日韓の表現を徹底比較!東野圭吾の名作「白夜行」を料理するクリエーターの手腕を堪能せよ
2025.09.12
戦略的メディアミックスによってさまざまなコンテンツに展開される作品がある一方、原作の素晴らしさ故に複数メディア化される作品が稀にある。その中の1つが「白夜行」だろう。「白夜行」は東野圭吾による長編推理小説で、2005年に劇団スタジオライフにて舞台化されたほか、2006年に山田孝之と綾瀬はるかで連続ドラマ化(TBS系)、さらに2009年には海を渡り韓国で映画化。そして、2011年には堀北真希と高良健吾で映画化された。
内容としては、幼少期に初恋の少女を助けるために自分の父親を殺した少年と、その少年をかばうために自分の母親を殺した少女の、残酷な愛の軌跡を描いたもので、1973年の夏に起こった事件から1992年までの2人の19年間が描かれている。主人公2人の心理描写があえて排除され、彼らの周りの人々の視点を通して言動が示されていくところが特徴の一つだ。
これほどまでに舞台化、映画化された要因をひも解くと、「視聴後はさまざまなことを考えさせられる深いテーマ」「周りの人々の視点を通して2人の言動が描かれるため、2人のミステリアスさを演出しやすい」「長期間を描いた物語であるため数多くのエピソードがあり、メディアごとの尺に合わせてエピソードの取捨選択がしやすい」「原作者の東野が映像化に寛容であるため自由が利く」など多くの理由が挙げられる。そんな中でも、「幼い子供が生き地獄から抜け出すために殺人を犯すしかなく、それによってその後の人生は明るい太陽の下ではなく、薄明が続く白夜の中を行くようなものになってしまい、数々の犯罪を繰り返しながらもがき生きる姿を描いている」という人生ドラマの"核"があればこそだろう。
東野圭吾が描く"深いテーマ"を、見せ方の違いで別の作品に
この"核"をしっかり中心に据えつつ、メディアごとにさまざまなクリエーターが違った手法で料理してくれており、どの作品も見応えのある素晴らしいものになっている。そんな中で、J:COM STREAMでは劇場版が配信中、フジテレビTWOでは韓国版の映画「白夜行 ~白い闇の中を歩く~」が9月13日(土)深夜に放送される。
同じ原作から生まれた映画ながら、見比べてみると全く別の作品のように感じられる両作品は、展開が分かっているのについ引き込まれてしまい、それぞれのクリエーターの手腕に感動させられる。
(C)2009 CINEMA SERVICE CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED
設定や構成などアグレッシブな変更が表現の幅を広げる
劇場版では、原作同様に大阪の廃ビルで質屋の男性の死体が見つかったことから始まり、時系列に則して描かれているのだが、韓国版では現在と過去が回想シーンというかたちで錯綜して描かれている。また、物語のきっかけとなる最初の事件現場が劇場版では廃ビルであるのに対し、韓国版では使われていない廃船に変わっていたり、2人を追う刑事のキャラクターや背景の差異、大人になった2人の連絡方法の違い、幼少期の主人公の年齢が違うなど、"核"に干渉しないまでもアグレッシブに設定や構成が変わっている。加えて、劇場版と韓国版では作品の雰囲気が大きく異なり、それも両作が別作品だと感じさせる要因で、どちらを先に見ても没入できる魅力がある。
一方、主人公の男の子は切り絵が得意であることや、「風と共に去りぬ」がキーになっていること、捜査にやってきた警官に対して身分証の提示を求めるシーンで少女がしっかり者であることを表現するなど、ポイントポイントで共通部分もあり、"間違い探し"ならぬ"共通点探し"という楽しみ方もできる。
クリエーターたちの表現を役者陣の演技がサポート
そんな中で、原作に登場する同じキャラクターながら、「演じる者が違うと、これほどまでに変わるのか」と驚かされるほど、役者陣が作り上げる人物像が違う点も見逃せない。堀北扮(ふん)する雪穂は目的のためには手段を選ばない冷徹さが際立つのだが、韓国版でソン・イェジン演じるユ・ミホは冷酷であろうと努力している節が垣間見える。また、高良扮する亮司は闇落ちしながら感情を捨てて雪穂を裏で支える仕事人だが、コ・ス演じるヨハンはミホへの思いだけが行動原理となっており、自分をすり減らしながらミホをサポートしている。この両者の演じ方の違いは、両作品のクライマックスシーンから受ける印象をがらりと変えてくれている。
東野圭吾が生み出した"深いテーマ"を掲げた原作を、それぞれのクリエーターたちがどれほど違った見せ方をして"核"となるメッセージを伝えてくれるのか。ぜひ見比べながら堪能してみてほしい。
文/原田健