありがたいことに、とある企画で原作者のユン・テホさんにお会いする機会がありました。2016年、フジテレビ系で日曜日の夜に「HOPE~期待ゼロの新入社員~」というタイトルで、この「ミセン」のリメークが放送された時期。その中で、リメーク版主人公・一之瀬の上司である織田課長、つまり原作でいう営業3課のオ課長にあたる役を演じていたのが、遠藤憲一さんでした。ユン・テホさん曰く、原作のビジュアル的イメージは、むしろ遠藤さんの方が近いと感じられたそうです。確かに、それは僕も同じように感じました。ところがオリジナル版のイ・ソンミンさんは、原作を超えてしまったというか、その演技力でイ・ソンミンのオ課長像を作り上げて、それが結果的にドラマに深みを与え、このドラマを成功へと導いたように感じます。最初は冷たく、きついイメージだけど、誰よりもグレを気にかけ、なんとか一人前の商社マンにしてあげたいという思いが、話が進行するたびにジワジワと感じられる。そして、誰よりも自分自身がその商社マンという仕事に誇りを持ち、部下を大切にしながらチームを率いる姿は、涙なしには見られません。しかも、家庭における彼の姿は、今の社会においては、良い父の典型とは言えず、それがまたこのドラマにリアリティーをもたらしているんです。
ワン・インターナショナルを彩る個性的な社員たちを演じる俳優たちも、魅力的なスターばかり。イム・シワンさんは、このドラマで主人公チャン・グレを演じて以降、その演技力が高く評価され、引っ張りだこに。紅一点のカン・ソラさん演じるアン・ヨンイとは、決してラブラインにならないところが、これまでの韓国ドラマとは一線を画すと言えるでしょう。彼女が受ける会社内差別やセクハラなどの描写を嫌う人も多いのですが、少し前までは、これが現実でした。カン・ハヌルさん演じるチャン・ベッキは、まさに典型的なエリート商社マン。そんな彼が眼中になかったグレを認め、仲間として受け入れる過程は、このドラマの熱いポイントの一つでもあります。そして、営業3課で、いつも優しく、穏やかにグレを見守るのが、日本ではドラマ「賢い医師生活」で知られるキム・デミョンさん演じるキム・ドンシク。このキム代理がいるからこそ、このドラマにはいつも優しい空気感が漂っているんです。そして、どの世界にも必ずいるお調子者を演じるのが、ピョン・ヨハンさん演じるハン・ソンニュル。このキャラも「ミセン」を語る上で、なくてはならない存在です。
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OST(オリジナル・サウンド・トラック)も秀逸です。主題歌にあたる「Fly」を歌うのは、韓国におけるU2のボノのような存在であるイ・スンヨル。唯一無二なその歌声で、力強く歌い上げるこの曲、メロディーを聴いただけで、気持ちが奮い立たされる人も多いでしょう。「私の名前はキム・サムスン」の主題歌である「Be My Love」を歌っていたあの人です。
そんな「ミセン」の世界を見事に、原作以上に魅力ある世界に構築した最大の功労者がキム・ウォンソク監督です。先にも紹介した通りで、監督はこれまで「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」や「シグナル」といった名作・ヒット作を数多く手がけ、韓国ドラマ界の名匠とされる方です。現在は、IUさんとパク・ボゴムさんの共演で話題のNetflixシリーズ「おつかれさま」を送り出したばかり。監督の作品の特徴はなんと言っても、人と人との"つながり"を通じて、"励まし"てくれるところ。さらに、独特なブルーの、質感のある映像を通じて、その人々の心の渇きを表現しているところにあると(個人的に)思うんです。だからこそ、監督の作品には自然と"共感"が生まれ、多くの視聴者を魅了するのではないでしょうか。
韓国ドラマらしさ、いつもそこにあるものを期待して見ると、間違いなく裏切られるでしょう。そして、韓国ドラマには、そういったおなじみのプロットを踏襲した、たくさんの秀作と呼ばれる作品が存在するのも間違いありません。でも、このドラマは、そういった韓国ドラマの枠を超え、韓国と日本、そしてアジアの人々に、それ以上の"共感"と"感動"を与えてくれる、数少ない韓国ドラマ界が送り出した名作であり、今後も長く語り継がれる作品であることは間違いありません。