デフリンピック円盤投げの湯上剛輝 「君たちには可能性がたくさんある」【二宮清純】
エンタメ 連載コラム
2025.11.13
日本で初となる聴覚に障がいがあるアスリートの祭典「デフリンピック」東京大会(11月15日~26日)開幕が間近に迫ってきました。そこで今回はデフリンピックの男子円盤投げで金メダルを目指す湯上剛輝選手を紹介しましょう。
■五輪のメダリストも
パラリンピックに比べると認知度の低いデフリンピックですが、歴史はパラよりも古く、第1回大会は1924年にパリで開催されています。
それから1世紀を経た東京大会には、70~80カ国・地域から約3000人の選手が参加する見通しです。
パラリンピックにあってデフリンピックにないもの、それはクラス分けです。試合における公平性は、全ての選手が補聴器や人工内耳を外すことで担保されます。
生後間もなく先天性難聴と診断された湯上選手は、小学校6年時に人工内耳を装着する手術を受けましたが、競技中はこれを取り外さなければいけません。必然的に"音のない世界"での競技となるわけですが、本人によると、「かえって集中力が増す」という利点もあるようです。
聴覚障がい者とはいっても、身体的な能力は健常者に近いため、デフアスリートの中には、通常の健常者の大会に出場する選手も少なくありません。
有名なところでは、テレンス・パーキン選手という南アフリカの男子競泳選手がいます。彼はデフリンピックで29個の金メダルを胸に飾っているデフ水泳のレジェンドですが、2000年のシドニー五輪でも銀メダル(200m平泳ぎ)を獲っています。
そのパーキン選手は、次のような言葉を残しています。
「私は南アフリカ代表としてオリンピックに出場しますが、私にとってこの大会に出場することは非常に重要です。聴覚障がい者でも何でもできるということを示すためです。彼らは聞こえなくても、すべてを見ることができます。聴覚障がい者にもチャンスがあるということを世界に示したいのです」
■「サインエール」で応援
湯上選手も健常者の国際大会に、数多く出場しています。今年5月に韓国の亀尾市で行なわれたアジア選手権で、60m38を投げ銀メダルに輝きました。これは、日本人としては1991年の 山崎祐司選手の銅メダル以来、同種目34年ぶりのメダルでした。
湯上選手は今年9月に行なわれた東京での世界選手権にも出場しました。予選A組19位に終わったものの、本人は「夢のような時間でした」と表情をほころばせていました。
湯上選手は円盤投げの日本記録保持者でもあります。今年4月に米オクラホマで64m48をマークしました。今が最も脂の乗り切った時期と言っていいでしょう。
ところでデフリンピックには、「サインエール」という独特の応援スタイルがあります。これは手話言語をベースに考案されたもので、たとえば両手を開き、顔の横でひらひらさせ、前に押せば「行け!」になります。ひとりや二人ならともかく、スタンドの波状的な応援風景は、サッカーにおけるチャントを想起させます。
これには湯上選手も随分勇気付けられたようです。東京での世界選手権が終わった後、インスタグラム(TOKYO FORWARD 2025)で、こう語っていました。
「その(サインエールを送る)圧力から、特にすごく応援されているなと肌で感じることができました」
そして、こんなメッセージも。
「自分と同じような聴覚障がいを持つ子供たち、もしくは耳の聞こえない子供を持つ親御さんたちに、聴覚障がいがあっても大丈夫だよと、君たちには可能性がたくさんあるよということを競技を通して伝えていけたらいいなと。そういう可能性を示していけたらいいなと思っています」
大会期間中、私たちもサインエールの輪に加わりましょう。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。
二宮清純 (ライター)
フリーのスポーツジャーナリストとして五輪・パラリンピック、サッカーW杯、ラグビーW杯、メジャーリーグ、ボクシングなど国内外で幅広い取材活動を展開。スポーツ選手や指導者への取材の第一人者・二宮清純が、彼らの「あの日、あの時」の言葉の意味を探ります。














